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Day 9:最近泣いたこと/書く習慣1ヶ月チャレンジ

最後に自分自身に関することで泣いたのって、いつだろう。
ちょっと思い出せない。

悲しいニュースを見て。
心温まるストーリーに胸を打たれて。

そんな風に、外からやってくる出来事に反応して泣くことがほとんどのような気がします。

そんな私が最近泣いたのが、映画『his』をAmazon Primeで視聴した時。
(以下、ネタバレ含みます。)



昔から(たぶん、子どもの頃から)不思議に思っていることがあるんです。

「誰かを好きになることはとても素晴らしことなのに、どうしてその相手が異性か同性かで区別や差別をされないといけないんだろう」と。

この映画は男性同士の恋愛がテーマで、日本における同性愛に対する偏見の強さや、それによって彼らがどんなに生きづらく、苦しく悲しい思いに苛まれているのかが痛いほど伝わってきます。
ただ、愛する人を愛しているだけなのに。

私の恋愛対象は今のところ異性のようですが、それは単純に、これまで恋愛感情抱いた相手がたまたま異性ばかりだっただけのことだと思っています。これから先、どんな人に恋をするのかなんて分からないので、「私は異性愛者です」とわざわざ宣言する必要もないのかなと。(宣言する場面がそもそもないですが。)

一般的でない、普通でないという多数決によってはじかれた少数派を排除し、「みんなと同じでない=異常」とする方程式は本当に正しいのか。
恋愛的指向や性的指向が「正しいか・正しくないか」で判断することによって、誰を幸せにできるのか。

「誰が誰を好きになろうと勝手や。好きに生きたらええ。」

映画『his』

劇中に登場するこのセリフ。
これがすべての解じゃないかと思ったと同時に、私の涙腺は決壊しました。

「自分たちのような存在は世間に認めてもらえない」と都会から村へ移住し、他者との関りを持たない生活をしていた主人公でしたが、村の人たちや無垢な子どもとの交流によって、他者を認めていないのは自分の方だったということに気付いていきます。(そして、この「他者」には、皮肉なことに自分自身も含まれていたりするんですよね…。)

誰が誰を好きか。その相手が異性か同性か。
恋愛問題に限らず、他者の事情に物知り顔で首を突っ込む人が多すぎる現代、映画『his』で「人を愛すること」「他者と関わること」について純粋な思考を巡らせてもらえたらなと思います。



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