予想通りの人生じゃないけど、後悔はない。予想し得ない感動もあるから。
就職も失敗し、最初に勤めた所も1ヶ月でクビ
思えば、挫折ばかりの人生です。そんな挫折から毎度立ち上がって今があります。学生時代思い描いた未来とは予想していたのとは全く違った今だけど、予想を越えた感動もあったのは事実です。そんな過去を、振り返ってみようかな、と思いました。
僕の社会人デビューは挫折から始まりました。元々、大学が法学部だったこともあり、当時、就職難でもあったので、最初、法律事務所に勤めようと思い、働き始めたものの、驚くなかれ、わずか1ヶ月あまりで辞める羽目になります。何も出来なかったし、足を引っ張るだけの日々。
弁護士さんから直接、やめた方がいいのでは、と言われ、僕もあっさりやめました。何より苦しかったからです。自信だけを失い、わざわざ大学まで出て、この有り様かと悲しくなりました。
そこから先目的を失い、僕は毎日、ハローワークに通い、いろんな職種のセミナーを聞きにいきました。今でもあるのかな、六本木一丁目にあるハローワークで、よくセミナーをやっていたんです。それで、いくつか受けるうちに、メディアに興味を持ち始めました。でも、俺なんか無理だよな、と思いながら。
理由はシンプルでした。人の話を聞くのが僕は好きだから。そして表現することにも興味がありました。
当時、大学の仲間と、ウェブの掲示板でのやりとりをしていて、情報を吸収することの楽しさと、それを発信する楽しさがありました。
「ほぼ日」になりたかった(笑)
それともう一つ。僕の大学時代に創刊された「ほぼ日」に憧れました。糸井重里さんはコピーライターとして著名な方ですが、段々、広告の役割が変わってきていることを実感しているようでしたし、何より自分の言葉を発信する場所がなくなってきていることを思っているようでした。
当時、糸井さんは何かの雑誌の連載こそあれ、そこでの連載を失えば、自らの言葉を発信できることができなくなるかもしれないと考えて、自らウェブを立ち上げた、確かそんな感じだったと記憶しています。とにかくその行動に、胸が高鳴りました。
大学では僕は法学部で、文学部でもないし、文章で褒められたこともない。でも、このハローワークで受けたセミナーをきっかけに、僕は全く今まで考えたことのなかったライターを志したんです。
親には申し訳ないな、とは思いました。なぜなら、親は安定した仕事についていて欲しかったようですし、僕もそれに応えて、一つの会社でずっと勤め上げて、と考えていました。
その方が楽でしたしね。でも、結局、怖かったんです、自分が決めてしまうことに。本当に正しいかどうか、わからない。責任を取らなきゃいけないし、みたいな事で、決められない、発案できない人間でした。
でもね、このスタートの大きな躓きのおかげで(と言ってはなんですが)僕は、自分で自分の人生を切り開くのに、そこまで抵抗がなくなりました。どうせ踏み外しているしと。
こうなったら、本当に自分のやりたい事をやろうと開き直ったのです。そして、人の話を聞くこと、ほぼ日への憧れで、メディアに行けないだろうかと模索するようになります。
必死で掴んだキャラ業界の新聞記者だけど・・
そこのハローワークのセミナーの先生(メディアに勤められてる方)に、こんな事を言われたんです。「例え、文章が書けなくても、どんなに小さな企業でもいいから、メディアに関われたなら、そこで3年間やり続けなさい。そうすれば、その後で、他のメディアへの道が見えてきて、メディアとしての進路が開けます」と。
そうかと。で、メディア一択で、ハローワークで探していましたが、偶然、とある会社が目に止まります。東京ピーアール企画??
