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分裂社会を生き抜くために何をするか

現代社会に身を置くわたしたちにとって、「何々しなければならない」という観念にとらわれてしまうことがなんと多いことだろう。グローバル的にもローカル的にも様々なルールに従わなければならない場面が多々ある。個人として皆それぞれ個性も違えば考え方も環境も異なる現実の中で、この「何々しなければならない」という一種の社会的な外的圧力は、人によっては相当なネガティブインパクトになってしまうこともあるだろう。統合失調症に苦しむ人々のアイデンティティと現実の感覚の分裂に焦点を当てたR.D.レインの著書「引き裂かれた自己」では、個人が社会的文脈の中でどのように自己を理解し、他者と相互交流するかについて深く探求してみせてくれた。

私の母は他界してだいぶ経つが生前は精神分裂病だった。東北から上京して20代で発症したらしい。その後、父と出会い私が生まれた。優しい母親だったが社会的文脈の中で静かに苦しんでいたのだと思う。私が中学生の時には離婚して故郷に戻り再婚して穏やかな生活を送っていたが後年は病院暮らしだった。多感な少年時代に目の当たりにした母親の奇異な行動は忘れられないが、今となっては「何故」そうなってしまったのかと思うところがいろいろとある。個人のせいか社会のせいか、はたまた全く別の要因かと考えてしまう。そこに文藝批評家、浜崎洋介氏の自我を「内的自己と外的自己」から紐解いた論評が私の「何故」に示唆を与えてくれた。

荒っぽくまとめて言うと、本能そのものの「内的自己」は、何々しなければならない「外的自己」に責められて少しずつ切り取られ、ついに全てを「外的自己」に覆われてしまうと精神は分裂してしまう。少なからずとも現代社会にはこのような構図が見られる。当然、社会の一員である個人ひとり一人にも大きな影響を与えている。母は、優しさが内的自己のほとんどを占めていたが故に外的自己を全て受け入れてしまい分裂してしまったのではないか。いまとなっては何も確証は取れないが、こう考えると私としても気が休まる。

自我と社会と自然の関係

浜崎氏は、著書「ぼんやりとした不安の近代日本」の中でこのような構図を今の日本に当てはめ、内的自己的な日本は、外的自己的なアメリカに日本精神を切り取られ自信をなくしている状態だと言っている。これはグローバルな事象だけでなくローカル的な事象に対しても言える。競争社会における学歴主義的な学校教育を外的自己とすると、その方針に反発した内的自己を持つ生徒の葛藤などもそのような構図に当てはまるだろう。さらに現状においてはその葛藤が不安となり今も増え続けている。潜在化している自己の内面の不安を含めれば相当な数になると思う。言い換えてみれば、すべての現代人にとって現代を生きていくということは、分裂社会にどっぷり浸かって生きていくということなのだろう。

現在、グローバル社会では様々な問題があちらこちらで生じている。対して、ソフトロー(Soft Low)のインセンティブを活用したプロセスに従い、共同声明、行動規範、ガイドラインの策定など、頻繁に実施されている。ソフトローは、ハードロー的な枠組みが形成されるまでの過渡期や、新しいグローバルな課題が発生した際の対応策として機能するらしい。さて、このソフトローの考え方をローカル的な分裂社会の課題解決に活かせないだろうか。ここで「分裂社会を生き抜くために何をするか」について考えてみたいと思う。

そこでソフトローの発想を個人と社会の課題に落とし込んだ際にどのような効果が出てくるだろうか。大きく二つのメリットを想定してみた。まず一つ目は、「個々の国や組織の独自の状況やニーズに対して柔軟性がある考え方は、各個人の経験や内面世界に対して、共感的なアプローチとして活用できるのではないか」ということ、二つ目は、「国際的な地域社会の特定の課題に対応するプロセスは、個人が属する社会的・文化的文脈の重要性を周りの人々に認識してもらうために応用できるのではないか」ということ。これら二つのメリットは、レインが探求した「わたしたちと他者との関係の中でどのように自己を構築し認識するか」の有用なアクションになるような気がする。 

では、まず何から始めればいいか。一つだけキーワードを提案して置きたい。それは「心理的安全性」を確保するということ。そもそも対人関係が競争的なディベート環境であれば声が大きい人の意見が通ってしまう。当然、そのような環境であれば声が小さい人は意見を言わなくなる。そういう環境であれば各個人の内面世界を共感してもらうことはまずできないだろう。そして声が小さい人はその環境に居続けることで益々恐怖心を抱いてしまう。その結果、たぶん私の母もそのような環境の中にいて精神を分裂させてしまったのだろう。やはり「心理的安全性」が担保されている環境はまず初めに確保しなければならない重要事項だと思う。

そのためには、「オープンで正直な対話で信頼を構築し、各人の懸念や動機を明らかにする基盤を築き、共通の目標や理念に向かって一緒に動くことで個々人の違いや内部対立を超え、異なるバックグラウンドや視点を持つ人々の間で相互理解と敬意を表し、協力的な環境を形成していく」、こんな理想を持ち一緒に歩み続けられれば、この分裂社会の中でいくらか安心して過ごしていかれるのではないだろうか。要は単純に、正直な対話で相手に敬意を表していれば、分裂社会に潜む恐怖を克服して皆安心して生きていけるのではないだろうか。

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