檸檬

脚本家見習い・俳優。自分の作った駄作・珍作の屍たち、そんな亡骸たちが眠る墓場を作りまし…

檸檬

脚本家見習い・俳優。自分の作った駄作・珍作の屍たち、そんな亡骸たちが眠る墓場を作りました。

最近の記事

「語るな、もしくは天才ジョルジュ・ジーナの風刺画」草案

「語り得ぬものについては、沈黙せねばならない」と語ったのは、ヴィトゲンシュタインでした。 はたして、絵画は言葉の代わりになるでしょうか?言葉は絵画の代わりになるのでしょうか? 演劇は、なんなんでしょうか? 中学生だった僕は、彼女の全てを解りたいと思っていましたが、大人になるにつれ、全てを分かるなんてことは出来ない、ということが分かってきました。 ところが今度はそれが行き過ぎて、「どうせわからない」と諦めてしまってからは、途端に日々がつまらなくなりました。 あちらを立てればこち

    • 「犬、走る」

      いい加減書けない日が続き、辟易したのでGoogle先生に「脚本書けない どうする」と調べたところ、フリーライティングなる手法があるらしい。たしかにこれは良さそうだ。私への特効薬、はたまた劇薬になるかもしれない、と思い、今日から始めることにする。フリーライティング道場第1作目は「犬、走る」だ。どうぞ。 「犬、走る」 犬は走っていた。 どこへ向かっているのか分からないまま、直感の赴くまま走っていた。 もはや脳みそは動いていない。 直感のみが彼を突き動かしていた。 おそらく心とい

      • 留保。

        感覚は、間違っている。 私の言葉は、私が言葉にしてほしいと思っていることをしているだろうか。 反応は大抵の場合、間違っている。 留保して、方向付けについて考え、行動する。 そうして得た、これくらいだろうか?という感覚は本当に正しいと言えるだろうか。 それは大抵の場合、偏っている。 敢えてジャッジをくださないということは、ジャッジされ、ジャッジしてきた世界観にとっては難しいことだ。 ゆえに、他者が居なければ、成り立たぬ。 自然であるということは重要なことに思えるが、 自

        • ゲボ

          ゲボを吐くほどではない。 哀しみに身体がついていけていないだけだ。 致し方なく、受け入れるしかないだろう。 胸が締め付けられるような感覚と、体調不良の重なりだ。 自分が、一つの事象に過ぎなかったこと、もしくは過ぎなくなったことが悲しくて、物事は無意味で不条理だということが堪らなく悲しい。 もともとそうだったのだけど、そうじゃないと思えただけで、愛には価値があるというものだ。 今日のことを20年、30年と忘れないでいられるだろうか。 昔より随分、物事の密度が減った。いいや、

        「語るな、もしくは天才ジョルジュ・ジーナの風刺画」草案

          「機嫌」

          さきほど、雨上がりの路地裏で、雑草がきらめいていたので、上機嫌になった。 私にだって、突然、踊りたくなる夜もある。 「自分の機嫌は自分で取る」と、よく聞く。 なんなら「自分の機嫌は自分で取らなきゃ駄目」とまで聞く。 実のところ、私は自分の機嫌の取り方を知らぬ。 30年間生きてきて、自分の機嫌を取ろうと思ったことが露とない。 不機嫌になることは割とよくあるが、割とすぐ忘れている。物事を突き詰め掘り進めることが出来ない性格なのであろう、ある種の能天気さを抱えて過ごしている葦で

          「機嫌」

          未来が無いから。

          未来が無いから、今が煌めかない。 今ばかりでは疲弊して、どんどんと遅れを取って、少し過去のことばかりに背中を掴まれる。 空想しなければ、今、生きている価値がなくなる。と、過去が教えてくれる。 寂しさを大事に思っていた自分に顔向け出来るように、未来を考える。 煌めく日々の中で生きたいのなら、少し先を考えるくらいでちょうどいい、と思うなり。 未来はあるぞ。どの地点でも。

          未来が無いから。

          ザワザワする夜が増えてきた。

          ええじゃないか、きたきた、という気持ちと、 参ったなこりゃ、という気持ちが交互にやってくる夜が増えてきた。 どうしたもんかな、と思う夜だ。 こういうのは大体、夜だ。 ざわつき息を吸う。幸福感と高揚感にまみれて、焦燥感と虚脱感を激らせて、明日も生きる。 今日は寝る。 面白くなってきたじゃないか。

