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患者・家族と在宅医療チームの信頼を築く②

 80 代のEさんは、2 年前に心筋梗塞を発症し、病院で治療を受けています。その後も何回か入退院を経験し、入院をするたびに体力が落ちてきており、在宅で療養を始めることにしました。
 Eさんは8 年前に夫を亡くしたあとに、長男一家と同居をしています。在宅医療を始める際も、40 代の長男と妻が在宅療養のために介護ベッドのレンタルなどの環境を整えてくれ、比較的スムーズに在宅生活に入ることができました。

 まずは月1 回の定期訪問診療と週1 回の訪問看護、週2 回はデイサービスで在宅療養をスタートしました。
 Eさんは、家ではベッドに横になっているか、ソファに座っていることが多いということですが、食事はテーブルに用意されたものを自分で食べることができます。また足腰が弱っていますが、移動やトイレは、ゆっくりと手すりを使って自力で移動できる状態です。
 ただ最後の入院で体力低下が進んでおり、ご家族も1 人で行動することに不安があり、付き添いや見守りが欠かせなくなっています。

 在宅医療にも少し慣れてきた3 回目の訪問のときのことです。
 いつものように血圧などをチェックし、医師が診察をしたところ、特に異常や気がかりはありませんでした。薬の服薬状況を確認し、また次の1カ月分の処方をして診療を終えようとしたとき、医師が「何か心配なことはありませんか」と尋ねると、E さんが「ときどき息苦しい、胸が痛い気がする」と訴えます。付き添っていた長男の妻も、呼吸が苦しそうなときがあり、心配だというお話です。
 心筋梗塞を経験されたEさんは、心臓の機能がかなり落ちていて心不全も伴っています。それによって息苦しさや呼吸苦が出ることもよくあります。E さんの場合も、心不全の症状の1つで緊急性はそれほど高くないと思われましたが、在宅医は「それでは、ちょっと診てみましょう」と返答。立ち上がりかけていたところをE さんの前に座り直し、あらためて胸部の超音波検査を行い、念入りに診察しました。
 そして「今のところ大きな心配はなさそうです。息苦しいときは、あおむけに寝るよりも、ベッドの角度を上げて背を起こすと少しラクになります。痛みが強くなるときは、連絡をしてください」と伝えました。医師の詳しい診察と説明を受け、E さんと長男の妻もほっとした表情になり、笑顔で私たちを見送ってくれました。


【解説!】
患者さんの生活のなかに入っていくのが在宅医療

 在宅医療は、病院の医療とは異なっています。最も大きな違いは診療を行う場所、環境です。
 病院では、診察室にいる医師のところへ患者さんに来てもらうことになります。一方、在宅医療では病院とは逆に、患者さんの生活のなかにわれわれ医療スタッフが入っていきます。

 環境が変われば、それに応じて自ずと医療も変わってきます。例えば高血圧の治療では、病院ならば医師の判断材料になるものは検査などの数値と、患者さんや付き添いの家族の話が中心になります。その結果、血圧や検査値を見て、数値がよくなっていれば治療を継続してもらい、悪くなっていれば薬を変えたり増やしたりする。そういう対症療法がどうしても多くなります。
 しかし在宅医療は、医師が患者さんの家のなかに行くのですから、家を見ることが大切だと考えられています。普段口にしている食事や飲料、服用している薬、生活や睡眠の環境、家族との関わりといった、診察室ではわからないたくさんの判断材料を得ることができるからです。
 患者さんの血圧が前より上がっていた場合、それは知らないうちに塩分の多い食品をたくさん食べていたのかもしれませんし、家族の心配事があって眠れず、ストレスがかかっていたのかもしれません。そうした生活のなかの原因や注意したいポイントを確認しながら、具体的な対処法を一緒に考えていくことができます。


医師-患者という縦の関係ではなく、耳を傾け、共感する

 また病院と在宅では、診療の環境だけでなく、医師と患者さんの関係性も変わってきます。
 病院の場合、医師が治療を主導し、患者がそれに従うという主従の関係になってしまうことが多いでしょう。
 診察のときのスタイルも、医師が診察室の椅子に座って話すか、病棟ならば医師が立っていて、ベッドに横になっている患者さんを見下ろすかたちで接しています。そうした場面でも、医師が上で、患者が下といった関係性を意識させられると思います。

 しかし在宅医療では、そうした医師―患者という“縦”の関係ではありません。在宅医療の主役は、あくまで患者さんです。医師も含めて医療・介護のスタッフは、患者さんの横にいて必要なときにサポートをさせていただくのが仕事です。
 ですから、当クリニックでは患者さんのお宅に上がるときにも、靴をそろえる、挨拶をするなど、「患者さんの生活に入らせていただく」という姿勢を行動で示せるように意識しています。医師が患者さんと接するときも上から見下ろすのでなく、座って患者さんと同じ目線の高さで会話をすることを心掛けています。
 一般の方からすれば、わざわざ説明するまでもない礼儀作法かもしれませんが、病院勤務の長い医師のなかには、患者さんのお宅で
も病院の廊下を歩くようにズカズカと上がり、立ったまま話すよう
な人も時折見かけます。そうしたふるまい1つで、患者さんやご家
族の在宅医療の印象が変わってしまうこともあるので、そこは注意
しなければならないところです。

 また、在宅医療でいちばん大事なのは、患者さん・ご家族が安心して生活できるように「不安をとる」ということです。
 患者さんやご家族が生活には大きな支障がない症状を訴えてくるとき、「そんなの大丈夫」と軽くあしらう医師もいます。しかし私たちは、そういう小さな不安・不満もすぐに否定せず、耳を傾け、共感するようにしています。在宅医は、気になる症状がどういう原因から来ているかも推測がつきますから、苦痛や不快さを解消したり、和らげたりする方法をアドバイスすることができます。
 「話を聞いてもらえた」「気になるところを診てもらえた」というだけで、高齢者は安心されることも多いものです。そうした日々のやり取りの積み重ねが、確かな信頼関係につながっていきます。


【事例5 で知ってほしいポイント】

● 患者さんに病院の診察室に来てもらうのが、病院医療。患者さんの生活に「入らせていただく」のが、在宅医療。

● 在宅医療の主役は患者さんであり、その横で必要なときにサポートをしていくのが在宅医療チームの役割。

● 在宅医療チームがお宅を訪問するときは、靴をそろえる、挨拶をする、患者さんと目線の高さを合わせて会話するなど礼儀と、親しみのもてる接し方を心掛けている。

● 在宅医療でいちばん大切なのが、患者さんと家族が安心して生活を送れるように支援すること。

● 患者さん、家族が訴える些細な不安・不満も、否定をせずに共感する。そうした日常のやり取りが、在宅医療チームとの信頼関係を強固にする。

引用:
『事例でわかる! 家族のための「在宅医療」読本』
著者:内田貞輔(医療法人社団貞栄会 理事長)
発売日:2021年6月1日
出版社:幻冬舎