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大学中退して独立したら独立なんて必要なかった話①~⑩

自分への手紙でこんな気持ちになるとは思っていなかった。

かったるい卒業式が終わり教室でホームルームが始まった。ドラマのようなキラキラとした高校生活が現実にあるはずがない。僕の大したことのない高校生活もこれで終わるのだ。男子校で男臭い空気が充満しているこの学校からもこれでおさらばだ。

僕の通っていた学校は福岡では大きめの男子校。進学校を気取っているのにもかかわらず半数前後が推薦で進学先が決まる。推薦が受けれなかった人はまともに受験を受けたところで受からずほとんどが予備校にいき浪人するのだ。一番の進学先は予備校と揶揄されるほどだ。

僕のクラスは文系私立だった。文系私立はスポーツ推薦や推薦志望でクラスの半分近くを占め、9月頃には進学先が決まる。9月以降のクラス内は本当に学校から推薦されるべき人間なのかと疑ってしまうぐらい騒がしい。まるで動物園のような状態だった。進路が決まっている余裕からか、ABC〜が全て言えないスポーツ推薦の人間は騒ぎ、効率よく推薦をとった人間は寝ている。

受験期間になると登校する必要がなくなる。大学によって受験日が違うし受験前は自分で最後に受験勉強しろという意味なのだろう。まだ進路が決まっていない人からすれば自宅勉強時間なのだが、推薦で進路が決まっている人からすれば早めの春休みだ。


卒業式後のホームルームが始まる。今日はいつも以上に騒がしい。当然だ。推薦組にとっては早めの春休みで久しぶりのクラスメート。話したいことがいっぱいあるんだろう。受験に失敗した人は自分だけじゃないと安心感を得たいのか集まって

「後期受験がんばろう」と鼓舞しやっている。

僕は一人「早くおわんねえかな」と思いながらこれで最後であろう動物園のようなクラスを見てた。

すると白髪混じりの身長150cm程度のかわいいおじいちゃんの担任の先生が千と千尋のカエルのような声で

「最後に配るものがあるから名前呼ばれたものから取りに来てくれ。」

と騒がしいことなど毎年の通過儀礼の如くお構いなしで言った。

「尾崎ぃいいい」と呼ばれ

受け取ったのは茶色の封筒。

全員に茶色の封筒が行き渡ったところで

「この茶色の封筒はみんな覚えているかわからんが高校一年の入学した時に書いた卒業する時の自分に向けて書いた手紙だ。開けて読んでみてくれ。」

と千と千尋のカエルのような声で説明した。

そう言えばそんなものやらされていたなと思い出した。高校にもなって子供騙しみたいなことさせるのかなんて、書いた時思っていた。もらった今でさえそう思っている。こんなものを見たところで何も感じるはずがない。何か感じたとしても、まだ子供だった自分への小っ恥ずかしさぐらいだろう。

そんなこと思いながら封を開け3年前の自分へ向けた手紙を読んだ。

読み終えるとなんとも言い難い気持ちになった。

寂しさなのか。悲しさなのか。侘しさなのか。虚しさなのか。

自分への手紙でこんな気持ちになるとは思っていなかった。


ホームルームも終わり教室を出る。廊下にあるスチール製のロッカーから自分の荷物を鞄に詰め込み靴を取り出す。廊下は同じような生徒で溢れかえっていた。男臭が充満する廊下をかき分けてながら1組の教室に向かった。

1組の教室の中を見ていると、僕のことに気づいた様子で「じゃあ俺行くわ!」と友達との話を切り上げ鳥部が出てくるのが見えた。

「お待たせ!尾崎!」

「帰ろう!鳥部!」

そう言って二人男が密集する廊下を抜け駐輪場へ向かった。

鳥部とは小中高の付き合いだ。と言っても中学3年の時からよく遊ぶようになった。今まで一度も同じクラスになったことはないが、中学3年の時に同じ塾だったというのがきっかけで話すようになった。鳥部は目鼻立ちがよく運動神経も良く明るい。どちらかというとイケているグループの人間だが、どちらかというとイケてないグループの僕となぜか馬があった。賢いにもかかわらず立ち回りが下手で、よく先生から怒られていた。よく先生から呼び出しにあい、特徴的な名前から学年では知っている人も多かったと思う。

