【シリーズ第44回:36歳でアメリカへ移住した女の話】
このストーリーは、
「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」
と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
前回の話はこちら↓
ある日の夕方、同居人と共に、テレビドラマの”グッド・タイムス”を観た。
”グッド・タイムス”は、シカゴのプロジェクトで暮らす、黒人ファミリーの日常を描いた1970年代のコメディドラマだ。
オープニングはこんな感じ⇩
ここに映し出される建物は、シカゴのダウンタウンの北側、ニア・ノースにあるカブリニ・グリーン・プロジェクトだ。
出演者と、ドラマのイメージがわかるかも⇩
その日のストーリーのトピックは”停電”だ。
ファミリーがコートを着て、マフラー、帽子、手袋を装着し、寒さをしのぎながら、ディーナーにビーンズを食べている。
この時、同居人がボソッと言った。
「俺、2、3年、プロジェクトに住んだことあるけど、ホンマにこんな感じやで」
「・・・ふーん」
ちょっと意外だった。
プロジェクトは、低所得者層のために市が提供する公団住宅だ・・・と言えば聞こえはいい。
貧しい黒人が詰め込まれた、高層住宅をイメージしてもらうといい。
1960年から1990年代にかけて、シカゴのプロジェクトは、”危険”の代名詞のようなコンディションだった。
その中でも、ダウンタウンの高級ショッピング街、マグニフィセントマイルの西側に隣接する、カブリニ・グリーン・プロジェクトは、全米でも史上最悪と呼ばれていた。
余談だけれど、大好きなポリティカル・シンガー、カーティス・メイフィールドは、このプロジェクトの出身だ。
第二次世界大戦後、住民の収入を支えていた軍事工場が閉鎖され、多くが職を失った。
さらに、金銭的に困窮した市は、黒人エリアの予算をカットした。
例えば、周辺のパトロール、公共交通機関サーヴィス、メインテナンスなどだ。
プロジェクト周辺にビジネスはない。
交通手段がなければ、仕事を探すことも、仕事へ行くこともできない。
したがって、住民のほとんどがドラッグ・ディーラー、売春婦、ポン引き(売春を斡旋する人)で、仕事のある人は全体の10%。
ドラッグ売買をめぐる殺人が絶えず、週末になると、シューティングから守るために、子供たちはバスタブの中で寝かされる。
歩くときも、常にシューティングやトラブルに巻き込まれないよう、全神経を周囲に集中させなければならない。
住民以外は足を踏み入れることすらできない恐ろしさだ。
同居人は、こんな場所で暮らしていたんだ。
彼について知っていることといえば、ミュージシャンである、白人とミックスの息子がシアトルにいる、おばさんがいた、フランス人が好き、フランスが好き、という程度。
それでも、プロジェクトに住んだことがあるというイメージはなかった。
プロジェクト=ギャング、犯罪者というイメージがあるからかもしれない。
*息子訪問の話⇩
*ヨーロッパツアーのお話⇩
喧嘩は強いようだけれど、プロジェクトという感じではない。
*喧嘩が強いかもと思ったお話⇩
とはいえ、プロジェクトに住んだことがある、というのと、プロジェクトで生まれ育つ、とでは雲泥の差がある。
人生のどこかのポイントで、何らかの事情で、プロジェクトで暮らしていたのだろう。
同居人との会話はさらに続く。
「プロジェクトの廊下はゴミだらけやで。みんなが廊下で用を足すから、廊下はおしっこの臭いでめちゃめちゃ臭いねん」
「なんで?トイレが壊れてるから?」
「壊れてるとこもあるけど、ほとんどの人間がドラッグかアルコール中毒やで。エレベーターは故障してるし、誰も自分の部屋のトイレまでわざわざ戻らへんねん」
「でも、そんなことしたら臭いし、どんどん汚くなるやん」
「そんなことに構う人間はそこにはおらん」
「ふーん・・・」
わかるようなわからないような。
これとは別の日に、1991年にリリースされたコメディ映画”リヴィング・ラージ”を観た。
ニュースリポーターに憧れる、黒人のディクスターが、アクシデントでナショナルテレビのリポーターに採用されるストーリーだ。
映画の中で、リポーターになったディクスターが、黒人居住地と白人居住地における、警察の対応の違いを実験する場面があった。
「事件です!!!すぐに来てください!」
白人居住地から警察に電話をすると、彼が電話を切る前にパトカーが到着した。
同じことを黒人居住地からすると、何時間経ってもパトカーは現れなかった。
同居人に聞いてみた。
「ほんまにこんなんなん?」
「ちょっと大げさやけど、こんな感じやで。
警察は黒人が死ぬことなんか、なんとも思ってない。
逆に黒人は死んだほうがええと思ってるんや」
「ふーん・・・」
映画は笑えるけれど、そこに住んだことのある本人から聞くと、笑えない。
歩いているだけで殺される可能性がある。
殺されても警察は来てくれない。
犯人が逮捕されることもない。
自分の部屋のトイレが壊れても修理に来てくれない。
真冬のシカゴはマイナス10度以下になることもあるのに、窓ガラスが割れても放ったらかし。
しかもこの状況は、1週間や2週間、1年や2年の単位ではなく、プロジェクトから脱出しない限り続く。
想像するだけで気が滅入る。
彼は、そんな環境を生き抜いてきた。
ギャングにも犯罪者にもならず、ミュージシャンとして生きてきた。
すごいなぁ。
清潔な場所で、三度の食事をきちんと頂いて育った私が、彼や、この国の黒人のことを理解することはできない。
想像することもできない。
私には、その場に近付かないという選択がある。
けれども、そこで暮らす彼らのほとんどは、その場所で生きるしか、選択がない。
彼の人生を想像できないくらい、私は幸せなんだ・・・ということだけは、理解していたいな、と思った出来事だった。
最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!