ゲボ

ゲボを吐くほどではない。
哀しみに身体がついていけていないだけだ。
致し方なく、受け入れるしかないだろう。
胸が締め付けられるような感覚と、体調不良の重なりだ。

自分が、一つの事象に過ぎなかったこと、もしくは過ぎなくなったことが悲しくて、物事は無意味で不条理だということが堪らなく悲しい。
もともとそうだったのだけど、そうじゃないと思えただけで、愛には価値があるというものだ。

今日のことを20年、30年と忘れないでいられるだろうか。
昔より随分、物事の密度が減った。いいや、物事の密度なんてものは変わっていない。
私の目が腐っただけだ。
私の心が錆びただけだ。

みんながみんな必死に生きている。
軽薄に見える人だって、一生懸命に軽薄であろうと努めているだけだ。

いつからひりつくことを良しとしなくなった。いつから穏やかさを美徳と考えた。美徳だったから穏やかになったわけではなく、穏やかになったから美徳としたんだろう。
いつから自分を信じられなくなった。
いつから自分を見捨てたのか。
見捨てた割には引きずり過ぎじゃないのか。
信じられなくなったから、引きずり始めたのか。

アルコールが麻痺させるのは脳みそで、脳みそが麻痺すれば感情は減る、と思ったが、そうではなかった。助けにはなったが。
実のところ、ただ、運動しているか、否か、という単純なことの方が大きく作用している。

よく乗り越えられたな、と思った夜があった。もはや憶えていないけど。
だから今夜も大丈夫だ。

無我夢中で生きる人々の中に居て、私も間違いなくその中の一人で、私の人生がある。
一つの物語を持った人間であるだけだ。
大したことじゃない。
ゲボを吐くほどのことじゃない。

読んでいただきありがとうございます。血が沸騰していますので、本当にありがとうございます。