二人で階段を降り駐輪場に向かいながら

「鳥部は西南で僕は福大。初めて別々の進路やね。」

「そうやね。尾崎が福大やから福大に行こうとしたら、親父から西南受かったんやから西南行けや!って怒られたわ」と自分は間違ってないかのように言った。

親父さんの言うことはごもっともだ。福大と西南両方受かったのだから、偏差値の高い西南に行くのが当たり前だ。志望校と滑り止め両方受かり、滑り止めに行く人間はいない。そんな当たり前のことを間違いのように言う鳥部に僕は面白さを感じていた。

錆びれたトタンの狭い駐輪場につき、いつものように自分の自転車のカゴに鞄を放り込み鍵を開ける。二人並んで通るのがギリギリの狭い駐輪場をゆっくりと抜け校門へ行く。鳥部は奥のほうに自転車のとめている様子だった。校門で鳥部が自転車を持ってくるのを待った。

待っている間、寂れた体育館を見た。そういえばこの体育館で、高校受験受けたななんて思いながら校舎に目をやった。この学校とは本当に今日でおさらばなのだ。

男子校だった僕たちの学校が、今年から女子生徒の受け入れを開始し、共学になるのだ。共学になるため校舎も建て替わることが決定していた。僕たちが通った男子校だった高校も、男子便所しかないトイレも、体育館下の食堂に続く老朽化したコンクリートの道も本当になくなってしまうのだ。この僕たちが通った学校は人の記憶の中でしか存在しなくなるのだ。

「お待たせ!帰ろう」と鳥部が自転車に乗って校門へきた。

二人で二度と通ることのない校門を出て家に向かった。


夕暮れが沈む中、僕はベンチでコーヒーを飲みながら鳥部がくるのを待っていた。ここのベンチは鳥部と会う時の定番の場所だ。このベンチは鳥部が住む実家のマンションの前にあるアパートの中にポツンとあった。僕たち以外がこのベンチに座っていることを見たことなかった。鳥部と仲良くなってからは、暇があれば自販機でコーヒーを買いこのベンチでとりとめのない話を、お互い気が済むまでしていた。二人がけのこのベンチに座ると保育園が見える。迎えにきた母を見つけて子供たちが喜ぶ声が、姿は見えないが聞こえてくる。保育園に夕日が沈んでいこうとしていた。

大学に入って早6ヶ月が過ぎようとしていた。なんとも言えない悶々とした日々を送っていた。大学に行ったからといって自分の望んだ未来につながっているとは思えなかった。そもそも望んでいた未来というものが、見えなくなっていた。行き先がわからなければ、どちらに進んで良いのかわからない。親を探す迷子の子供のような気持ちだ。

この気持ちはきっとあの卒業式の日渡された自分への手紙を読んでからではないだろうか。

3年後の自分へ。

三年後無事卒業できてますか?大学合格できていますか?
きっと僕のことだから無事卒業して大学も受かっていることでしょう。
そして大学進学して頑張ってください。
大学で経理や経営の勉強をしてゆくゆくはお父さんの会社を支えて
3兄弟で仲良く父の会社を盛り上げてください!!

現実を知らない無邪気な夢を見ていた幼い自分の言葉が胸に刺さる。

僕の家族は、父と母に10歳上と8歳上の二人の兄の5人家族だった。僕の父は、福岡で美容室を6店舗展開する会社を営んでいた。兄二人は高校を卒業すると、県外の父の知り合いの美容室に就職して行った。きっと他の会社で修行をさせる意味があったのだろう。兄たちは県外の美容室で6年ほど働くと福岡へ戻ってきて父の会社に働いていた。

そんな二人の兄を見ていた僕は、なんとなく僕も高校卒業したら美容師になるもんだと思っていた。そう思い高校では卒業出来さえすればいいと思い、赤点ギリギリでフラフラと遊んでいた。すると父の逆鱗に触れてしまい、怒られてしまった。

「もう美容師はうちに入らない。お前は大学に行け。」と。

最初はびっくりしたが元々ファッションに疎い僕は、大学で経理や経営の勉強する方が、父の会社に貢献できると思って納得した。

しかし状況は僕が高校を卒業する時には変わっていた。兄二人は父の会社でどっちが次期トップになるかで派閥争いを行なっていた。結局は長男が父の会社を抜け独立し、会社を作ることで決着を見せた。

