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【首里三十八景】①平良交差点

 この建物は昔なくて、あったけど別の建物で、ここは古本屋であった。十八、九の頃ここによく通った。歩いてきたり、自転車だったり、スクーターに乗って来たり。

 その頃お目当ては椎名誠の本。怪しい探検隊が好きだった。古本はたくさんあった。あと、清水義範の、パスティーシュものではなく、一昔前な感じの推理シリーズを次々と読んだ。あまり面白くなかったが、読み始めたので、意地になって読み続けた。読むというのは、そういうことである。かんたんに手を出してはいけない。

 平良交差点の思い出は、以上。

 他にもあるけど、まあいいだろう。

 儀保交差点から東、こちらの風景は随分変わったが、あまり変わらない。古本屋は6階建ての建物に変わり、古本などどこにもないが、今でも古本の匂いはする。

 人の一生はいっかいきりとか、一度きりの人生だからというが、間違っている。当たってはいるのだが。

 ひとが死んでも、それでなにもかも終わるわけではない。何か違うものになるが、記憶とか感情、思いや気持ちというものは消えない。魂もそうだ。

 質量保存の法則と云うのがある。中学ぐらいではだれにでもおしえられる法則である。不生、不滅という言葉もある。

 すこし思いを巡らせばだれにでもわかることだろう。命とか、存在というものは、けして一回では終わらない。耐えられない軽さなど、ないのである。少なくとも、この、東洋においては。

 ある意味残念ながら、終わらないのである。残念ながらというは、あたしの考えである。あたしはもう、何回も、何回も何回も生きてきた。文物通して少なくとも数千年は生きて来たし、また、物理的にも実際問題、何回も存在したのである。

 その感想を一言すれば「もう、いい」である。

 ざりうん(うんざりの意)。出島(マジでの意)もういい。

 然しながらそうとはいかないのである。

 そうゆー仕組みになっておる。

 またなにかに生まれる、そういう運命、天命なのだ。

 消えるものなんてなにもない。

 ぜんぶもともと、最初から存在していないのだ。

 見えているものはほぼ、嘘。

 これを写せば、仕方なく、嘘の嘘になる。

 上塗り的な。

 嘘は地層のようにつみかさなる。しかし、やがて朝は来るのである。

 もうええわ!

 と突っ込んでも。

 ありがとうございました〜

 とはならない。まだまだ。

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