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笑顔は義務ではない

※お知らせ※
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こんにちわこんばんわ。
全ての増税に反対し、全ての減税に賛成する自由人、七篠ひとり(@w4rZ1NTzltBKRwQ)です。

今日はこちらのポストから。

山形県議会が「1日1回は笑うこと」といったディストピア感満載の「山形県笑いで健康づくり推進条例」を採択したことが話題になっていますね。

県は「条例は努力義務のため強制力はない」としていますが、それ以前の問題として自主的に行う「努力」という言葉と、法による強制力をもって命令すること意味する「義務」という相反する言葉を合わせた「努力義務」という単語が日本社会において普通に使われている時点で、ジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984」に登場する「戦争は平和なり」といった二重思考のような気味悪さを感じるのは私だけではないでしょう。

そもそも私たちは、心の中で何を思うかを他人から一切干渉されない自由があり、それは憲法で保障されています。

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

日本国憲法第19条

説明するまでも無いですが笑おうが泣こうがなんだろうが、そこに政府自治体が介入するものではありません。

そんなこともわからずこんな条例が発案され、採択までされてしまったことは、山形県議会には「健康は義務である」と国民に喧伝したナチス・ドイツのような全体主義者が大半を占めている証拠なのでしょう。

そのうち「県民の笑顔と健康を祈る偉大なる県知事様の歌」でも出来て、毎朝県庁の方角を向き斉唱する「努力義務」を定めた条例が出来ても不思議ではないかもしれませんね。

それこそ笑えませんが。

さて、「笑うことを義務付ける法律」と言えばこういった話があるのをご存知でしょうか?

こちらの方は

イタリアのミラノでは、葬儀や病院以外では常に笑顔でいることが法律で義務づけられている。

とポストしているのですが、こんな話は聞いたことありませんよね?

しかしこの人だけではなく、同じ内容のポストは他でもいくつも確認できます。

本当にミラノにはこんな法律があるのでしょうか?

結論から言いましょう。

そんな法律はありません。

この「ミラノでは法律で笑顔が義務付けられている」というのはネットを中心に広まった「デマ」です。

ではなぜこんな「デマ」が生まれたのでしょうか。

その答えを知るには19世紀まで遡る必要があります。

今ではイタリアを代表する世界都市の一つであるミラノですが、1815年から1859年の間は「オーストリア=ハンガリー帝国」の支配下にありました。

しかしミラノの人々はそのことに大きな不満を持っており、それは街から笑顔や活気は失わせる空気を作っていました。

その事態を重く見た統治側が作ったのが

笑うことを義務付ける法律

です。

帝国は「葬儀と病院の中以外では笑顔で外出すること」を義務化し、ミラノの人々にそれを強制したとされています。

それから170年以上が経過しましたが、この19世紀の「笑顔の義務法」について、その廃止を決めたという公式記録は全く見当たりません。

つまり

「まだこの法律は生きている」

というのが、この説を主張する人達の根拠となっているようです。

しかしぶっちゃっけますと、19世紀のミラノで「笑うことを義務付ける法律が制定された」という公式な記録も存在していません。

この本が「ミラノの笑顔義務法」の初出と言われていますが、そこにもソースとなるものは書かれていないというのが事実のようです。

さて、この話の真意がどうであれ笑顔は政府に強制されるものではありません。

「笑う」とは、嬉しさや楽しさや面白さなどを心で感じた時に表れる感情表現であり、だからこそ決して政治権力が踏み込んではいけないものです。

二分間憎悪のような政府による「感情管理」ほど恐ろしいものはないでしょう。

一日一回笑わないといけない

日本をそんな国にしてはいけません。

山形県の「山形県笑いで健康づくり推進条例」に断固反対します。

ということで、今日はここまで。

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