キャラクター業界の業界紙「ファンシーショップ紙」で記者を探していたのです。他にも、メディアはなくはなかったし、でも、一番興味を惹かれたのは、この会社でした。なんとしても入りたいと。
なぜか。馬鹿馬鹿しいと思われるでしょうがぶっ飛んだ事を言いますが、「ドラクエ」が好きだったからです。
ドラクエってね、(ストーリーは決まっているけど)自分の頭で考えて、謎を解いて、道を切り開いていく。そこには仲間の友情とか、あたたかなメッセージで溢れています。
色々な人に夢を与えている、なんて素敵だと。だから、エンターテイメントの業界に関わりたいという思いが強くて、それに近づきつつ、ライターができるかも、と。
コンプレックスを脱却するための目標設定の罠
思えば、法律事務所を受けたのも、自分のプライドを優先させた決断だったんです。
就職氷河期と言われ、僕はバンダイ、タカラ、トミーなどといった会社に勤めたいと思いましたが、受かりませんでした。僕はそこでの挫折を取り返すように、「法学部だから法律事務所」と、見栄を張って、当時の教授にお願いしたりして、受けたのでした。
でも、その前からずっと挫折してきて、コンプレックスを跳ね返すために立てた目標ってダメなんです。なぜなら、その目標を果たした時に、やりたいことがないから、その目標を達成しようという強さがない。
大事なのは目標を果たした後、何がしたいかだと思いました。
で、兎にも角にも全てが崩れ去った。その時に、僕が思ったのが、ライターであり、エンターテイメントに関わることだったから、このキャラクター業界紙「ファンシーショップ紙」はどうしても受かりたかった。
履歴書以外も、イラスト描いた自己紹介なども持っていった記憶があります。そして、まさかの合格なんですよね。それまで女性しかライターを採用していなかったので、異例でした。
よっしゃ、ここから僕の本領発揮、快進撃
…と言いたいところですが、記者としてスタートしたものの、またもや挫折です。当時の先輩記者から僕の書いた文章は、9割赤字。
「ダメだ、この記者。」と言われ続けました。ただただ苦しくて1年半。社内でも冷ややかでしたし、社外でも自分でも自信が持てなくて、うまくいきません。
印象的だったのは、バンダイのキャラタオルを作ってるメーカーの企画の女性にとにかく嫌われてました。ウジウジしててハッキリしないと。涙。
自分で決めたこと、辞めずに頑張ろう
でも、救いだったのは、文章の書き方については、当時の社長が色々教えてくれた事です。その社長もすごく無茶苦茶な人ではあったけど、今でも尊敬しています。
その社長の書く文章にはお酒のような香りがしていて、人情っていうのか、そういうのがあるんです。
でもね、今回は辞めなかったんですよね。それは自分がやりたくて選んだ仕事だから。見栄ではなく、コンプレックスの裏返しで選んだんではなく、自分を活かす、仕事がこれしかないと思ったからです。そして、3年間、頑張れと言われたハローワークの言葉も頭にありました。
でも分からないものです。ダメ記者だった僕に転機が訪れます。当時、業界の顔とも言える編集の先輩が退任したのです。
何が変わったかというと、自分でアイデアを出すようになった。さっきも書きましたけど、企画を出すのは怖かったから、なんだと今は思います。
学校でもそうですけど、与えられたものをやる事が優秀だったり、失敗しないようにする事が、踏み出せない自分を作り出していました。果たして自分の感覚が間違っているのではないか、って不安になるんですよね。
でもね、その退任を機に、そんなこと言ってられなくなった。何故なら、しばらくその先輩がいなくなった後、ほぼ僕1人で、作らなきゃいけなくなったからです。
僕は自分で考えて、行動をするようになりました。でね、徐々にわかってきた。僕はずっと勉強の仕方がわからなかったし、物事を自分で形にする方法を知らなかった。
だから、与えられたものを頭ごなしに覚えることしかやってこなかった。それじゃダメなんです。本質を見てないし、応用力のかけらも生まれない。これだと、発想は生まれないんです。僕は受験でも失敗してるけど、考えて解こうとしていなかったですから。
結果、その窮地が、提案するのが好きではない自分を徐々に変え、提案するようになったんです。
発案するヒントは身近にあるんです。実は、新聞でもいい、なんでもいい。でも、大事なのはそれを咀嚼して、それをどう自分が受け止めて発信していきたいか、ということなのです
右から左の横流しでは、何も伝わるものができない。でも、幸にして、僕はエンタメが好きだから、そこに僕なりの関心事として、こうあるべきじゃないかという主張が実はある事に気づいたんです。
ダメ記者が思いがけず掴んだ輝き
まさに、それで最初に的中したのは「サン宝石」でした。カタログ通販ですが中学生向けでとにかく安かった。あと可愛かった。
何気なく新聞で見かけて、当時、中学生くらいが、通販をやる?みたいなことで気になったんです。で、今だ!って思ったのが、原宿にこの通販のリアル店がオープンする時。
僕は取材を申し込んたんです。言われて取材先にいくのではなく、僕が自分なりに感じて、取材しにいった最初の方の動きですね。
そこで、驚くべき光景を目にします。商品を買うために1時間くらい待ちの行列ができていたのです。
なんだこれは?ここの世代、何かあるかもと。実は、それで僕は中学生の読む雑誌を買い込んで、片っぱしから読み始めます。「これだ!」そこで、目をつけたのが、ナルミヤ・インターナショナルでした。
サン宝石の熱狂を見るうち、サン宝石だけの問題じゃないなと。これはもしかしたら、ナルミヤのような、ジュニア世代(中学生)のファッションブランドが文房具にもやってくるべきなのではないか、と持論を展開し始めたのです。
