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#35 【実体験】タクシードライバーになって人生が救われた話

みなさん、こんにちは。流し(ながし)です。
現役で都内のタクシードライバーをしており、
そのかたわらタクシードライバーの転職エージェントの活動をしています。

今回は唐突に書きたいなと思ったテーマにしました。全てアドリブでエッセイ風に思ったことをつらつらと書いていきたいと思います。

■タクシードライバーになるまで壮絶だった職歴

詳しくは、下記の「♯1【壮絶】逃げ続けた先に待っていたのはタクシードライバーという仕事」の記事に書いていますが、タクシードライバーになるまでかなりは悲惨な職歴でした。

https://note.com/taxi_nagashi/n/n023eb937d65c

新卒で入社したハウスメーカーでは成績は上司の助けもあり同期の中でも数字は残せたのですが、自分のキャパを分かっておらず猪突猛進に突き進んだ結果、メンタルを壊して適応障害になりわずか14か月で辞めてしまいました。

その後は東京の表参道で飲食の正社員になりますが、こちらはかなりのブラックでパワハラもあり社員が1か月に1人辞めるような環境でした。私も頑張ることが最終的にはできず適応障害を再発してしまい、わずか8か月で辞めてしまいます。

次の3社目は比較的ホワイト企業でしたが、年収が280万と低くこの時期に結婚したのもありこの先を考えると難しいというのもあり1年ちょっとで辞めてしまいました。

次の4社目は最短の1か月で賃貸営業の会社に入社したものの、先輩たちの休みのない働き方を見て未来が見えてしまい辞めてしまいました。

ふざけてるのか。って思われるかもしれませんがほんとに大真面目でした。ただ生きるのに必死でした。なたメンタルを最初の新卒時代に壊してから壊しやすくなっていました。大学卒業をするまでメンタルを壊したことはなかったのですが1回メンタルを壊すと壊れやすくなるみたいです。ですので割愛してますがメンタルを壊して休職をしていた時期もあります。精神科に通い薬を処方してもらっていた時期もあります。本当に自分の人生、いつからこうなってしまったんだろうと後ろを振り返る時間が多かった気がします。

■離職期間中のアルバイトの経験

・イベント設営のアルバイト

上記のような職歴で次の現職中に転職活動をしていなかったため、全部の転職活動が離職してから行っていました。ですので基本的には単発のバイトをして食いつなぎながら転職活動をする形でした。貯金残高もかなりぎりぎりでした。

バイトの中にはかなりきついものもありました。それは単発で募集しているイベントの設営のお仕事です。神宮球場のライブがあるから前日にステージをつくったり椅子を大量に並べたりする仕事が1つの例にあたります。基本的には指示された物を運ぶ仕事が主な業務なのですが、だいだい深夜ぶっ通しでやるので肉体が強いほうではなかった私からしたら本当に大変でした。しっかり運動や筋トレもしとくべきだったとこの時は過去の自分に後悔もありました。更に職人さんがその場にいるアルバイトの方に指示を出すという流れでしたが中にはアルバイトの方に対してコケのように扱う方もおられ、「おい!バイト来い!早くしろよ!」とか「使えねーな殺すぞ」と言い放つような場面もありました。そんな日に限って雨の中のどしょぶりの作業で朝までの作業だったりします。本当に泣きたくなりました。なんで2年間浪人してまで国立大学まで入って、こんなことになっているんだと心底この頃の自分は嫌いでした。夜から夜通しまで必死に働いたあの1万円ちょっとはいまでも忘れられません。

とはいえ、何回か単発ですがお仕事をしていると常連さんみたいな方々がいらしてその方々達と顔見知りになり、辛辣な現場でない時は楽しかったこともありました。4人1組で重いものを声をかけながら運んで、終わった時の達成感みたいなものは心地よかったです。

ですが歳をとった現在。やはりあの頃に戻りたいかと言われたらNOです。

・倉庫業のアルバイト

こちらは暗い話ではありません。とある派遣に登録をして、毎日送られてくるメールに自分の予定が合えばその派遣先に行き単発で仕事をするイメージです。3か月近くこの仕事をしていまして、10か所くらい経験しました。主な仕事内容は倉庫内でのピッキングや梱包が多かったです。いくつの場所を経験し私はある1つの派遣先の専属みたいな形になり、その日のバイトリーダーの役職も頂いていました。駅でみんなで集合してシャトルバスにみんなで乗るあの時間は今でも忘れられません。ただ私含めてみんな顔が死んでいたのは覚えています。

ピッキングや値札つけ、梱包の仕事は本当に自分に向いていました。いわゆる単純作業になるので同じことをひたすら正確に早くやるのが大事になってきます。私はこの仕事をするまでこういった単純作業が得意だったと気づいていなかったので、自分の得意分野に気づいたのも大きかったです。またどこに誰を配置してどのように商品を流してやるのが一番早く終わるのか、またどの作業をどの手順でどれだけ平行して行うのが効率よいのかを考えたりして仕事をするべきなのかを考えながら仕事をする感覚も養うことができました。

結果、現場の責任者の方から正社員にならないかとお誘いを受けました。自分に一番適正がある仕事だと確信していたし、もしかしたら今のタクシードライバーよりも得意かもしれないと今でも思うのですが、転職活動も普通にしていたのでお断りしました。ただ本当に楽しい現場でしたし、教えて下さる社員さんも親切な方が多く本当に良い思い出でした。

■タクシードライバーになって人生が救われた

そんな形で社員とバイトを繰り返して過ごした4年間。本当にきつかったですし未来を見据える余裕なんてありませんでした。タクシードライバーになったのも藁にもすがる想いでなりました。がっつり稼ごうなんて考えはありませんでした。当然都内は走ったことがありませんでしたし、ペーパードライバーでしたので自信があったわけでは全くありません。しかし偶然にもタクシードライバーという仕事が自分に合っていて人生が救われました。私みたいなに人生がきつい人にとってタクシードライバーを始めることによって1人でも人生救われたらと本気で思ってこのような文章にして残しています。
いかがでしたでしょうか。本日の記事は以上になります。

またタクシードライバーに関するご質問をX(旧Twitter)で24時間受け付けてますので遠慮なくDM下さいませ。
X(旧Twitter:https://twitter.com/taxi_nagashi

それではまた次の記事でお会いしましょう。

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