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とめどなくやわらかくいたいなら

何の予定も無い休日、からっぽの頭の中で、1匹の鮭が泳いでいて、それがまた、滝を登る気なんてさらさらないという表情で、とはいってもどこまでを顔と認めようか、という話はまた今度するとして、とにかく広くゆったりとした水中で、ただ酔うかのようにゆらゆらと、その体を前に進めていた、とはいってもどこまでが体かな、なんて考察は、ひとまず冷凍庫に放り投げた、そんな午後があったとします。

たぶん、鮭を食べたい、それだけを言いたいだけなのに、いや、実際に食べるのはシャケで、鮭ではないのだけれども、食べたいのは鮭だから、そういうことにしておこうか今日のところは。鮭いくら丼のことを尊重する意向を示す、ちょっとおませな年頃です。


子どものころ、グリルで雑に焼かれて出てきた鮭を見て、鮭の切り身というものは、その頭と尻尾を落とした後、横にガっ!と一回で切った形なのだと思っていたので、さらに縦に何度も包丁を入れたうちの、ほんのひとつのかけらだということを知った時は驚いた。なんておひらきだ。だから、鮭は想像よりもはるかに大きく、とんだファンタジーな生き物もいるものだと思っていたが、今思えば、自分の頭のほうが、いかれていたのかもしれないので、頭が良くなりますように、と願いながら鮭を食べた、しかしあいにくこのざまです。


脳内で増殖していく鮭のいきおいとどまることを知らず、このままでは平成最後の歩く鮭になってしまうので、ついに私は鮭を買うことにし、重い腰をあげたわけだけれど、こんな私、こう見えて、いや何見てんだよはったおすぞ、魚を触るのにはそこそこ勇気がいるので、生鮮コーナーに近づくはおろか、スーパーの前で足踏みをして、セブンイレブンでプリンと、プリン風味のアイスを買って帰った。まるでスティーブ・ジョブズのジェネリックのような発想に、これにはさすがに私も鮭もいくらもびっくりの展開といったところです。そういや、いくらって鮭が見る走馬灯の一部に登場するのかな?、という、隙をついては溢れ出る要検討事項も共に冷凍庫にぶちこんだ。


雪の降らない日も雪の降る日もキッチンはとめどなく寒く、母の偉大さを今になって知るのだけれど、ごめんなさい、ココアはもっと偉大である。そんなこんなで、ひとりお湯を沸かしながら、何ものせられていないまな板を見ながら、ひっそりと呟く。「鮭、明転飛び出しで上手側から登場」「鮭、暗転板付き」「鮭いくら、いくら脱退」ここでとびきり愉快なフォントのテロップ「先週のさざえさんは?」

さて、もういよいよ、何も生み出せないだろう時間になった。いざアイスを食べようと思い、勢いよく冷凍庫をあけた。その瞬間、甘じょっぱい香りとともに、たくさんの空想が暖房の効いた部屋に溶けていった。

(以前誰も読んでいなさそうなブログにて公開した文章を捨てきれないがために微々たる加筆修正を施して再掲 - 20190210)

素直な感想、とても嬉しいです。 お茶代にします🍰☕️