          ザワザワする夜が増えてきた。

          雑文「100点」

          自分自身というものを100%表現できる、歌、劇、コント、トーク、何でもいいが、 自分自身を100%表現出来るものが作れたら何と幸せなことであろう、と思うが、それは永劫不可能なことのように思う。 何故なら、瞬間は、固定されず、動き続け、変わり続け、同じものはこの世に存在しないからだ。 時間が無限であるなら、同じ分子配列、同じ世界が遠い未来で再び訪れるのやもしれないが、それはおそらく僕の自意識で把握しきれるものではない。 逆説的に言えば、今、この瞬間、表現しきれていないと考えなが

          雑文「100点」

          SF「言い残し」

          「昔から明太マヨが好きでね、、、」 そう何かを言い掛けて、その瞬間、小太郎は座標変換事故の影響で跡形もなく消えた。 小太郎が犬だったことは、周知の事実なのだが。

          SF「言い残し」

          「署名活動」草案

          表現・言論の自由をアピールする署名をしない人間を何とか説得して署名させようとする人々、 と、 頑なに署名をしない人、という対立構造で一本コントが書けそう。 仲間内、界隈の人々が続々と署名していく中、頑なに署名をしない奴らがポツリポツリ。 例えば、劇団が連名で発表しようとなった時に、断る人間がいる。 そいつの劇団にも何故署名をしないのか疑問視する人間もいる、等。 署名した方が波風立たないかな、と考える人間もいる。 「足並み揃えろよ!」「何で署名しないんだ!」「自分の影響力考

          「署名活動」草案

          書き物。「推したるもの」1

          最近、推しが出来た。 と、言ってよいのではないか、と思っている。 推し、という概念に対して全くと言っていいほど理解できなかった私にだ。 「ファン」のライトな言い方、程度にしか捉えていなかった私がだ。 「推しが尊い」ないしはそれに準ずる言葉を聞くたびに目にするたびに、苦虫を噛み潰したような、何処か退廃的な気持ちになり、目を伏せ、自虐的な気持ちに襲われていた僕が、だ。 その諸々の言説に対し、今ではなんとなく理解出来るような気持ちがする。 観察と結果について。 どんな時も推しを

          書き物。「推したるもの」1

          SF「もしもし」

          「はい、もしもし、内藤でした。  あ、間違えました、今も内藤です。」

          SF「もしもし」

          SF「人生の楽しみ方」

          第54惑星のとある思想家のメモ 「人は如何にして幸福に成り得るか?という問いに対しての答え。 A.人生をアイス・キャンディーのように味わうこと。」 J•ポール•ギグマン

          SF「人生の楽しみ方」

          ドロステ構造とメタフィクション、草案2

          バートランド・ラッセルの言う、世界5分前仮説と集合についてのパラドックス。 もしくは、再帰的表現とドロステ効果、自己言及について。 「これはパイプではない」と描いたマグリットのイメージの裏切り、エッシャーの描いた描く手、平面の正則分割。 無限性についての言及。 ミシェル・フーコーの言葉と物。 これはパイプではない。 それでは、現実に存在するパイプとは、果たしてパイプか? これら全て、虚構について、ひいて現実について思考が語り得た、もしくは到達し得た回路と把握する。 冗談では

          ドロステ構造とメタフィクション、草案2

          ドロステ構造とメタフィクション、草案

          1、脚本を書いている男。 2、脚本を書いている男を書いている男。 3、「脚本を書いている男を書いている男」を脚本に書いている男。 4、「『脚本を書いている男を書いている男』を脚本に書いている男。」を脚本に書いている男。 というドロステ構造があるとする。 この時、以下の物語は成立するか? 「自分は脚本に書かれた男である、と気付いた脚本家の男」を書いている男の脳裏。 「オレもまた描かれた存在なのではないか?」と、男は天井を仰いでボンヤリと想像した。 と、書き終えた男はふと、

          ドロステ構造とメタフィクション、草案

          民主主義が何故大事とされているか、の散文

          ミャンマーのクーデターとかがあって、気になって調べた。 いやいや民主主義で行こうやあ!つって民衆がデモ起こして、それを国軍が鎮圧する、みたいなことで内戦ちゅーか、そういうのんが激化してる、と。 民主主義国家、良いよね、ってのが割りかし僕らの通念で、通念過ぎてよくわからんから、よくわからん。 民主主義の基本原理は多数決。 国、というもの、集団、というものが成り立っているのは、そっちの方が幸福に近いよね、ってことなんよね、多分。 人間、ホモ・サピエンスが何故ここまで繁栄したか

          民主主義が何故大事とされているか、の散文