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【こころ】心配するってどういうこと?


相手を “心配する” という気持ちの正体はなんだろうと最近強く思う。
もちろん相手のことが気がかりで気になってしまう事象だということはわかる。
でもそれ以上の気持ちを感じてしまうことがある。

わたしには職場にわたしと同じように心療内科に通っている同僚がいる。
同僚はここ最近、体と心のバランスがうまく取れなくなったようで職場で顔を見れば表情もなんだかぎこちなく、顔色も悪い、動きもなんだかゆっくりで声にハリもない。
以前は人一倍、元気な性格でみんなの前で笑顔で笑っていて気の利く優しい人柄だった。特にわたしはその同僚に興味があったわけでもなく観察しているようなこともなくただ同じ職場にいる人としか思っていなかった。それなのに、パッと一瞬の雰囲気で同僚の様子が今までとは違うことがすぐにわかった。

それはわたしも抑うつ状態、パニック障害、不安障害を患い会社を休職したことがあるという経験に基づいて気付いたものなのか、はたまたみんなが気づいていたが誰も声をかけなかっただけなのかはわからない。

わたしは普段、人の気持ちに深く寄り添うことはしない。基本的に他人に興味もない。
「相手の気持ちが気になるから不安になる」と思う側面も持ち合わせているのだがそれも突き詰めて考えれば「相手に嫌われて傷つく自分が怖い」という気持ちだ。基本的にわたしは自分のことにしか興味がないと思って生きている。

それがこの同僚に対してはどうにもそうはいかない。毎朝、同僚が会社に出社できるのかも気になるし、朝に顔を合わせればどんか顔色なのかをみる。動きも見て今日は調子がいいのかどうかも気になる。困っていそうならすぐに声をかけて助けてあげたいと思う。1人でいれば声をかけて「辛くないか?」「病院でもらった薬はどうか?」と聞き、何か言いたいことがあればすぐに言うんだとよと声をかけたくなる。し、現にかけている。

これまでに年下の同僚(後輩)とは異性同性関係なしに何度か一緒の部署で働いてきた。それでもこんなに一同僚のことを心配に思う気持ちを感じるのは今回が初めてだ。
なんなら自分の心や体のことよりも気になってしまう。
もしかしたら、この気持ちは “心配” と言う殻を被った何か違う感情なのではないかと思うこともある。それは同じ病気を患うものを想う勝手な “仲間意識” なのかもしれない。はたまたわたしはその同僚に “惹かれている” のではないか。そう思う時もある。

とにかくわたしはその同僚のことが気になって仕方がない。
そんな気持ちを抱いている自分に正直戸惑っているいのが今のわたしの現状だ。
寄り添いたいと言う気持ちも相手からすれば余計なお節介なのかもしれないし、人を想うと言うのはこんなに難しいものなのかと思う。28歳にして初めての感覚だ。

わたしの大好きな小説に『夜明けのすべて』と言う作品がある。
作中の主人公男女2人はお互いに心に病を抱えて日々を過ごす同僚である。2人はお互いに過干渉しないし別に同僚以上の関係になりたいとかそれ以上の関係を望んでいるわけではなく、ただ単に同僚として過ごしている。でもお互いに抱えているものを共有して重荷を2人で共有して助け合うことができると思い支え合う関係になる。

そんな関係になれたらいいなと思うけれど。
人間関係というのは片方が一方的に「こういう関係になりたい」と思って成立するようなドラマのようなものではないこともわかっている。
難しいなああ。支え合うってなんだろう。まず支えるってなんだろう。わたしって迷惑なんだろうか?独りよがりが恥ずかしくなることもある。それでも同僚が辛いなと思った時にふっと「あの人に話を聞いてもらいたい」と思ってもらえるような相手でいたいと思ってしまう。

難しい。とにかく難しい。わたしの心も。相手の心を想うことも。

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