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人生はひと続き、未来は必ず裏切らない

キャラクター業界を離れジュエリーの世界へ

 下記の投稿にもありますが、僕は全く使い物にならない記者だったのが、地道にやり続け、自分を信じて、名物記者にはなったのですが、その「ファンシーショップ」紙のライター時代にピリオドを打つ決意をします。

 実際に、ライセンスを展開することで、商品を販売する現場を身近に感じました。メディアって何かを伝えていく責任があるのだけど、僕は商売のこと、何も分かっていないなと。それで、自ら商品企画をやろうと思い始め、スパッと記者を辞める決意をしてしまうのです。

 門を叩いたのが、ジュエリーのオンラインストア「Jwell」で、これもまた、最初、挫折です。僕は元来、要領がいいわけではありません。お客様からの受注データを取り出して、それを在庫から取り出して、そんな細かな作業が苦手で苦戦しました。

入社し挫折、商品企画をするも挫折

 その中でも、僕が夢でもあったいくつかの商品企画の経験をさせてもらえました。本当に感謝しています。まず一つは「THE KISS」というペアアクセのとのコラボブランドです。

 「彼氏がカノジョだけじゃなく、カノジョが大事にしているペットのことまで考え、そのプレゼントを用意してくれていたら…」そんな想いから生まれた企画で、それをザ・キッスの社長に持ちかけました。担当者の方々のアシストや「Jwell」の社長の後押しもあって、「THE KISS」ブランドでそれはコラボとして、展開してもらいました。

 もう一つは、ブランド「isu」とモデルの右手愛美さん、追留愛美さん、加戸佑香利さんとの最強アクセという企画です。

 モデルさんたちが一番可愛いと言って選んだのが「isu」という甲府の工房グリームさんが展開するブランドでした。そこで、そのブランドのモデルコラボバージョンとして、工房グリームさんに発売してもらうわけです。それを「Jwell」の通販サイトで仕入れて、売ろうとしたわけです。

対価に見合った価値を提供しなければならぬ

 特に、この最強アクセは、彼女たちの意向をベースにしながら商品を作成しましたが、僕はまだ未熟でした。それは、彼女たちが望む最高品質を求めてしまったわけで、原価の高いものを作ってしまったのです。

 ここで初めて知るんです。世の中の商品というのは価値と対価のバランスの中にあるのだと。つまり、対価に見合った価値を提供しない限りは、売れない。陥りがちなのは価値だけをみて、いいものを作れば売れると、質にこだわってしまうことです。そこに陥りました。 

 世の中の人は別に価値の高いものを探しているわけではなく、価値に見合った対価の商品を探しているのです。その意味で、ここでつくられたものは、彼女たちの同世代の価値に見合う対価ではなかったということなんです。

 そして、これは両方に共通して言えることなのですが、プロモーション無くして、売れることはありません。正直、僕はその広告費などを考えずに、ただ商品を作ったが故に、売るべき相手にちゃんと伝わることなく、その商品が販売されてしまったわけです。ともに、ヒットとは言い難い結果で、商品企画に携われたのに、またもや挫折です。どんだけ挫折すれば良いんだろう。

志半ばでデコメの会社へまさかのリベンジ

 そしてジュエリーで、そこまで大きな成果を見ることなしに、アイフリークグループのフィール・ジーという会社に入社して、ギフト事業のMDをやることになります。

 最初、MDだったのですが、自社で何かを販売するにも仕入れ商品ばかりだと、差別化要因を作ることができない。おまけに、粗利もよくない。なので、オリジナル商品を作ろうと考えるのです。

 実を言えば、ギフトの通販サイトみたいなものですから最初、それに相応しいジュエリーも仕入れようとしていたわけです。でも、思いがけず、その取引先のジュエリーの担当者から嗾けられます。「石郷さん、以前、ジュエリー作っていたんだから、ジュエリーが作ればいいじゃない?」と。そうか、僕が企画すれば、差別化要因が作れるな、と。

 でも企画か、、、と思った時に、以前、モデルコラボをやったのだから、少なからずその知見がある、とすれば、それでリベンジをすればいいのではないかと。

 で、乗り込んで行ったのが、当時のフロス・ツーというモデル事務所でした。驚くなかれ、そこでそのジュエリーを一緒に作るモデルさんとして、僕が指名したのは、当時、non-noで表紙を飾る人気者、矢野未希子さんでした。

