見出し画像

在宅医療を始めるまでの物語③

 Cさんは、55 歳のときに肝臓がんがあることがわかり、病院で手術や治療を受けました。一時は休職も考えたようですが、職場の理解もあり、短時間勤務をしながら、通院での抗がん剤治療を続けてきました。
 当初は治療が奏功し、2 年ほどは状態が落ちついていたため、通常勤務にも復帰することができましたが、それから少しして58 歳のときに再発。肺にがん細胞の転移があることもわかりました。
 Cさんはやむなく職場を早期退職し、治療に専念する生活になりました。病院では再び通院で抗がん剤治療を行う計画になっていましたが、前回の治療で副作用が大きかったこともあり、在宅医療で副作用の軽減をしたいと、当院に相談をしてこられました。
 Cさんに来院してもらってお話を伺ったところ、治療を終えたあとの終末期も意識して、在宅医療クリニックを探していたと話してくれました。また、仕事をもつ妻ともよく話し合い、「最期まで自宅で過ごしたいと考えている」という意思を明確に伝えてこられました。
 現在の医療でできる治療がある間は病院で治療をするものの、回復は見込めずに終末期に至ることも十分に意識して、覚悟をもって在宅医療に入ってきたことがうかがえました。

 そこで、まず月に2 回の定期訪問診療と訪問看護を組み、病院の主治医と連携して抗がん剤治療の期間に合わせて、在宅医が吐き気を抑える薬などを処方。Cさんの希望どおり、副作用を抑える治療からスタートしました。
 抗がん剤治療の当初は、前回よりもつらさが軽減し、倦怠感や食欲低下なども深刻ではありませんでしたが、治療を終えても思ったほどの効果は得られず、Cさんはそのまま病院での治療を終えることになりました。
 その頃には食事量も減って体力低下が進んでいましたが、Cさんは胃ろうなどの経管栄養や中心静脈栄養は望まないとのこと。そこで痛みや苦痛の緩和を中心に、在宅でラクに過ごせるように医療・介護の方針を変更。Cさんは妻と一緒に外出をしたり、昔の友人に会ったりと、残りの時間を有意義に過ごしておられました。
 そして、当初にCさんが希望したとおり、最期は自宅での安らかな看取りとなりました。


【解説!】

終末期だけではない、生活を支える在宅医療

 在宅医療というと、「がん患者さんが終末期に利用するもの」と思っている人も多いかもしれません。
 実際にがんの患者さんでは、病院で手術や抗がん剤治療を受け、病院の治療を終えたところで、残る時間は自宅でゆっくりと過ごしたいという希望で在宅医療に移行するケースが多々あります。
 そのような利用の仕方もいいのですが、在宅医である私からすれば、Cさんのように、治療中から在宅医療を検討していただくといいと思っています。現在は、疼痛を和らげる緩和ケアや一部の抗がん剤治療を在宅でも行えるようになっているからです。
 在宅医療で対応できるがんの緩和ケアには、次のようなものがあります。

・疼痛対策(麻薬使用)
適切に麻薬を使い、痛みを取り除きます。麻薬には内服薬や座薬、貼付薬、注射などのさまざまなタイプがあります。
・在宅酸素療法
慢性呼吸不全や心不全などがあるときは、在宅酸素療法を行います。専用の装置やボンベから酸素をチューブで吸入します。
・胃ろうなどの経管栄養
胃に専用の穴をあけ、そこから栄養を入れるのが胃ろうです。鼻から消化管にチューブを入れ、栄養を送る経鼻経管栄養もあります。
・中心静脈栄養
静脈の血管に、高カロリー輸液を投与するものです。消化管の機能が落ちている人でも栄養を取ることができます。
・胸水、腹水の除去
胸や腹部に水がたまって内臓を圧迫したり、臓器の正常な機能を妨げたりしているときに、水を抜く処置をすることがあります。

 さらに、がんの患者さんのQOL(Quality of Life:生活の質、人生の質)の点でも、早めに在宅医療を利用してほしいと思います。病院でギリギリまで治療をして亡くなる前の数週間だけ自宅で過ごすというのでは、せっかく自宅に戻っても、自分の好きなことをする時間や、家族や親しい人との時間を楽しむことができません。
 また、早くから在宅を併用して在宅医療チームと信頼関係をつくっておくと、看取りについての方針や患者さん・家族の希望について、十分に話し合うことができます。数週間という短期間では、それができないまま最期に至ることもあります。
 ですから、終末期のためというより、安心して治療に取り組むためにも在宅医療を活用してください。


紹介状から読み取れる、在宅医療に入るまでの物語

 現在の在宅医療では、病院に通院・入院をしたことがない人が、いきなり在宅医療で治療を行うという例はごくまれです。やはり病院でいろいろな治療を受けていたり、入退院を繰り返し、紆余曲折を経てようやく在宅医療にたどり着いた人が多いのが現状です。

 そこで当クリニックでは、病院や地域の医師からの紹介で在宅医療を始める人に最初に接するときは、事前に紹介状をじっくり読み込むというプロセスを重視しています。
 それまで病院で治療をしていた人が、在宅医療に移行するときには、本人にも家族にもさまざまな不安、葛藤があるものです。
 病院での治療を諦めていいのか、病院の主治医との関係はどうなるのか、在宅ではどんな療養生活になるのか、終末期や看取りを覚悟すべきなのか。自分や家族の命に関わる難問を前に、「この選択でいいのか」と迷っている人が大半かもしれません。

 そうした患者さんや家族の心情に寄り添うためには、これまでの経緯が記された紹介状を、よく読む必要があります。
 紹介状から、病院での治療をサポートするための在宅医療ということがわかれば、在宅医療チームから患者さんに掛ける言葉は「一緒にこれから頑張っていきましょう」となります。一方、長く入院していた人が、もう治療はいいから、家でゆっくり過ごしたいと在宅療養を始めるときは、「今までよく頑張りましたね、お帰りなさい」という言葉になります。
 医療従事者が紹介状で病気の経過だけを見るのでなく、入退院を繰り返すなど、苦労して治療をされてきた物語に思いを寄せることで、本人やご家族も安心して在宅医療に踏み出すことができます。


【事例3で知ってほしいポイント】

● がんの患者さんでは、抗がん剤治療などと併用して、在宅医療をスタートすることもできる。
● 現在は、治療中から治療後の痛み・苦痛を取り除く「緩和ケア」を在宅でも行うことができる。
● 在宅でできるがんの緩和ケアには、麻薬の使用による疼痛対策、在宅酸素療法、胃ろうなどの経管栄養、中心静脈栄養などがある。
● がんの終末期だけでなく、自宅でその人らしく過ごすためにも早めに在宅医療を始めておくと安心。
● 在宅医療チームは、「紹介状」から患者さんと家族のそれまでの物語を読み取り、患者さんらが安心して在宅療養に入れるように支援することを大切にしている。


引用:
『事例でわかる! 家族のための「在宅医療」読本』
著者:内田貞輔(医療法人社団貞栄会 理事長)
発売日:2021年6月1日
出版社:幻冬舎