当時、文具といえば、キャラクターグッズとしても定着していて、そこにはサンリオやディズニーの商品、あとはテレビアニメですね。
で、ファッションブランド(しかも、中学生しか知らないブランド)を文具化するなんて、発想がなかった。だから、逆にそれをやったらブレイクするな、と直感したのです。
かつ「ファンシーショップ紙」は文房具・雑貨のメディアですから、ピッタリだったんですよね。文房具メーカーも読んでいるのだから、と思って、紙面で書いたんです。「このナルミヤ・ブランド、文房具でやるべきですよ」と。
そしたら、すでに動いているメーカーがいたんです。その情報を得るなり、僕はその情報を仕入れるなり、一心不乱にその記事を書いたのです。誰もそれが売れるとは思っていなかったでしょうが、僕は「ものすごく」売れると思った。
まだ、ダメ記者のイメージが拭えないところでしたから、やりたいならやれば、という感じで、若干、冷ややかでした。笑。
予測が当たって大人たちは手のひらを返した
でも、その直感は当たるんです。109-②に用意されたその売り場は物凄い行列で。業界紙で唯一、最初のその様子を記事にしたわけです。
ちょうどそれと先程の特集がピタリと当たって、僕はその予測を当て、周りの僕の評価が一変します。
「どうしてわかったの?」と。本当に手のひらを返したように、見向きもしなかった人たちが僕の方に寄ってきて。
それで、僕はナルミヤインターナショナルの成宮雄三社長を取材するのに加え、交流会でモデルを呼んで、カバンの中をチェックするなどの企画をしたり、ニコラの伝説的な編集長、宮本さんも呼んだりして一気に、僕は、このメディアで注目を集める存在へと変身を遂げていくのです。
そして、成功体験は人を変えます。ライターなのに「nocola」モデル 小林涼子さん、「ピチレモン」モデル 御前美帆さんら、女子中高生と共にブランド「ラブサイン」をその会社で立ち上げることを会社に提案したのです。
ライターなのに、ブランドディレクションするなんて、無茶苦茶です。
でも、やりたかった。記者だからって記事だけ書いてりゃいいってわけじゃないよね。この頃になると、堀江貴文さんとかの起業家が注目されて、自分も何かプロジェクトをやってみたいと思うようになったんですよね。
ラブサインはローティーンを取材する中で女子中高生の声を元にしたものです。
「学校でなんの話をするの」って聞いたら「恋バナ」っていう。じゃあコンセプトは“恋する気持ち”で、それを女子中高生で皆でそれを作って、マークにして自分の意思表示をして、世の中に広めてみようと。
そして、僕は埋もれた彼女達の発想を商品企画に生かすことができれば、という夢もそこにあった。僕は、大手キャラ以外にも光が当たるチャンスがあると思っていて、新しい切り口の商品が生まれれば、それがこの業界を賑わすと考えたからです。
ニュースを追うだけでなく、ニュースを作るライターってそんな志を持って。
結果、10社以上から関連グッズを発売させるに至り、リプトンのキャンペーンや、ファンタのキャンペーンにも起用されました。
人を想い、人を動かし、世の中が動く
このブランドで、忘れられないのは、池袋・サンシャインシティでイベントをやった時で、感動的な経験もありました。
このラブサインで6坪のワゴンをやろうと。で、ライセンシーの人に頼み込んで売らせて下さいと言って。そして、バイトは僕が用意しますと言って、僕は自分のツテをたどり、美術専門学校の生徒に声をかけて。そして、その日を迎えました。
でも、全然売れない福袋があったんです。それが僕にとっては忘れられない経験を呼び起こします。
どうしよう?とモデルと話していたときに、そのモデルさんがバッグを抱えて見せてくれたんです。
それはこのブランドのアクセのサンプルでした。これを外につけて、販売すれば、その価値がわかって買ってもらえるはず、と言われたんです。僕はそれを実行に移すのです。
すると、驚いたことに、つけるそばから、そこに長蛇の列ができた。驚いたことに、そこに熱狂が生まれて、そこにきてくれていたバイトの美術専門学校生が、自らポップを書き出すんです、なんか自分にもできることはないかと。
売れない福袋がきっかけで賑わうって。。。僕はそれを見て、モデルさんに言ったんです。
「あなたのおかげだ」と。
そしたら「石郷さんが言ったじゃないですか」と。
あなたたちが今日、このお店にいる意味は、今まであなたたち皆さんの声を取り入れてくれたメーカーさんへの恩返しする事にあるんじゃないか、って。だから「自分なりに、恩返ししたいと思って考えたんです」と。
僕ね、正直、裏で泣きました。
すごいな、人の心を動かすってなんだろうと。
実は挫折を乗り越えた経験が今も勇気をくれている
すごく長くなりましたが、社会人になって、最初の5〜6年での経験です。でもね、全然ダメだと言われた僕が、僕自身を信じて誰から何かを与えられることなく、自分の頭で考えたことで世の中を引き寄せた宝物の経験です。
今となっては結構前の話なのですが、そんな僕は、今も起業して、自分の名前の冠のメディアを立ち上げてチャレンジしてる。あの大学生時代の僕のままであったら、考えられない今。予想通りの人生じゃないけど、後悔はありません。
何故なら、予想できない感動もあるから。それは今もこれからも続く、絶対に。今だって挑戦の真っ最中で、大変だけど、でも、貴重な経験をさせてもらっています。今に至る僕の原点がここにあるのです。
今日はこの辺で。
ペンは剣より強しと言います。だから本気でここで書く一言、一言で必ず世の中は変わると思っています。そのあたたかなサポートが僕への自信となり、それが世の中を変えていくはずです。