僕の3兄弟で父の会社という夢も無情にも消え去った。

かつて持っていた夢が、どうあがいても叶うことのないという現実を自分への手紙で突きつけられたのだ。

3兄弟で父の会社という目標を失った僕には、大学に行く意味を見出せなかったのだ。大学行ってどうなるのだろう。大学卒業したら普通に就職するのか。別に知らない会社で経理をしたいわけではない。僕の人生はどのようになるのだろうか。

子どもたちの声もいつの間にか聞こえなくなり、夕日が沈み終わろうとした時に

「うぃいいいす!お待たせ!」と

鳥部がやってきた。


鳥部はいつものように僕の左側に座る。甘い缶コーヒーをプシュッと開け、僕のブラックの缶コーヒーにコツンと当てると飲み始めた。ゴクリと一口飲むと

「俺ついに中免とったよ!」

といつものように屈託のない笑顔で自慢げに言った。

「まじ!やるやん!」

と先にやられたと思いながら僕は言った。

僕たちはバイクに興味があった。正確に言えば、僕が最初に興味を持った。歳の離れた兄の影響だ。兄たちは高校生になると、バイクの中型免許を取りバイクに乗っていた。バイクを乗りこなす兄たちが、僕にはかっこいいヒーローのように僕の目には映った。僕の誕生日になるとまだ小学校3年生の小さな僕をタンデムシートに乗せ誕生日プレゼントを買いに連れてってくれた。大きなバイクを運転する兄は頼もしかった。兄の大きな背中に捕まると、自転車の何倍のスピードが出る怖いバイクの上でも、なんだか安心感があった。

僕は高校生になると原付免許をとった。原付免許をとり、鳥部に自慢していると鳥部もすぐに原付免許をとった。そしてバイクを買い二人でよく遊びに行った。自転車から原付に変わり移動範囲がびっくりするぐらい広くなったのだ。海や山に目的もなく遊びに行った。たった50ccのエンジンが僕たちに自由を与えてくれた。大学に入ったら中免を取ってバイクを買おうと二人でよく話していたのだ。

原付免許は僕が先に取ったのに中免は先に鳥部が取ったことに「僕も早く取らなちゃ」という気持ちが強まる。

鳥部は自慢げに免許証を見せてくる。免許書には普自二の文字が書かれていた。そのたった3文字がヒーローの証のように思えた。

「僕も早くとらんといかんな。」

そういうと僕は携帯電話を取り出した。教習所のサイトにアクセスに予約状況を見ながら

「鳥部は、なんのバイク買うか決めてるの?」

「やっぱり俺はアメリカンだな」

と答えながら鳥部はコーヒーに口をつけた。

僕は教習場の空いている時間に予約を入れ

「僕もぱっぱと免許とるわ!免許とったらバイク買って二人でどっかツーリングいこう!」

「おう!せやね!」

といつもの軽い感じで言った。

遠い未来は、僕には見えなかった。でも昔から憧れていたバイクに乗れば何か変わる気がしていた。


自分の部屋でコタツに入りながらバイク雑誌を見ていた。すると携帯電話が震える。カチッと開けてみてみると、はぎからのメールだ。液晶モニターには「いいってよ」という文字が映し出されていた。

はぎは地元の友達で、小中高大と僕と同じ進路をだった。高校では別々のクラスで、廊下でたまにすれ違う程度で会うことは少なかったが、小学校中学校の時は良く同じクラスになっていた。はぎは警察官の息子で正義感が強く優しく明るい。イケてないグループでも、イケているグループでも、ヤンキーグループでも、分け隔てなく接するはぎがクラスの中心にいるのは必然だった。

そんなはぎからのメールだった。はぎから白田が400ccのバイクを買ったと聞いていた。白田も地元が同じで小学校、中学校が同じだった。特段仲が良いという関係性ではなく遊ぶ関係ではなかったが、全く話さないという関係でもなかった。会えば話すし、すれ違えば挨拶する。しかし連絡先は知らない。子どもなりのご近所付き合いの関係。そんな言葉が合う関係性だった。そんな関係の白田がバイクを買ったということを聞いたのだ。

