東大に受かる勉強法

こんにちは。布施川天馬です。

今日は、僕がnoteの毎日更新を始めてからちょうど1ヶ月になります。
随分と記事も増えましたね。

ちょうど毎日連続更新30日目の節目ということで、今日はいよいよ「東大に受かるための勉強法」について紹介しようと思います。

とはいえ、ほとんどは以下の記事に書いてある通りです。
こちらも合わせてお読み下さいね。

また、合わせて以下のマガジンもお読み下さい。
各教科について、それぞれの勉強の仕方などをまとめています。
これからも更新していく予定なので、もしよければフォローをお願いします!

それでは、始めます。

予習はいらない!?

まず、よく言われる「予習復習が大事」ですが、これについて。
僕は予習はあまり必要ないと思っています。

正確には、いきなり授業を受けてちんぷんかんぷんにならないレベルなら、予習は必要ないと思います。

そもそも、予習はなぜ行うのか。
これは授業での理解の助けとするためです。

それでは、予習は何を持って予習をしたというべきか。
これは難しい。
なぜなら、未修範囲はどこまで行けば「キリがいい」のか分からないし、どこまで理解すればいいのかも分からないからです。

では、どのように予習をすべきか。
これは、「分からないところを具体化できるようになるまで」です。

授業で一番怖いのは、自分が全然理解できていないのに周りや先生は理解していて、自分だけおいていかれてしまうことです。
これをされると一気に授業に行きたくなくなります。

なので、前もって「躓きそうなポイント」を明らかにしておくのです。
これによって、「なんで?」を余裕を持って受け入れることができます。

その際に重要なのが、ただ単に「分からない」というだけではなく、「この単元のどこの部分がわからない」というように、なるべく分からないの範囲を絞っておくことです。

ただ単に分からないというだけではほっぽり出しているのと変わりません。
重要なのは、その分からないから何を拾うのか、何を得られるのかであって、そこにこそ成長のチャンスが眠っています。

ですから、自分自身が一体何に対する理解が足りなくてそれが分からないのか、というところまでは最低限理解するべきです。
逆にいえば、ここまでやれば予習は切り上げても良いでしょう。
もっとやる気力があるのなら、先に先生にそれについて質問しても良いかもしれませんが、あまり最初から張り切っても息切れしてしまいますから、ほどほどにしましょうね。

続いて、復習について。
これは必須です。
それでは、どこまでやるべきなのか?

これは、復習の方法を次のようにすれば解決します。
復習を「身近な誰かにその内容を口頭で教える(模擬授業する)」という形式に変えれば良いのです。

なぜこうするのか。
それは、自分がある程度理解していないと、この形式の復習は成り立たないからです。

授業をするというのは思っているよりも大変です。
自分でその単元を理解していることだけでなく、相手がそれを理解できるような仕立てに再構成して、必要なら言葉や表現を噛み砕いてあげたり、具体例をあげたりしなければなりません。

さらに、相手が理解できないポイントというのはその人によって様々です。
その十人十色な躓きポイントに対して逐一原因を究明して対応しなければなりません。
中途半端な理解ではこれは務まらないことは想像に難くないと思います。

ただし、これは1つ欠点があります。
それは、この方法は基本的に「静かに黙って自分の(拙い)授業を聞いてくれる相手」がいなければ成り立たないということです。
裏技がありますので後ほど紹介します。

この形式は聞き手に対しても相当な忍耐力を要求します。
それはそうです。プロでもない素人が、聞きかじっただけの話をしてくるのですから、積り積れば相当なストレスになるであろうと思います。

逆に、誰かに聞いてもらえているという意識が授業や言語化スキルのブラッシュアップにつながるという面もありますが、しかしながら、結局これはある程度の期間粘り強く二人三脚で取り組む姿勢が両者ともになければ成立しません。

さて、先ほど話した裏技ですが、これは簡単です。
独り言で授業をすればいいのです。
聞き手は自分です。

僕はよく自室に引きこもって、その日に授業で行なった事項について、「なるべくハキハキと大きな声で」説明を空に向かって行なっていました。
なぜ大きな声で行うかといえば、そうすることによって、口をモゴモゴして誤魔化すことを防止できるためです。

この裏技の欠点は、世間体が気になることです。
あまり人の目があるところではやらないほうがいいかもしれません。
また、自分一人では恥ずかしくなる人もいるでしょう。

そういう人は、ぬいぐるみに向かって話しかける方法をお勧めします。
これは模擬授業などで実際に行われる練習法で、たとえぬいぐるみだとしても相手がいるというだけで相当意識が変わります。

予習復習については以上です。

参考書の使い方

「1,807円で〜」の記事でも紹介したように、自学自習は自分の学力を伸ばす大きなカギとなります。
それもそのはずで、受験勉強では自学自習を行う時間の方が圧倒的に大きくなります。
というよりもそうならなければなりません。

学校の授業の良いところはある程度受け身でも進むところ、先生との対話で授業が進むところですが、しかしこれは進度を自分の好きに操れないという欠点があります。

限られた時間で膨大な範囲を扱う受験勉強では、学校の授業頼りにしていては全く範囲が終わりません。
ですから、自習で補うことも必要になります。

なので、自習のお供たる参考書(もしくは塾などのテキスト)の使い方が相当大事になるわけです。

それでは、どのように使えば良いのか。
ここでのキーワードは次の3つです。

・無駄なく
・丁寧に
・一度きりで

とにかく自習は無限に時間を当てられます。
授業とは異なり、一区切りつけるのは自分自身です。
時間の費やせる量が自分次第であるという意味では自由ですが、ダラダラやって時間を溶かすのも自分次第であるという意味で怖いものです。

