「機嫌」
さきほど、雨上がりの路地裏で、雑草がきらめいていたので、上機嫌になった。
私にだって、突然、踊りたくなる夜もある。
「自分の機嫌は自分で取る」と、よく聞く。
なんなら「自分の機嫌は自分で取らなきゃ駄目」とまで聞く。
実のところ、私は自分の機嫌の取り方を知らぬ。
30年間生きてきて、自分の機嫌を取ろうと思ったことが露とない。
不機嫌になることは割とよくあるが、割とすぐ忘れている。物事を突き詰め掘り進めることが出来ない性格なのであろう、ある種の能天気さを抱えて過ごしている葦である。
よくよく考えればイライラすることは多く、その多くは仕方がない、という袋小路へ行き着く。
生きているとそういった袋小路だらけで、あっちこっちへ右往左往しながら、何とかやっているわけである。
世間の皆様には、何か自分には分からぬ概念が周知されているとみえる。
それほどまでにその言葉は当たり前に通じているようである。
とかく不可思議な世の中であるし、
今日も念仏踊りは踊れぬのである。
読んでいただきありがとうございます。血が沸騰していますので、本当にありがとうございます。