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【記憶より記録】「手塩」を味わう

 青天の霹靂
 そんな言葉が頭の中を駆け巡った元日の夕刻。
 今はただ、苦境の渦中にある方々の一刻も早い救助と一日も早い復旧、そして近い将来の復興を願うばかりです。
 悲嘆の中にも一縷いちるの平安を・・・ひたすらに祈っております。



〇「手塩」を味わう

 相も変わらず、我が家のお正月は質素・・・。
 三が日を「日常生活と変わらない感じ」で過ごすのが、ここ10余年の習わしとなっています。この習慣は、代り映えしない毎日こそが実は稀有で愛おしいということを噛みしめ、且つ「3.11を忘れない」という思いを家族で共有することに繋がっています。 

寒風にさらして「山漬け」になる。(Tさん撮影)

 そんな静かな我が家の正月ではありますが、幸いなことに、ハレの日の食卓を彩る話題には事欠きません。
 昨年末に、北海道から届いた「鮭の山漬けやまづけもその一つ。

 この鮭の山漬け(イクラの醤油漬けも)は、私が作ったルアーで怪魚イトウを釣ってくれている北海道のTさんが、自分で釣った鮭を自ら捌き、塩をまぶして寒風に晒し、美味しい山漬けに仕立てて送ってくれたものです。

Tさんが作ってくれたイクラの醤油漬けも逸品!

 北海道産の魚が種類を問わず美味しいことは周知の事実。
 しかし、このTさんが作ってくれた山漬けは、単純に味覚という物差しだけでは測れない味わいを堪能させてくれる稀有な存在になっています。
 それは、全ての工程(一尾の鮭を釣るところから仕上げまで)に、Tさんの手間暇が費やされていることが大きく影響しているのでしょう。正に「手塩」という芳醇な味わいが加味されているに違いありません。

 此度は、海況の影響で仕上りのタイミングが遅くなったため、塩加減を確認する暇なく送って下さったとのこと。故に「塩味を調整して食べてね!」と書かれた託けことづけもありましたが、かようなご懸念は無用でした。
 本当に「美味しい!」の一言に尽きると。

鮭のTボーンステーキ(焼き魚の塩分調整は大根おろしで)

 この山漬けという方法で加工された鮭は、一般的な新巻き鮭あらまきざけとは異なり、焼いても身がふっくらとしていて喉が渇くような塩辛さはないのです。
 勿論、ハラミ部分の塩味は相応にありますが、それは保存食ならではの塩加減の範囲を超えることはありません。殊に、一昔前の塩鮭しおじゃけの味に慣れ親しんだ経験を持つ日本人に刻まれている「塩鮭のひと欠で白飯2杯は余裕」という魂の記憶が作用するのか、ノスタルジックな気分に浸りながら白飯を頬張ることができるのです(微笑)。

 とかく、日本を取り巻く海の環境が大きく変わろうとしている昨今、それは北海道の海とて例外ではありません。
 この山漬けを賞味することでさえ、当たり前でなくなることだってある・・・そんな風に考えると、一切れの山漬けが与えてくれる感慨も一入ひとしおというものです。 

御礼

 Tさん、心づくしの鮭の山漬け、そしてイクラの醤油漬けを本当に有難うございました。毎年甘えてばかりで恐縮しきりです。
 北海道の壮大で過酷な大自然を感じながら、そして冬が長い北海道の人々と鮭の分かち難い間柄を想像しながら、家族で美味しく頂戴しました。
 切れ目を入れて頂いたお陰で冷凍保存も容易にできましたし、ご懸念されていた塩味は、私たち家族にとっては塩梅が良かったです。
 これからも釣りと共に歩まれんことを・・・。そして、Tさんやお仲間の安全釣行と充実の釣果を、遠く離れた仙台より祈念しております。

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 お時間のある方はご一読下さいませ。


〇 2024年 年始に寄せて

元日とて365日の中の一日に過ぎない

 私は、時を選ばずして発生する自然災害や重大なヒューマンエラーに出くわすと、人が決めた暦の無意味さを感じてしまいます。そしてまた、「時」がシームレスに繋がっているという当たり前の事実を、目の前に突き付けられた気がしてしまうのです。
 何の因果か、人は忘れることでおのが精神を保つ生き物です。
 けれども、人間なればこそ、世の中で起きている出来事(事実)を他人事にせずに咀嚼していく努力と、それを自身に刻み込んでいく作業が求められているように思われてなりません(自戒)。

石粒の小さな決意

 かくして、東の端の島国に暮らす一人の小さな人間の私もまた、さざれ石を構成するひと欠片の石粒として、人の世の平和と繁栄を祈りながら一日一日を送っていきたいと静かに決意しているところです。

今年も恒例の大國神社へ初詣(写真は境内に鎮座するさざれ石
大國神社についてはこちらをどうぞ

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