ですから、とにかく「無駄なく」やることが重要になります。
その中では、「損して得取れ」と言ったような考え方も大切になります。

たとえば、今非常に眠気があるとして、その状況で無理に勉強を続行するのは得策と言えるでしょうか?
僕は全く得策ではないと思います。それではどうするか。

僕なら、15分と時間を決めて寝ます。
何時間続くとも分からない睡魔に襲われながら適当な勉強をするよりは、15分だけ捨ててでも集中できる時間を確保した方が後々の得になると考えるからです。

寝ることが勉強に繋がることもあります。
これは居眠りしろと言っているのではありません。
後から巻き返すためにチャージが必要なら、そのチャージタイムは無駄にはならないと言っているのです。

サボる言い訳としてこれを使ってはいけませんが、この考え方は時間管理が重要となる受験勉強では特に役に立ちます。
この考え方は今でも様々なことに応用できます。

更に、考え込む時間は「無駄」です。
なぜ無駄をカッコでくくったのかと言えば、これは「考えている」時というのは得てして意外と考えていないことが多いからです。

そもそも考えるとはなんでしょう。
照準を絞ってそれについて熟慮していられる時間というのは、意外と短いものです。
15分もあれば良い方でしょう。

なのに、考えるという建前でいつの間にか「考え込んで」しまい、結局ぼーっとしている時間だけ増えてしまう。
こういうことが一番怖い。
ですから、最初からこの時間をカットするのです。

もちろん考える力は重要です。
しかし、いくらでも時間を与えられている時ならともかく、時間がない状況で最大限のパフォーマンスを発揮することを要求される受験本番では、持久力よりも瞬間の力、瞬発力が重要となります。

ですから、時間を計って思考するのです。
僕の場合は、例えば数学の場合は3分と決めて、それ以上かかりそうな場合は、方針だけ予想して、解答をみていました。

そして、「解答を見たところで考える」のです。
解答に辿り着けなかったのは、解答をこさえられる人間と自分(解答できなかった人間)との間に何かしらの「思考のギャップ」があるはずで、埋めるべきはそこにあるのです。

この「思考のギャップ」こそが学ぶべきことで、これを学ぶことができれば、一石二鳥どころか三鳥、四鳥の利益を得ることができます。
ですから、解答を見ながら、「一体なぜこのような方針になったのだろう?」「一体なぜこのような思考の転換ができたのだろう?」「どこからヒントを拾うことが重要なのだろう?」というように、思考の再現を狙いながら考えるのです。

また、自習は丁寧に行います。
穴があってもいい、ササッと行おうという考えでは、何度も何度も戻ってくる羽目になり、結局時短にならなかったということになりかねません。

むしろ、その問題、その考え方とは一期一会であると考えて、そこでお別れしたら二度と戻ってこないくらいの気概で行うのです。
もちろん、実際には分からなかったら戻ってきますが、それでもそれに甘んずることをよしとせず、気合いの上では二度と戻ってこないという決意を固めるのです。

人間は忘れる生き物なので、戻ってきてもペナルティは課しません。
それでも十分に反省の上で行うという姿勢が大事です。
そう言った意味で、自分に厳しく勉強しようということですね。

好奇心を胸に荒野を往く。

最後に、これは全ての勉強法について言えることですが、一番大事なことを言います。
それは、なるべく勉強を楽しもうということです。

勉強を楽しむ。
一見不気味な文字列ですが、これ自体はなんらおかしいものではありません。

そもそも、不思議だ、分からないと思ったことを調べること、これ自体がもう勉強にあたります。
勉強というカテゴリと調べ物というカテゴリを区別すること自体がおかしいことで、確かにお勉強の上で役立つかどうかは別れますが、たかがその程度のことを気にするというのも情けないことです。

それに、前も言った通り、受験勉強は孤独な持久戦です。
一人きりでどこまでも無限に広がる荒野を旅することを強要されます。
そう言った中で正気を保つために必要なのは、仲間でも娯楽でもなく、荒野を旅することそれ自体に喜びを見出す術です。

なんでも良いのです。
まずキッカケになる何かを好きになれれば良い。
嫌いな科目でも、なんで嫌いなのかを把握できればそこからアプローチができます。

嫌いなものでも立ち向かわなければならないのです。
それなら、仲良くなった方が得ではありませんか?
そして、仲良くなることは、自分の意識、努力次第でいくらでも可能なのです。

「東大生は勉強好き」
たくさん聞いた言葉です。
これは一部あっていますが、本質は面倒臭がり屋です。

彼らは、そして僕らの多くは、ただ単に気になることを調べていたら結果的に頭が良くなっていたにすぎません。
勉強を好きになるというのは、気になることを調べたいと思う好奇心を身につけようということなのです。

自分にとって未知なるものを未知であるというだけで遠ざけようとはしていませんか?
それは知を得るものとして良い態度とは言えません。
たかが受験、されど受験です。
その中にも喜びを見出すスペースはあるはずで、それこそが「気になることを調べに行く好奇心」なのです。

この好奇心さえ身につけてしまえば、あとは面白いくらいに成績が上がるでしょう。
まず大事なことはお勉強に対する苦手意識を取り払うことで、これは親御さんにも勉強をする子ども達にも言える共通の課題なのです。
機会があれば、勉強について話し合って見るのも良いでしょう。

最後に

これをもって、1ヶ月連続更新が達成されます。
これ以降は毎週水曜日の夜の更新にしていこうと思っています。

これからも僕の勉強術noteをお楽しみに!



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