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子供嫌いの妊娠

私は子供というものが好きではない。むしろ嫌いである。子供を欲しいと思ったこともない。

結婚し、我が子を妊娠している今もなお、である。

とは言え、産みたくないと思っているわけでも、望まない妊娠をしたわけでも決してない。


こんな言い方をすると、流行りの「子持ち様」界隈から叱られるかもしれないが、子供の多い休日のショッピングモールやファミリーレストランは、躾のなっていないチンパンジーの巣窟だと考えている。
奴らは店内で好き放題暴れ回り、「アンパンマンカートに乗りたい」だのと奇声をあげ、汚い手で陳列物にベタベタ触る。そういった行為が自分にとって迷惑に値すれば「子供がしていることだから」などと大目に見てやる気にもならない。スマホに夢中で奴らをきちんとコントロールしようとしない保護者共々、視界から消えて頂きたい。
(※おそらく「子持ち様」という言葉は、世間で子を持つ全ての方々ではなく、このような周囲への配慮に欠ける自己中心的な親達を主に指すのであろうと筆者は推測する。)

又、自分があんなチンパンジーらと四六時中対峙せねばならない、親という立場になるのも真っ平御免であった。

「自分だって子供時代はそうだったのではないのか」と思われるかもしれないが、あいにく幼少の私が家や外で我儘を通そうと発狂したり、暴れたりして迷惑をかけたことは一度もないということは親に確認済みである。自分の中にもそのような記憶はない。
そのため、先述のようなチンパンジーらには微塵も共感しない。
ちなみに独身時代に児童向けの英会話講師になったのは、もしかしたら子供嫌いが克服できるかもしれないという好奇心からであったが、その成果は「大嫌いで絶対に食べられない食べ物だったけど、他人との会食等のやむを得ない状況でのみ何とか食べられるようにはなった」レベルのものしか得られず終わった。

このように、とにかく私は子供が嫌いだ。
ナチの司令官でももう少し慈悲を持ち合わせているのではないだろうか。
そんな冷酷を極める私が、なぜわざわざ結婚、そして妊娠をし出産する道を選んだのかについて書きたい。


私は一つの職場に勤め続け、キャリアを構築するということが叶わなかった。
理由は自分の忍耐力の無さである。勤める先々で、厄介者として有名な人物からパワーハラスメントを受けやすかったり、日付が変わっても帰れないような劣悪な労働環境に耐えかねたりで、転職を繰り返したのだ。
派遣元と派遣先の連携ミスで契約終了されたなどの理不尽なこともあったが、そういったもの以外は全て自分の意思である。

二十代半ばといえば、本来であれば何か一つの職を手につけて、一人前とはいかずとも、中堅的ポジションになっていてもいい年齢である。
強みを持って生きていけるようにと、せっかく母親が苦労して短大まで出してくれたのに、このザマだ。
別にこうなったのは私自身のせいではないと言ってくれる人も多くいたが、どんなに辛い状況だって、耐える人は耐える。しかし私は辞めた。
ハラスメントなどに関しては一応、退職する前に然るべき部署に相談するなどのこともやってみたが、毎回あまり効果はなかった。

サバンナのシマウマやらインパラと同じくらい、危険予知のアンテナは敏感で、逃げ足は早い性分だ。
自分の根性不足で、私は社会で何者にもなれなかった。ちょっと英会話ができるだけの木偶の坊である。


そんな自分に嫌気がさしていた折、夫と出会った。私が25歳、夫が30歳の時である。
現場は街コンという、地元の独身の男女が集まって交際相手を探すことを目的としたイベントである。婚活というような堅苦しいものではない。
私には結婚願望はそこまでなかったが、これまであまりにつまらない恋愛しかしてこなかったことが、我が人生最大の「面白みのない点」の一つであった。
「結婚するしないに関係なく、楽しい恋愛をしてみたい」という安直な気持ちで、その場に参加していたのだ。
饅頭のような私の顔は夫の好みであったようで、デートを重ね交際を始めた。


夫は十代の頃に両親を亡くしていた。
初めて社会に出て、職場で理不尽な目に遭ったり頭のおかしな同僚から暴力を受けても、どうすればよいか誰にも相談できない。
職場では真面目な仕事ぶりが評価されていたので味方はおり、親身になってくれる親戚の人々もいた。色んな人に助けられてきたようであるが、このようにずっと一人で生きてきたので、身体を鍛えることで強靭な心身を創るなどして、私のような「逃げる」精神を絶対に持たぬ、メンタル超人になっていた。

優しい夫はいつも私を気にかけていた。
メンタル超人なところもそうであるが、夫は私の中で欠落しているものを概ね持っているような男であった。
私が夫の立場であれば相手を拉致して拷問せねば気が済まないと思うようなことをされても、夫は相手を許してきた。
誰といても自分の希望は二の次で、相手の希望を優先する。
早くに亡くしているとはいえ、きっとご両親からは大きな愛情を受けて育ってきたのであろう。彼の振る舞いを見ていて、そう感じた。