白田がバイクを買ったことを聞いた僕は、はぎにお願いし、白田にバイクを見せてくれるように頼んでいたのだ。その返事が来たのだった。

地元が同じで知っている人が、バイクに乗っているというだけでワクワクしていた。買ったバイクもHONDAのcb400sfスーパーボルドール。50万前後の価格で僕たち学生にとっては良い値段だ。久しぶりに知り合いに会う緊張とバイクを見れるワクワクが重なり合っていた。

そんな気持ちを抑えながら、ポチポチと携帯電話のボタンを押し、はぎに返信をしたのだった。


翌日夜9時ごろ、僕は家の玄関の前に座ってた。

どこか遠くからバイクの音が聞こえる。音がしてくる方向をみてみると、バイクのヘッドライトの明かりが見えて近づいてきた。400ccのバイクと原付が玄関の前で座る僕の前で止まった。400ccのバイクに白田が、原付にはぎが乗ってきた様子だった。白田とはぎはヘルメットを外した。

「よー!久しぶりやね!」と僕が声をかけると

「オザ!久しぶりやね!」と白田言った。

懐小学校の時代のあだ名を呼ばれ、僕はなんだか懐かしい気持ちになった。

「はぎも結構久しぶりよね?はぎ原チャ乗ってんだ!」

「高校の時以来よね。原チャは通学用に買ったんよ!」

久しぶりに友達に会い、テンションが上がっていたが、ふと白田の顔をみるとどことなく暗かった。

「どうしたと?白田!テンション低いやん!」と言うと

「いやー、買ったばっかりなのに立ちゴケしてしまたんよ」とバイクの方をみた。

バイクを見てみると右のウィンカーが90度に曲がっていた。垂直に垂れ下がったウィンカーがまるで泣いているかのように見える。

「鳥部も今バイクの免許取ろうとしているから、今度みんなで集まろうよ」

白田は壊れたバイクを見せる恥ずかしさなのか少し難色を見せたが、バイクを自慢したいという欲求が勝ったのか承諾してくれたのだった。


そんなに需要あるのかと疑うぐらい大きな駐車場を構えた地元の手芸用品店で僕と鳥部は待っていた。24時間営業のスーパーと兼用で利用できる駐車場とはいえ、手芸用品店にしては広すぎる。手芸用品店は営業時間が終わって周りは暗くなっていた。手芸店の入り口から手芸用品店とは縁のなさそうなバイクが入ってきた。

「多分あれやね」

「せやね」

と最小限の会話をしながら待っているの僕たちの前にバイクが止まった。先日の同じように白田とはぎがバイクと原付に乗って現れたのだ。白田とはぎはヘルメットをとっていると、後ろから長髪ロン毛のパーカー姿の男が近づいてきた。見知らぬ男に僕は身構えると

「末石も呼んだんよ!」と明るい感じで白田が言う。じゃあ早めに言ってほしかった。少しびびってしまった自分が恥ずかしくなった。しかも知っている人に対してだなんて。

末石も小学校、中学校と地元が同じ人間だ。末石とは同じクラスになったことがなかったが、中学校3年生の時、鳥部と同じクラスだったことを覚えている。放課後鳥部と帰ろうと鳥部のクラスにいくと、鳥部は末石と、もう一人同じクラスの金子と3人でキャッキャキャッキャと遊んでいたのを覚えている。その時に顔を合わせていた程度の関係だった。

久しぶりに見た末石は身長は伸びすらっとしたスタイルで、髪も長くカッコ良かった。僕と同じぐらいの身長のイメージだったが僕よりもかなり身長が高くなっている。

「久しぶり!鳥部!オザも!」

とかっこいいスタイルとは似つかわしくない明るい声で末石は僕たちに挨拶した。変わらない声質と地元の人しか呼ばないあだ名で、懐かしさを感じていた。がっつり話したことのない人でも地元の人は僕のことをあだ名でオザと呼ぶ。中学校1年の担任の先生もオザと僕のことを愛称で呼んでいたほどだ。そんな昔の記憶が蘇りながら、恥ずかしさを打ち消すように僕は言った。

「末石も来るなら二人乗りしてくればよかったやん」とバイクの二人乗りが免許取得から1年以上たたないとできないことを知りながらニヤニヤと茶化しながら言うと

「1年以上経たないとダメやん」と真面目に返す白田。

まるで今までずっと友達だったかのような会話。つい最近一度だけあっただけなのに。地元が同じという共通項とバイクが好きというだけでここまですぐに仲良くなるのかと僕は内心びっくりしていた。

