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HSP〜世界がうるさすぎると感じるあなたへ〜

 少し前から何かと話題のHighly Sensitive Person 。通称HSP。つまり感受性が高い人のことをさす概念だ。この用語は正式な疾患名ではなく医療用語でもないので、いちおう医療者の端くれである私としては使用に注意したいと思う。

 自分はHSPだと自覚している方々の中にも、ちょっと心配性かなというレベルから不安障害と診断のつくレベルまで、程度にはグラデーションがある。そしてHSP傾向が強い方でも色々なコンディションが考えられる。

◯不安障害の症状としてパニック発作や強迫観念も伴っているのか◯発達障害がベースにあって五感が過敏なのか◯境界性パーソナリティ障害で見捨てられ不安があり、相手の言動に反応しすぎてしまうのか◯主にアダルトチルドレンでみられる愛着障害により相手の顔色を伺ってしまうのか◯PTSDから特定の刺激や環境に過敏になっているのか◯上記のどれでもないが心身の疲労から一時的にストレス耐性が弱くなってしまい、他人の言葉や環境音に過剰に反応しているのか◯うつ病、双極性障害などの気分障害があり他人の言葉にひどく傷ついてしまうのか。

 私が今思いつく限りあげてもこのくらいは考えられる。

 つまり何が言いたいのかというと、HSPという概念がカバーしている領域はすごく広範囲なので、とても人ひとりの特性を説明することはできないということだ。だからこそHSPという概念はちょっとズルい。

 何らかの「生きづらさ」を自覚した人がネットなどで検索してこの言葉に出会い「そうか自分はHSPなんだ」と思い込むことで、その裏にある本物の疾患が隠れて発見や治療が遅れることもあるだろう。診断名は同じ「うつ病」でもそこに至るまでのバックグラウンドが千差万別であるように、HSPという言葉でそれぞれのしんどさを一括りにしてしまうことはちょっと危険だと思う。

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 たらたらとくだらない持論を述べてしまったが、私が一番伝えたかったのはここから。あなたがHSPでも(正確にはHSPだと感じる何らかの特性があったとしても)、それは他の人より劣っているということではない。個人的には、むしろ逆だと思う。

 私は普段生活していて、感受性豊かな人たちがこの世界を微調整してくれているから、何とか今日まで社会が維持されているのだなぁとよく感じる。綺麗ごととか大袈裟なわけではなく、本当にほとんど毎日感じる。

 特に顕著なのはやっぱり芸術の世界だろう。画家や詩人、小説家や映画監督にミュージシャン。彼らが捉える一瞬一瞬の美しさとそれを表現する際の繊細さ。いつの時代にも、こういった芸術がなければ生きていけなかった人々が大勢いる。大それたことでなくてもいい。ちょっとした優しさや思いやり、ユーモアが生まれるのはいつだって「共感」から。他人と共鳴する特性が人と人を強く結びつける。

 HSPの反対はLSP(Lowly Sensitive Person)だろうか。私が勝手に作った言葉だからこんな人はいないけども。確かに鈍感さも生きていく上では大切なスキルだ。でもあまりに鈍感では、人生はどこまでも平行に広がっていくのみで、深みを増すことはないと思う。沼るってけっこう良い言葉。

 繊細な人たちは濁った水の中にいると真っ先に影響を受けてしまう。魚座である私も多分そんなタイプの人間。だから自分にとって心地良いものをたくさん集めて、それをいつでも手の届くところに置いておく。透き通った水の中で生活することがストレスを減らすコツだと思っている。

 最後にあと少しだけ戯言を。

 もしも繊細な人たちが力を合わせて、この世界の綺麗なところだけ、美しい上澄みだけをすくって集めたら、間違いなく楽園が出来上がると思っている。「虹の向こうに(Over The Rainbow)」に出てくるような、悲しみはレモンキャンディのように溶けて、全ての憧れが叶う夢の国。

 ちなみに他人を踏みにじっても何も感じない「LSP」の方は入場できません。だってそもそもこの場所を見つけられないでしょうから。

 


***私の思想をもとに超超短編のストーリーを創作しています。こちらも併せてご覧いただけると嬉しいです***


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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