予想を超えたモデル事務所の社長の反応

 単刀直入に、彼女プロデュースのジュエリーをつくらせてほしいと。

 先ほども書きましたが、僕がいた会社は全然大手のジュエリーメーカーではありません。しかも、それどころか、その会社は商品を作ったことすらありません。それでいて、相手はnon-noの人気モデルです。

 通るはずがありません。

 でも、彼女でなければならなかった。やっぱり、前のジュエリーでの経験があって、「結局、商品が知られないと買ってもらえない」んです。矢野さんは当時、non-no、Steady.、arなど6誌に出ていて、そこの先にファンがいました。それらのファッション誌が彼女とその接点を作ってくれています。

 ここでもし、このジュエリーを彼女がこれらのファッション誌を通して伝えることができれば、きっと伝わります。

 そして、何より彼女の感性です。センスの良さがピカイチだと僕は思っていたので、彼女の気持ちを尊重して、作り込めれば、必ずヒットは掴めると思いました。

 繰り返しますが、そんな人気モデルだからこそ、社内の圧倒的多数の人が「メーカーでもない企業が、人気モデルを起用したジュエリーを展開することを持ちかけて、そんな無茶苦茶な提案だ。通るはずがない」という雰囲気だったのは事実です。

人生はひと続き、裏切らない

 でも、僕は決めてきたんです。その事務所に対して、矢野さんプロデュースのジュエリーをすごくいい条件で実現させてもらうことを。

 ええええええっ。それはそれは、驚かれました。なんでだよ!と。

 でも、その社長、落合さんがこう言ってくれたのです。「石郷さんなら、うちの矢野と向き合って、ジュエリーを作ってくれるに違いない」と。

 なんで?と思うでしょう。ここで言えるのは「人生ってやっぱりひと続き」なんだってことなんです。

 実は、この事務所は、前回、このnoteでも書かせてもらったように、僕はモデルと一緒に、「ラブサイン」というコンテンツを手がけていたのですが、そのモデルが所属していた事務所こそがこの事務所だったのです。何より、そこでの僕の動きをその社長はしっかり覚えてくれていた。

 社長は逆に感謝とともに、「うちのモデルがあんなに一生懸命に、率先して打ち込んでいる姿を見れて、嬉しかったし、そうさせたのは、あなたのおかげです」と言ってくれて、先程の言葉に続きます。「矢野のこともあなたなら、しっかり見てくれるはず。ジュエリーもお願いします」と。

 本当に嬉しかった。

 そして、僕は、すぐさま工場に連絡を入れ、矢野さんの声を取り入れ、間に立って、ジュエリー制作に取り掛かります。

挫折をもとに、みっこジュエリーが形に

 もうここには一つ大事なことがあって、自らがメーカーになったということです。最初のうちは、あくまでもそのデザイナーがいる工場が発売元となり、僕は矢野さんとの調整役に努め、僕の所属する会社は、その発売元から仕入れるということを考えていたんです。

 でも、当時の上司に言われたんです。

 「それはダメだ。真ん中に立つんだ、石郷。必ずうちを通さないと実現しないように座組みをすることが大事だ」と言われたのです。そうじゃないとうちはメリットはないと。

 真ん中ってなんだよ?って思いながら、出した結論が、その時所属する会社アイフリークがメーカーとなることでした。モデル事務所と工場の間に入って、在庫の責任も持って、もちろん広告もある程度は予算をかけて実行し、メーカーとしてやっていく決意に至ります。そして、ここでビジネスにおけるスキームの大事さを学ぶことになります。

 前のペットアクセでいえばザ・キッスが、最強アクセも工房グリームが発売元なので、在庫リスクもなかったわけで、Jwellの社長はそこをよく抑えていた。リスクヘッジしていたんですよね、さすがだな、と思いました。

 で、僕はそれしか知らなかったから、同じようにやろうとしていたのをストップをかけられたわけです。自らメーカーとなれば、当然、在庫管理や卸先も自由になって、全ての起点は自分の所属するアイフリークとなるわけです。基本、在庫リスクのないIT企業でメーカーになるって、それはそれは怖かったですが、決断に至ります。笑。

 でも、そのおかげで覚悟はできたし、会社としても広告の稟議をちゃんと検討してくれたわけです。これは戦略として大きかったのです。つまり、商品の起点が、自分の所属する会社なので、卸先を自らの交渉により切り開くことができました。

 つまり、自社の通販サイトだけではなく、他にも打って出ることができたわけで、そのおかげでサイバーエージェントや集英社にこの商品を持ち込んで提案できるようになったというわけです。

