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映画『ジョーカー』 痛切なルサンチマン


meronagiさんの記事を読んだら、思いだした『ジョーカー』の続編が10月公開らしい。

meronagiさんは、eponaさんの記事から刺激を受けて書いてる。インスパイアの連鎖でマトリョーシカのようにしてしまったけれど、駄目なら言ってね。

『ジョーカー』2019年公開

映画ジョーカーの舞台は1981年のゴッサムシティ。つまり過去の出来事。『バットマン』製作者の意図としては、ゴッサムシティはニューヨークではなく、自分の住んでいる街として捉えてほしいがために架空の街を設定しているそうだ。つまり、我々の生きたTOKYOと置き換えることも可能である。

主人公であるアーサーの笑い発作の原因は、子供時代に虐待されているにも関わらず唯一助けられる境遇にいた母にも見てみぬふりをされたことに起因している。その母も恒常的に暴力を受け、精神を病んでいる。その暴力を奮った男は、ゴッサムシティの市長。映画のテーマがアーサーに起こった個人的な問題にとどまらす、超格差社会への警鐘であることも示唆される。

彼は物語の中盤で偶発的に殺人を犯してしまうが、簡単には逮捕されない。それはさらに恐ろしいこと。市民としてカウントされていないジョーカー。

映画が進むにつれ、彼の笑いは、寂しさから虚しさ、そして破壊の衝動へと変化していく。過酷な重荷を背負わされた人間を責めることはできない。人は誰にでも夢を見る権利がある。彼の夢は、市民生活を送るというささやかなもの。

尊くて厳しいのが尊厳。全ての人の命は平等のはず。何度も踏みつけられれば、いつの日か暴発してしまうのは自然の理。アーサーは一人ではない。身を潜めていた無数のアーサーが現れ、街を破壊しつくす。ルサンチマンの発露は、妄想か現実か。未来にゴッサムシティが生まれるかどうかは、今を生きる私たち次第なのだから。


最後に、希望を込めてeponaさんの言葉を置いておこ。

もしも繊細な人たちが力を合わせて、この世界の綺麗なところだけ、美しい上澄みだけをすくって集めたら、間違いなく楽園が出来上がると思っている。「虹の向こうに(Over The Rainbow)」に出てくるような、悲しみはレモンキャンディのように溶けて、全ての憧れが叶う夢の国。

eponaさんのnoteから


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