夫は、私がご飯を作れば美味しそうに全て食べ、私が穴だらけのダサいスヌードを編めばそれを嬉しそうに首に巻いていた。特に何もしてない私に対していつも感謝してくれ、一生懸命に贈り物を選び、愛情を伝えてくれた。
私が実家で大切に育てていたハムスターが病気になると一緒に病院に連れて行ってくれ、亡くなった時も一緒に悲しんでくれた。


交際から月日が経ち、夫は私と結婚したいと言い始めた。
私も夫を愛しているし、結婚したくないというわけではなかったのだが、少なからず狼狽した。
このような時は本来、女性であれば嬉しさでいっぱいになるものなのであろうが、それよりも「一生を共にする人間を選ぶのに、何故よりによってこの私なのだろうか?」という疑問が脳内を占拠した。

私という女は明らかに家庭向きではない。父親のいない女系家族で育ったせいで両親のいる家庭の在り方を知らないし、要領の良さも器用さも人並み以下だ。だから人間なんかといるより、ハムスターなどの物言わぬ小動物の方が何倍も好きだし、一人で過ごすのが大好きだ。
子供だって嫌いだし、何より性格が悪いのだ。この夫を精神的なサンドバッグにし、いずれボコボコに傷つけそうで恐ろしい。

自分の本来の姿を偽って夫に接していたことはない。しかし私のような女が妻では、夫が思い描いているであろう結婚生活は絶望的であるに違いない。それでよいのか、夫よ。
私は、あらゆる社会性に欠ける自らの人格がこれから彼にもたらすであろう悲劇を次々と予測し、勝手に苦悩した。

私がこのことを母に話すとやはり「彼、女性の好みが変わってるよねェ」などと真剣に不思議がっていたが、「でもまあ、シンちゃん(夫の名前)があんたといて楽しいってのは本当だと思うよ」と言ってはくれた。

又、義理の祖母の存在も私にとって大きかった。夫のおばあさんである。
両親が先立ってから夫が実家を出るまで、夫の親代わりのようになっていた人だ。

90歳とご高齢であるが大変に義理堅い女性で、私が会いに行くといつもしわしわの細い手で私の手を握り、心から喜んでくれた。
おばあさんは、いつも会う度に決まって「初めてあなたに会った時、明るくてよく気がつく、なんて良い子が来てくれたのだと思ったものです。あなたのような子と一緒になれて、うちの孫は本当に幸せです」と涙ぐみながら語るのだ。

私はおばあさんに対して猛烈に申し訳なくなった。おばあさんは騙されている。別におばあさんに対しても偽りの自分を演じていたわけではないが、私はおばあさんが思ってくれているような聖人では絶対にない。
あなたの大切なお孫さんは今、地獄の釜を覗き込んでいる。社会にギリギリ適合しているだけの、トンデモ野郎と夫婦になろうとしているのだ。


ともあれ、相手やそのご家族からこんなにも望まれているなんて私は身に余る幸せ者である。個人的には様々なことを危惧して止まなかったが、我々はすんなり結婚することができた。
夫に出会わなければ私は生涯独身であった自信がかなりある。地獄に仏とはこのことだと、私と母はしみじみ言い合った。


私は、夫がどういうわけか私を妻に選んでくれたことや、おばあさんが「あなたで良かった」と涙を流してくれたことを反芻しながら考えた。
社会では大きな成果や貢献もなく、誰かから尊敬される先輩にもなれず、信頼されるポジションにもつけなかった。
世間で必要とされる人材にはなれなかったが、この人達は私をこんなにも必要としてくれている。
私が「家族を作りたい」という夫の夢を叶えられる唯一の者なのであれば、それが私に与えられた人生最大の任務なのではないか。

彼の妻になり、そして彼の子の母になること。
これが私の使命なのだとしたら、生き甲斐もあるというものだ、結婚・出産の一つや二つしてやろうではないかという気になった。
そして、今まで仕事などで辛い思いを多くしたことも、全てこの夫と一緒になるための幸運を貯蓄していたからなのだと、強引に考えるに至った。

又、「もしこの人と結婚したら、この人より先に死ぬわけにはいかない」という思いが、夫と交際を始めた頃からあった。
大切な人を何人も先に失ってきた彼に、私をも看取らせるわけにはいかない。私は彼より一日でも長く生きる必要がある。これも私の使命なのだ。


このようにして、泣く子も黙る子供嫌いの私は人の妻となり、そして人の母になろうとしている。ドキュメンタリー番組などでよくある「彼の愛が私を変えてくれました」的なエピソードを書きたかったわけではないが、みるみる大きくなる自分のお腹を眺めていると、人生、何があるか本当に分からないものだなァと感じる今日この頃である。

いずれ産まれ来る我が子もチンパンジーのようになるかもしれぬが、母である私がそうはさせはしない。夫の夢を叶えるため、適切な愛情を注ぎ、必ず良い子にしてみせる。
ただし私のDNAをうっかり受け継ぎ、こだわりの楽器を担いで変な色に染めた髪を振り乱すバンドマンにだけはなってくれるなと、今から念じているのであった。




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