何よりみっこちゃんの感性が優れていた

 そして、矢野未希子さんこと、みっこちゃんは素敵な感性の持ち主で、僕はここでも色んな気づきをもらいました。

 ある時、彼女が作りたいイメージを創作するときに、デザイナーがイメージしやすいように、具体的なブランド名を挙げてもらって、それをモチーフに企画デザインをあげてきてもらったのです。

 でも、彼女は不服そうなんですよ。「どうしたの?」と僕がいうと、、

 「これってこのブランドと同じじゃないですか?」とみっこちゃん。確かにそうだけど、「みっこちゃんはどういうイメージで商品を作りたいの」という話をして、こんな話をしてくれるわけです。

 「私、ネイルを作ってもらうときに、気に入った写真集などをお渡しするんです、ネイリストの方に。このページのイメージで、っていうとその感覚で、ネイルを作ってくるんです。でも、その写真の中に映る柄を入れるのではなく、その雰囲気で喚起されるデザインを作ってくる。それがデザインってものじゃないですか」と。

 確かにその通りだな、と思いました。クリエイティブって究極、世の中にあるものではないです。他のものをそのまま、作ったりするなんてこと、結構当たり前に見られるから、逆にその声に納得しました。

 そして、そうだよね。僕は最初から商品企画をするのは、世の中にないものを投げ込んで、驚かせたいという想いからある、という原点に立ち帰り、頑張ろうと思うわけです。

 そして、その時、僕は、「デザインってコミュニケーションなんだな」と思うようになりました。

 まさに、そうやって彼女は自分の世界を自分で切り開いてきたから、モデルとして第一線を走っていたのですよね。そして、彼女のイメージをまとめたジェエリーが具現化しました。

 でも、やっぱり挫折は裏切らないんです。だからと言って、彼女のいうままに商品を作ったわけではなかった。

 以前、僕は、ジュエリーを企画して、原価を高くしすぎていたのを知っていたから、彼女がどれだけ拘ろうとも、彼女の世代に見合った価格にこだわれたんです。つまり、対価と価値のバランスが取れたものを作ろうと、ずっと工場と掛け合えて、それが具現化できたんです。

no-noの最初のページにそのジュエリー。湧く社内。

 そのジュエリーは自社のギフトサイトで販売するとともに、その別バージョンをnon-noで販売することが決まりました。

 それどころか、彼女がnon-noの表紙を飾る号で、non-noを開いた一番最初の見開きページでその限定non-noバージョンは紹介されて、non-noの通販サイトで販売されることとなりました。(確か表紙だけは載せて良かったと思ったのでトップ画像にしました)

 そのnon-noの発売日当日は、会社内は沸きました。そりゃそうだ。

 立ち位置はメーカーだから、non-noにも「アイフリーク」って書いてあります。そして、これだけ、目につく位置に出れば、当たります。

 何より単価が、1万円弱なので、額も大きい。しかもそれは、前にも書いた通り、利益も考慮した額でした。ヒットしたし、ちゃんとビジネスとして成立させられたことが嬉しかった。

 おまけに、これをきっかけに、会社内の決起会で、「ブレイクスルー賞」という賞までもらって、表彰されたわけです。

 ここまで読んでも、わかる通り、僕は出来がいい方じゃありません。でも、一番、最初挫折から始まっているから当たって砕けろ!的な精神があって、その後も挑み、挑み、挫折、挫折。

 見事に、砕けているんだけど(笑)。でもね、以前のジュエリーの挫折があったから、次にジュエリーに取り組むときに、それを踏まえて行動ができていて、成功にしっかり寄与しています。

 そして、忘れてはならないのは、モデル事務所の社長のまさかの一言がそうであるように、過去やったことも、報われるという現実です。この企画は、以前、ライター時代に、コンテンツに挑戦していなければ、モデル事務所の一言はありませんし、僕でなければ引き出せない一言でした。

 これがこの先の僕の人生にとってどれだけ、勇気をくれたか。前向きな気持ちにさせてくれたか。今やっているどんなことも、必ず、諦め続けなければ、どこかにつながっているという現実は、今を生きる力をくれます。

 前にも話しましたが、今、起業もして、僕の名前を冠にしたメディアを創刊させて、当たり前に、大手メディアに混じって取材をして、そして記事を書いて、マネタイズを成立させようとしている、予想し得ない現実は、こういう挫折から感動体験に基づくもので、前向きな気持ちからになります。

 だから言いたい。今を生きるその活力が、未来、必ずどこかでまた力をくれる“ひと続き”の人生なんです。これは経験を以って間違いなく言っておきます。そしてだから、今日も歩み続けます。

 今日はこの辺で。

 

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