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辞世の句vol.04 「徳川家康」

「嬉しやと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」

意味:もう起きることはないと思っていたが、また起きられて嬉しい、もうひと眠りしよう。この世は明け方の空のようだ。

「先に行く あとに残るも 同じこと 連れてゆけぬを 別れぞと思ふ」
意味:先に死ぬのもあとで死ぬのも同じことだ、連れて行けないのを別れと思う。

徳川家康は1542年(天文11年)、「岡崎城」の「松平広忠」の長男として生まれた。
幼少の頃、織田氏、次いで今川氏の人質となり、1560年(永禄3年)に桶狭間の戦いで今川義元が討たれたのを境に、独立し岡崎城に戻りました。
その後は織田信長と同盟を結び、1566年(永禄9年)には三河国を統一。
武田勢との戦の後三河国・遠江国(現在の静岡県西部)・駿河国(現在の静岡県中部・北東部)・甲斐国(現在の山梨県)・信濃国(現在の長野県)の5ヵ国を統治。

本能寺の変後は豊臣秀吉と対立しましたが、1586年(天正14年)に臣従。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉の命で関東地方に国替えとなりました。

豊臣秀吉が亡くなってからは、石田三成と対立。1600年(慶長5年)には関ヶ原の戦いが起こり、徳川家康の圧勝に終わります。そして1603年(慶長8年)、征夷大将軍に任命された徳川家康は、江戸幕府を開きました。

1句目の「嬉しやと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」は、現世の夢を
「明け方の空」としていることから、「再び日が昇って自身が再生する」ということを表現している説、「この世の中は明け方の空のように一瞬だ」と表している説などが存在しています。
当時、主君のあとを追い、その家族や家臣が切腹するという風習が行われていました。

2句目の辞世の句「先に行く あとに残るも 同じこと 連れてゆけぬを 別れぞと思ふ」の「連れてゆけぬを 別れぞと思ふ」には、徳川家康が家臣達にこの
風習を行わないように伝えているという説があります。

著名人が遺した辞世の句/ホームメイト (touken-world.jp)
https://www.touken-world.jp/historical-last-words/ より


徳川家康=天下人=狸おやじ、という連想をしてしまいますが、本当の姿とはどのような人だったのでしょうか?

忍耐力によって乱世を生き抜き、のちに天下統一を果たすことが出来た人物。一方、若い頃は戦において短気な一面を見せることもありました。

また、「健康志向が強い」、「倹約家」、「新しいもの好き」など、偉人でありながらも多面的な性格を持つ人間味あふれる人物であったことも分かっています。

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