この日から僕、鳥部、はぎ、白田、末石はよく集まり遊ぶようになった。暇があれば夜のスーパーの前や僕の家などに集まり、学校の話やバイトの話、バイクの話、とりとめのない話をしていた。話すことが尽きないことに自分でも驚いてしまうぐらい集まって話していた。僕はこんな日常がいつまでもいつまでも続くと思っていた。


午前3時。新聞配達のスーパーカブのエンジン音が聞こえる。走り出すエンジン音とサイドスタンドを出す音が繰り返され小気味よい。午前3時は深夜というのか。早朝というのか。きっとその表現の違いは、それぞれのメンタルによるものだろう。起きて今から何かをするなら早朝になり、何かをやり終え寝るのなら深夜になるのだろう。

僕たちは早朝3時にいつもの手芸店の駐車場に集まろうとしていた。僕は一足早く手芸用品店の駐車場に到着して皆が来るのを待っていた。

ここ数年の間で僕たちはバイトをして、それぞれバイクを買った。白田はCB400sfスーパーボルドール。はぎはイントルーダークラシックというアメリカンバイク。鳥部はバルカン400というアメリカンバイク。僕はSR400という400ccのバイクの中では小さな車体のバイクを買った。末石は免許を撮るのがめんどくさかったのか、免許を取らず皆のバイクの後ろに乗っていた。そのバイクに乗って皆で様々なところにツーリングに行くようになった。地元で有名なツーリングスポットである志賀島から始まり、佐賀県唐津や熊本県阿蘇そして大阪。みんなで時間を合わせてバイクを走らせていた。

そして、ついに今日みんなで行くのだ。バイクで東京に。

今までのツーリング先の中で一番遠い。福岡~東京まで1000キロを超える。1000キロ超えのツーリングは大学生の僕たちにはロマンがあった。僕の家で皆で日本地図を広げて

「遠っ!!大阪の倍やん!」とはぎ。

「大阪でも結構きつかったけん、相当ヤベェーんじゃない?」と白田がいう。

「いやいや!余裕余裕!!大体この距離が2時間として」と僕は親指と人差し指で6センチぐらいの間を作り、ぽんぽんと福岡から東京までの距離を簡単にはかって見せた。

「ほら!あっという間や!」

「いやいや!大阪の時もそれやって全然違ったやん!」と末石がつっこんだ。

「確かに大阪より辛くはなるやろうな。白田とはぎのはまだ新しめのバイクだから良いけど、俺と尾崎のバイクは結構古いけん、途中でぶっ壊れるかもな」と鳥部。

「ぶっ壊れてたら置いて行こう!俺のしかばねを超えていけで行こう!」と僕が言った。

そのようなことを思い出しながら、早朝3時の手芸用品店の駐車場で、一人たばこを吸っていた。すると携帯電話がなった。鳥部からの電話だった。出てみると開口一番

「バイクが動かんごとなった!!!」


えっ。まだ出発もしてもないのに。


タバコの火を消し、鳥部がいるという地元にある駐車場にむかった。駐車場に着くと鳥部と白田が一生懸命にバイクを押している。押しがけというやつだ。押しがけはバッテリーが上がった時などに使われるバイクのエンジンのかけ方である。バイクを押して、ある程度のスピードが出た時にクラッチを繋ぐとエンジンがかかる。その押しがけを行っていた。

バイクに鳥部が乗り、後ろから一生懸命に白田が押している。

「いいんじゃない!鳥部」と白田。

その合図でクラッチを離す鳥部。

ブルン!とエンジンのかかる音がするが安定せずプスンとエンジンが止まる。

「なんでや!!もう何十回もやってんぞ!!」と怒りながらバイクを降り、地面に倒れ込んだ。

「セルのスイッチが逝かれてしまったパターン?」と聞くと

「そのパターンと思うんやけど」とゼイゼイと肩で呼吸をしながら鳥部は答えた。

前大阪へツーリングに行った時もそのようなことがあった。山口あたりでセルスイッチが壊れてかからなくなり、押しがけで大阪までのツーリングを行き通したのだ。休憩でバイクのエンジンが止まるたびに、交代で鳥部のバイクを押しがけしていたことを思い出した。

