水の色はみんな違う、というはなし


多様性=自分と違うものを認めること


幼稚園にはいる前のプレスクールのような施設でのはなし。

3~4才児全員がクレヨンで同じ絵柄の塗り絵のようなものをする時間があった。
その時の絵柄は、お母さんと子供が庭のお花にホースで水撒きをしている絵。

ホースから出る水を、私は何色にするか迷った。

よくよく考えた結果、一番近いのは銀色だと思い、私は銀色で塗りたかった。
でも、自分のクレヨンには銀色がなくて、ちょっと違うなあ、と思いつつも、仕方なく一番近い色味の、灰色のクレヨンで塗った。

それを見た他の子が叫ぶ。


女の子「えーっ?なんでお水がこんな色なの?」

私「うーん、ほんとはちょっと違って、もっとキラキラしてるけど。。クレヨン無いから。」

女の子「えー?!違うよ!!お水はみずいろ(薄いブルー)だよ!へんだよへんだよ!」

あまりの剣幕に私も言い返す。

私「違うよ!そんな色してないよ。うちのお水はこのいろだもん!」

なんとか自分なりに、主張はした。

私から言わせれば、うちの水道から出る水の色は、
どう見ても、絶対に、薄いブルーではなかったから。

私には世間のアニメやイラストで、水が水色に塗られているという知識、認識がなくて、それらを真似する、という技術も無かった。

そのうちに他の子もわらわらと何人も寄ってきて私の水の色を否定する。

他の子「お水はこの色、みずいろだよ!」 
女の子「その色、へんだよ、汚いお水!どろみずみたい!」


あまりに、大勢の、集団にやいのやいの言われて、びっくりしてワンワン泣く。。

担当の保育士さんは、「何色で塗ってもいいのよ」と、かばってくれた。既成概念にとらわれないその言葉は、ほんとに救いだった。
それでもまだ例の女の子は「違うよ!」と憤慨していた。


後年、ひょんなことから、このことを思い出して考えたことがある。

幼いときに、「水の色」を考えるときに参考にしたのは、手を洗う時の洗面所の水道水の色。

うちの家の洗面所が、少し変わった、蛇口も洗面台もステンレス製の物だったので、まわりのステンレスの色が反射して水も銀色に見えたのだろう。

対して、「水色だ!」と声高に主張したあの子達の家は、もしかしたら水色の洗面ボールの備わった洗面所だったのではないだろうか??

つまり、私と女の子、双方が「自分の家の水」が「普通」だと主張していたのだなあ、と。

もしかしたら、ピンクの洗面台の家の子は、水がピンクに見えていたかもしれない。


当時は、自分の正当性を主張するだけで精一杯で気づかなかったけど、そんな事実もあったのかもしれないなあ、と。。。
「へんだ!」と怒ってた女の子には確かめるすべもないけど。笑。


人によって、家庭によって、事情が違うし、「普通」も違う。

家族形態も生き方もそれぞれ。

子供だけではなく、大人もそれを理解できなかったり、忘れてしまっていることもありそうで。。

自分の中にも、そういった「違いを認められない」ということに気をつけないといけないなあ、と思います。

メディアで言われる「普通」みたいに言われてること。
全ての事柄に対して「普通の中心」に居続けられる人っていったいどれくらいいるのでしょうかね?

自分とは違う世界や色んな人がいることを、今はネットですぐに知ることもできるようになりました。ある意味、多様性を認識しやすくなりましたよね。


最近では、ネタのようによく使われるようになった、宮城まり子さんの

「みんなちがって、みんないい」


という、言葉。

私も大好きな言葉です。

本心から、こう言える人がたくさん増えればいいなあ、と思います。


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