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非認知能力と東洋思想の人間力


非認知能力:Non-cognitive skills

小さなお子さんがいる方は、この「非認知能力」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。非認知能力研究のきっかけは、アメリカの心理学者David P. Weikartが1960年代にアフリカ系アメリカ人の貧困家庭の子どもたちを対象に、非認知能力教育と成長後40歳時点での収入額や生活保護支給、犯罪率などを追跡し比較した調査研究「ペリー就学前プロジェクト」にあるとされています。この研究に注目し、経済学の視点で分析したのが、2000年にノーベル経済学賞を受賞したJames Heckmanであり、世界で注目されるようになりました。日本でも文部科学省などで定義や説明が示され、教育機関で導入されているようです。

非認知能力とは、主に意欲・意志・情動・社会性に関わる3つの要素(①自分の目標を目指して粘り強く取り組む、②そのためにやり方を調整し工夫する、③友達と同じ目標に向けて協力し合う)からなる。 特に幼児期に顕著な発達が見られ、学童期・思春期の発達を経て、大人に近づく。

文部科学省 中央教育審議会 初等中等教育分科会

非認知能力は200種類以上もあると言われています。共通するのは粘り強さ、協調性、忍耐力、計画性、自制心、創造性、コミュニケーション能力、好奇心、誠実、感情コントロールなど測定や数値化ができない能力であり、学力などの認知能力とは対照的に用いられています。また、これらの能力は成人以降は身につかないとされており、幼少期から非認知能力を伸ばすような教育が重要とされています。先日、我が家の郵便ポストにも「非認知能力を取り入れたプログラム」と書かれた子供向けサッカー教室のチラシが入っていました。

ここで注意したいのは、私たちがこの非認知能力を伸ばす目的です。日本とアメリカでは社会環境や教育内容は大きく異なりますし、わたしたちは雇用形態や収入アップという味気ないゴールのために生きている訳ではありません。ましては、子供の成功を経済的な視点だけで評価してはならないと考えます。子育てというものをもっと本質的に捉え、子どもが将来を生きていく上での原動力を身につけられるよう、親として関わっていくべきです。

東洋思想における人間力

東洋思想における教育の根本については、『父の日に考える父子教育』という記事の中で「本分を見つけるためには「人間関係構築力」と「自己認識力」の2つのチカラを高めていく必要がある」と書きました。さらにその詳細について『弟子規研究所は子育てを頑張るパパを全力で支援します!①』『同②』『同③』の記事にまとめています。

最近クライアントからとても嬉しいコメントをいただきました。これまでは効率を追いかけ何ごとも要領を良くこなそうとしていたが、『大学』の「格物、致知」をしっかり実践しようと思い、皿洗いひとつから丁寧にやってみたところ、他者の気持ちがわかるようになってきて、自律することができ、さらに人間関係もよくなったというのです。

良い習慣を身につける、それは『弟子規』の学習そのものです。一つの行動を続けていくうちに少しずつ習慣化し、やがて無意識でも自然と行動できるようになると、爆発的な効果をもたらします。東洋思想のどんな書物を読んでもつながりが理解でき、心が広がり、EQが高くなり、人間関係で波風が立つことが無くなってきます。――『なぜ徳が必要なのか?』より抜粋

戒定慧

ここで、人間力を高める「戒定慧」という修行の考え方を紹介します。もともとは仏教用語ですが、現代においては広く日常社会に浸透しており、私たちの誰もが毎日の生活に取り組みたい内容です。ひとつずつ解説します。

「戒」というと戒律という言葉のように、我慢したり抑制したりしながら修行をし、破ったら罰せられるようなイメージがありますが、本来は良い習慣を身につけるという意味です。そして「定」は、戒によって心が清浄になる状態を、「慧」は文字通り智慧が生まれることを表します。

修行といっても、よくある「裸で滝に打たれる」などの苦しいイメージではありません。例えば具体的な行動として、約束の時間に対して「数分なら遅れてもいいか」という小さな念が発生した際に「いやダメだ、遅れずに行こう!」と頭の中で自分を行動を律するイメージの方が近いです。このように小さな「戒」をひとつひとつ積み重ねていくことで、やがて心身が「定」の状態に入ってきます。最後には「慧」つまり智慧がついてくるということです。

智慧とは学力のことではないですし、ましてや悪知恵のことでもありません。分解するとそれぞれの漢字に以下のような意味があります。

智---善悪を理解し判断する力
慧---物事の道理や本質を見抜く力

東洋思想において、自身の人間力を上げ、他者との関係性を良くしていく目的は、唯一無二の自己価値である本分を見つけ、それ全うすることです。古書にはここまでしか書いていないことが多いのですが(書く必要がないくらい当たり前のことだったのでしょう)、全うする任務は社会貢献です。自身の才能を自分の為にだけに使うのではなく、社会がより良くなるために命を使うことが使命であり、非認知能力を獲得する目的もここにつながるものであるべきと考えます。

車文宜・手計仁志

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