疲れている鳥部を見て

「じゃあ少し変わろうか」と鳥部のバイクに跨った。すると違和感を感じた。やけにバイクが軽い気がする。そしてバイクを起こした時に聞こえるかすかなガソリンの音が聞こえない。

「鳥部、これガソリン入ってる?」

「えっ、最近入れたはずやけど。」

バイクを横に揺さぶると少ししか入ってないペットボトルの振った時ようなの心許ない液体の音が聞こえる。

「多分、これガス欠やと思うよ」

「いや!ガソリンのはずはない!!入れたもん!」と頑なな鳥部。

頑なな鳥部を「まあ、入れてみてダメやったらまた押しがけしよう。どうせガソリンはツーリングで必要なんだから。」と説得して、白田と鳥部でガソリンを買いに行ってもらった。

はぎと二人でガソリンを買ってくるのを待っていると、暗い中から一人の男が近づいていた。見てみると青白い顔をした末石。汗もかき、ぐったりしている。

「どうした?末石?」と心配して聞くと

「夜起きた時気合い入れるために栄養ドリンク飲んで、3時から押しがけをやらされて、気分悪くなって吐いた。」と簡潔に教えてくれた。通りから隠れた排水溝で吐いてた様子だった。

「あら?鳥部たちは?」と聞く末石。

ガス欠かもしれないと話すと、自分が一生懸命に押していたことが無駄だったことを悟り末石はため息をついた。

そんなことをしていると鳥部と白田が戻ってきた。携行缶に入れられたガソリンを鳥部のバイクに入れる。そして再度押しがけをしてみると今までが嘘だったかのようにエンジンがかかった。

「よっしゃ!!!!」と喜ぶ鳥部。

なんとも言えない顔をしている押しがけに付き合わされた面々。

もう次は誰かトラブルにあっても置いていくからと確認し、僕たちはやっと地元の駐車場を出たのであった。


僕たちは地元の駐車場を出発して福岡ICへ向かった。まだ日が上がってきてないが、あともう少しで日が昇ることを知らせるように、空はほのかに明るくなってきていた。地元の駐車場から出発する時に、九州を出て山口県に入った一番近いSAで一旦皆で休憩しようと約束した。

早朝の高速道路はまだ車は少なかった。僕、鳥部、はぎ、白田の順番で走っていた。白田のバイクの後ろに末石が乗っていた。この順番には理由があった。性能が悪い順である。性能が良い順で走ってしまうとどうしても性能の悪いバイクが遅れるとってしまうし、僕と鳥部のバイクははぎや白田のバイクに比べると、古くトラブルが起こる確率が高い。万が一トラブルにあった時一人取り残されたら辛い。高速で走っていく車。動かない鉄屑化したバイク。仲間に電話しても運転中で電話に出ない。先に進んでいく仲間。一人途方に暮れる。考えただけ寂しい状況が目に浮かぶ。できるだけ人員を集め対処できるよう性能の悪い順で走っていた。

僕は10年落ち振動が強いSR400のブルブルと震えているサイドミラーをみると、まだ少し暗い中に3つのヘッドライトが見えていた。バイクに乗る際離れたバイク同士話せるヘルメットにつけるインカムが売られている。大学生の僕たちにはそんな高価な代物は買えなかった。インカムを持たない僕たちにとってはそのヘッドライトの灯りがちゃんとついてきている確認できる唯一のものだった。

緑の看板に山口という文字が見えてきた。もうすぐ関門海峡だ。

「やっとここからが本番だ。」そんなことを思っていた。やっと地元の福岡県から出るからだ。ここから10回県境を越えていかなければならない。やっとイチなのだ。でも確かなイチだ。心を引き締め関門海峡にある関門橋へアクセルを少しばかり開けた。ドドドとバイクの排気音が速まった。

九州と本州をつなぐ関門橋を走らせる。少しばかり磯の香りを感じる。車では感じられない。バイクだから感じることができるのだ。海の近くを走れば磯の匂いを感じることができる。山の入り口に入れば、温度が下がったことがあたる風から伝わってくる。バイクは五感を使って乗る乗り物なのだ。しかし大きな橋は慣れない。高所でなんだか股間がゾクゾクするし、海風が強くバイクが風にあおられる。きゅっとタンクを足でしっかりと挟みながら僕は橋を渡り切った。

