群馬にはサステナブルな駅弁がある
まとめ
群馬県と長野県の境目で美味しい釜飯が食べられる。
釜をきれいに洗ってしっかり乾かせば、ご飯が炊ける。
釜飯だけではなくラーメン、群馬県の郷土料理も食べられる。
7月16日は駅弁の日
1885年7月16日、宇都宮駅で日本初の駅弁が発売されました。発売当初の握り飯とたくあんを竹の皮で包んだものでした。2年後には関西地方にも駅弁が広まりました。1893年、熊谷駅では寿司とパンが駅弁として登場しました。2001年、国土交 通省が駅弁記念日を制定しました。
今回は、群馬県、長野県を中心に食べられる駅弁を紹介します。
峠の釜めし
横川駅に本店のあるおぎのやが販売しています。おぎのやは釜飯で有名です。群馬県、長野県、東京都で販売されており、駅だけではなく、サービスエリアでも販売されています。全国のスーパーマーケットや百貨店、ショッピングモールなどで定期的に開かれる駅弁フェアでも人気です
誕生した理由
荻野屋は信越本線横川駅の開業とともに、横川駅構内の売店として1885年に創業しました。1957年、お客さんの要望に応えて、温かく見た目も楽しいお弁当として、峠の釜めしが誕生しました。当時、駅弁と言えば幕の内弁当だったため、斬新でした。昭和天皇、上皇陛下など皇族の方々にも愛されています。
待ち時間を利用して購入されていた
軽井沢〜横川間には、碓氷峠という難所があります。横川駅は標高386m、軽井沢駅は標高939mと高低差は500mを超えます。最大1000mにつき、66.7mも上がるほどの急勾配の峠です。鉄道は自力では上ることができず、機関車を連結させて引っ張って上っていました。機関車の連結作業は時間がかかるため、待ち時間を利用して駅弁として釜飯が頼まれました。
しかし、財政負担が大きかったため、新幹線が開通したあと、軽井沢〜横川間は廃止され、バスに転換されました。
益子焼で作った釜
釜は栃木県の益子焼というこだわりです。益子焼きは、幕末、益子焼きの釜は保温性に優れていて冷めにくいため、日本初の温かい駅弁です。駅弁を食べた後、土釜としても再利用できます。お米を炊くをことができます。このとき、よく乾燥させる、または、外側の水分を充分拭きとってから火にかけましょう。外側が濡れたまま火をかけると、割れてケガをすることがありますので、ご注意ください。食べ終えた釜を使ってお米を炊く方法は下のリンクをご参照ください。
釜のデザインも、ハローキティなど多くの方が知っているキャラクター、企業とのコラボレーションも行っています。
ちなみに、益子焼は幕末から作られていました。1853年、茨城県笠間市で陶業の修行した大塚啓三郎がはじめました。茨城県の笠間市では、笠間焼という産業が発展していました。当時の黒羽藩主(大田原市を中心とした栃木県東部)大関増昭が、土地を与えて陶器製造を推奨しました。主に台所用の器を製造していました。1924年、イギリスで陶器活動始めた濱田庄司が益子に移住し、土の特徴を活かした作品を生み出し、実用雑記から芸術の域に達しました。現在でも、400もの窯元があり、作品は多種多様です。春には益子陶器市が開催されます。
釜めしだけに頼らない経営
駅弁が主力です。群馬県、長野県にはドライブインがあります。釜飯だけではなくラーメンも食べられます。
高崎駅には、「群馬の台所」というおぎのやが運営している居酒屋さんがあります。群馬県産の食材を使った料理、群馬県ならではのグルメも食べられます。群馬名物のこんにゃく、上州和牛などブランド肉を味わうことができます。釜飯だけではなく、限定商品もあり、茶飯を使った焼きおにぎりも名物です。
今回は、群馬県の有名な駅弁、峠の釜めしを紹介しました。全国各地には、まだまだ魅力的な駅弁が眠っています。今後も鉄道旅を通じて駅弁の魅力を伝えます。