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応援の本質

応援の本質って?

自分にとって身近な「応援」は、サッカーの試合での応援が1番に頭に浮かぶ。

今日は、その情景を思い浮かべながら考えていきたい。

大きく3つに分ける。

・それ自体が好きでの応援。
・その人やチームが好きでの応援。
・思いを託す応援。

1つ目は、応援そのものが好きな場合。
これは、その雰囲気、声を出すことに楽しさを感じている人。

2つ目は、頑張っている人やチームが好きで応援している場合。
純粋に、頑張ってほしい!勝ってほしい!そんな思いを込めて応援している状態。

3つ目は自分が叶えられなかったことを誰かに託す応援。
スポーツをやっている人ならわかるだろう。
自分はそのピッチに立つことができない。だが、仲間はそこに立っている。
勝ちたい、その思いは仲間に託すしかない。
悔しいけど、悔しいけど、応援して、勝ってほしい。
そんな状態。

応援は一体、何のためにあるのか。

高校、大学と応援したくてやっている人、メンバーに入れず、なかなか気持ちが切り替えられず、応援に熱の入らない人、色々見てきた。


これまでの経験としてわかることは、応援は、間違いなく力になるということ。

自分は、どんな思いでやっているのか。
僕自身、試合に出られない自分に何ができるのか。チームの力になれるのかを考えたとき、応援だった。
悔しくないわけではない。でもなぜできたのか。
ぐずったら急にピッチにたてるわけでもない。応援でも戦える、力になれる、貢献できることを知っていたからだ。
後は、それぞれ出ている選手の背景を知っているからこそ、応援したくなる。そんな気持ちもある。


話を戻そう。

結局、応援って何なんだ。。。

チームを勝たせる、力を与える、鼓舞する、やる意味なんてものは色々あって。

チームのため、仲間のため、確かにそうだけど、最終的には自分の為なんじゃないかとも思う。

応援して、楽しむのは自分だし、好きな選手が頑張ってくれて、活躍してくれて嬉しいのは自分だし、叫びたいほどに悔しいけど、思いを託して応援して、勝って嬉しいのは自分だし。

やったらやっただけ。
そりゃ負ける時もあるけど、勝った時は、自分が知らない間に与えた力以上の嬉しさ、喜びが返ってくるんだと思う。

言い方は間違ってるかもしれないけど、自分勝手でいいんじゃない。
された人以上に幸せになってるのは自分だと、そうも思うから。

一時の思いでやらなかったら、それも自分に返ってくるから。
それでもいいならやらなければ。

それに気づき気づかせる力も必要なのかな。。。


スポーツに偏っちゃいましたけど、今日はこの辺で。
まとまりなくて、すみませんm(__)m

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