橋を渡り切りサイドミラーで後方を確認してみると何か変だ。ヘッドライトが2つしか見えない。一旦視線を前に戻しまたサイドミラーをみる。やはり2つしか見えない。バイクが重なって2つに見えていたわけではなさそうだ。

何かあったのではないかと不安になる気持ちもあったが、高速道路でバイクで走行中やれることは何もなかった。できることと言えば約束したSAに行くことしかなかった。何があっても後戻りはできない。心配しても何もできることはない。できることは自分の前に続く道を前に進むことしかできない。何か人生の教訓めいたものを感じながら、SAへ急いで向かったのだった。


SAの文字が見える。ウィンカーを出す。サイドミラーを確認すると、後ろを走る二台もウィンカーを出した。SAに入ると、バイク用の屋根がある駐車場にバイクを止めた。後ろの二台も横に並んで駐車した。その二台を見てみると、鳥部とはぎだった。白田がいなかった。

「白田は?」と聞く。

「わからんが急におらんごとなった。北九州あたりから後ろからついてこなくなった。」とはぎが話す。

そうか。一番白田の近くを走っていたはぎがそういうなら間違いないだろう。北九州あたりで、何かあったに違いない。もしかして事故にあったのか。僕たちに比べて、事故に遭っている白田だったらありえる。いやいや事故にあったとしても、3人とも全く気づかなかったというものおかしなものだ。事故ではなくても、何かトラブルがあったに違いない。そのような一人脳内会議をしながら、何も不安な気持ちがないように

「まあとりあえず、はぎ白田に電話してみて。出るかわからんけど」

「オッケー」とはぎが電話をかける。するとすぐに電話に白田が出た様子だった。うん、うん、うんと小気味よくはぎが相槌をしている。ある程度相槌を繰り返した後で「うん、オッケー!わかった。」とはぎは電話を切った。

「んで、なんて?」と鳥部。

「よくわからんけど、急にエンジンが止まったんだって。またエンジンをかけたら、かかったから、また走らせたらまた止まるんだって。どうしようもないから、とりあえず今JAF呼んだから、バイク屋に行ってみるって。俺は気にせず行っていいよ。追いつくからだってさ。」


とはぎから説明を受けた。とりあえず事故でなくてよかったと少し胸を撫で下ろした。しかし同時に白田の新しいバイクですら、トラブルにあうということは、自分のバイクはこのツーリング中もつのかという不安出てきた。でも悩んでも仕方がない。まだ起こってないことに、不安を抱いても仕方がないのだ。不安で何もしないことほど無意味なことはない。

「って言ってたけど、どうする?待つ?」とはぎ。

「いや行こう!元々どんなトラブルがあっても走れるやつは東京まで走りきろうって言ってたやん。そしてこれからはそれぞれで好きなように走ろう。」

「ん?どういうこと?」と鳥部が聞く。

「それぞれの疲労具合も変わるやろうし、バイクのエンジンも違うからそれぞれで行こう。休憩が必要なら自分で判断して休めばいいし、そっちの方が人に合わせて走るより安全な気がする。」

「せやな!レースやな!!」と鳥部が嬉しそうに言った。

「飛ばしすぎるなよ。鳥部のバイクも古いし、事故ったら元も子もないからな。

「わーった!わーった!」とわかってるのかと言いたくなる様子でいった。

こうして僕たちはそれぞれで東京まで走ることになった。


バイクは僕に教訓をくれる。

仲間だからといってずっと一緒に走る必要はない。時にトラブルに遭うこともある。時に人より出遅れることもある。時に一人立ち止まり休みたい時もある。共に目指すものが一緒なら良いのだ。あいつらならきっと追いついてきてくれる。そう信じて自ら前に進むしかないのだ。

そして、何もせずに座っていても、東京は自ら僕らのもとにくることはない。何もせずに目標を達成することはないのだ。もし何もせずに達成したとすれば、それは他の人の達成に違いないのだ。そんな達成嬉しくもない。どんなにきつくても自分のバイクは自分でしか運転できない。目標達成のためにできることは自ら前に進むことだけなのだ。


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