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自立した魂を謳歌する

息子が18日間のボランティアでカンボジアへ旅立った。

1年ぶりのヒースロー空港、世界各地へ旅立つ人々の活気とざわめき。大きなリュックサックを背負って集まったティーンエイジャーたちは、ここから始まる旅への興奮と日常を離れる緊張感が入り混じったような面持ちで、頬を上気させ話も尽きないよう。空港まで送ってきた親たちは子供から一歩離れた場所でそんな彼らの様子を眺めていた。

ヒースローから8時間かけ、カタールのドーハ空港に飛び、そこから更に6時間かけてプノンペンへ向かうという。

現地ではリュックサックを担いで移動し、カルダモン山脈をトレッキングしたり、ジャングルの中でハンモックを張りキャンプをしたり、地元の家族の人々と共に生活をし井戸水を掘ったり、様々な場所で様々な体験をするようだ。


アンコールワット寺院に昇る朝日を見るだろうか?マングローブ林で雨季の大自然の湿度を体感するだろうか?活気ある市場で現地の人々の人生や生命力を感じるだろうか?井戸水が湧き出る瞬間の歓びに出会い何を思うだろうか?


カンボジアは、私にとって訪れたことのない神秘的で壮麗な古代の仏教や歴史が継承された国で、想像は無限に広がるけれど…。とにかく、息子たちが素晴らしい体験をして元気に戻ってくるのを祈っている。

16歳、もう親ができることはあまりないなと思う今日この頃。初めてづくしのイギリス生活で子供を育て、子供に育てられながらここまできた。あの小さかった手を離し、今ではもう敢えて目も離し、私はちょっとずつちょっとずつ息子から離れ、そっと後ろにさがって見守っている。

そして毎日1ミリずつ老いに近づいていく私は、あの赤ん坊だった息子を肌身離さずおんぶして育てさせてもらったことを一生誇りに思い、ありがとうと感謝をし、手放すべきものは手放して、あとは誰のものでもない己の人生をしっかりと歩いて生きていこうと、そう思っている。

自立した魂を謳歌できるようにと、親としてはこれからの時代を生きる息子に教えたいと思っていたけど、どうやら息子は心配しなくてもすでに自分でハンドルを握って行きたい場所に向かっているようだ。むしろ「自立した魂を謳歌する」という課題に取り組むべきなのは私自身だったということだ。イギリスに来て子育てをし、自分と向き合い、孤独と向き合い、長い長い探求の日々を過ごしてきた。

子育ては、結局人間のことを学ばさせてもらっているのだ。いつまでも一緒に過ごしたいと思うのではなく子供の自立を一歩離れたところから見守っていくこと。その極意を理解しておけば、一緒に過ごす時間は少なくなっても、より深くお互いを思い合えるようになるのだろう。これは結局全ての人間関係にいえることなのかもねと思うのだ。

あれだけ「旅立つ前に部屋を片付けなよ」と助言したけれど、飛ぶ鳥跡を濁さずの正反対で、16歳の部屋は呆れるほどとっ散らかったままだけど、なんだかそれすらも息子らしくて笑ってしまう。限界を感じたら自分で片付けるだろう。
人生は家族だろうがそれぞれのもの。転んだりぶつかったり失敗から学んでみんな自分の最善を見つけ出していく。

息子がカンボジアに逞しく旅立ったのを見送って、不思議と寂しさはなく、なんだか清々しいような気持ちでイギリスの空の下で新しい朝を迎えている。

旅立つ前の晩餐、牛丼で見送った












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