見出し画像

魔法使い 【小説】

「もしもお主が魔法を使えたとしたら……」
おばあさんはそう言いかけて、永遠の眠りに就いた。
 
いつも通りの朝が来た──。あの言葉は夢なのか幻なのか分からないまま、朝の支度を済ませて、家を出た。いつもの通学路、いつもの踏切。いつもの学校のチャイム。
──キーン……コーン、カーン……コーン……
 教室に入る。言葉は滞る。力が支配する空気。過剰適応。いつもの階層。
「もしもお主が魔法を使えたとしたら……」
 おばあさんの言葉。でも今は使えない。なぜだろう。言葉の刃が飛んでくる。空気そのものが悪い。そこを選んだとしか言いようがない。逃げるのはまだ魔法とは言えない。戦うか、って手持ちのカードはこれだけだ。
「選ぶのはいつもの沈黙のカード」
 空気のように存在を消して、ここではないどこかへと、それしかない僕にとっての魔法……。
 ひょっとしたら見えていたのかもしれない。未来の僕はあの頃の僕を。手持ちのカードもすべて知っている。なぜ魔法を教えてくれない? そうすることでしか、ここは潜り抜けないのか? 今ならどう答えるのか、教えてくれ。
「魔法という言葉に、期待しすぎだ。現実を見れば、何をすべきか分かったはずなんだが。一つボタンを掛け違えたみたいだな、どこかで……」
 僕は落ちた首をずっと探すようにして、どこかで引っかかっていた。そういう時どうすればいいか、誰も教えてはくれない。これは僕じゃない。これは現実じゃない。それは魔法のように甘く壊滅的に作用する。
 
「お主が魔法を使えたとしたら……」
だったら何なんだよ。答えなんて自分で幼いまま見つけるしかないってのか? 感情が流出していかない理由を突き止めるための時間を追い求めて、時間が止まったまま過ぎていく。それの手当てをするような魔法。それが欲しいという愚かさ。
歩き疲れた深夜の交差点。魔法使いは箒に乗って流れ星になる。僕はそれを見て、魔法を覚えた。すべてを忘れて、夜空の星を見る魔法を。そこには小さな光だけがある。すべての視座を相対化させて、見えなくさせる魔法のような時間。教室の過剰も、未来の重さも、過去の首もすべて。
 
「お主が魔法を使えたとしたら……」
 優しくなれる気がする。現実の物質世界だけじゃない何かにアクセスする。それは立派な魔法だね。すべては繋がっている。でもそれがすべてでもない。分かるような分からないようなところへと、自分を逃がしてやる。そうやって生き延びることも可能。あの頃のお前はそうやって魔法を覚えていったね。
 
 過剰に着飾った街の隅に、人の心がかろうじて転がる夜に。
魔法をかけると言っておばあさんは出かけていった。三年後白い猫を拾った。おばあさんは戻ってこないまま。お腹を空かせていたようで、みすぼらしい僕の足元にすり寄ってきた。
「猫を拾うとね、いいことあるよ」
 風がそう言ったのかどうかは忘れたが、たぶんそうだったのだろう。おばあさんが空から降ろしたのか?
 
 相変わらず人前では上手く話せない。でも深いところで未来をつかむ。そうはもう揺れない。
「お主が魔法を使えたとしたら……」
 たぶんそれも魔法か。素直になることだな。力んだって仕方ない。そう風が吹いたなら、そう身を委ねることだ。猫が遠くを見ている。青い瞳ではっきりと。僕はその瞳に魂が眠る感覚を覚えた。すべてを均すその瞳に。人間的な一切が無化されていく。それも魔法。いつもそういう空気に敏感でいたい。
 
 生きていく一切が幻想だとしたら……。さなぎが終わり一皮むける頃に、言葉を正しく覚えなさい。正しく捕まえるために。
魔法になんて期待してはいけないよ。でも深いところで未来をつかんでいる。今いる一切が形を変えたとしても、たどり着く場所はもう変わらない。それも魔法か……。
 
 家に帰ると猫が鳴く。
「ミャーミャー……」
 餌をくれという以上の何かを見たがる。でも聞こえない。餌が欲しいだけなのかもしれない。青い瞳を覗き込んで宇宙を見たがる。時々シンクロして魔法にかかったみたいに、どこか遠くへと、君の故郷へと。
「まだ忘れたい何かがあるのかい?」
 少しそう聞こえた。
「いや、もうないはずなんだけど、気のせいだよ」
 
「お主が魔法を使えたのなら……」
 本当はお父さんに会いたいんだ。あの頃の自分に会わせてあげたい。もっとも必要としていた時に、男の生き方何でもいいから、あいつに教えてやってほしい。
「僕はもういいよ。側にいることはもう知っているから」
 疑う心が解けていく。魔法のような時代で、何とか風を捕まえて、行けるところまで。
 
 次の世代がいる。子供は大人になっていく。時間旅行も魔法がかって、誰もがここを越えていく。重さななんて幻想だよ。おかしくなっただなんて思わなくていい。未来はもう分かっている。たぶんそこまで行く。今は言えない。猫も死ぬ。おばあさんが連れて帰る。お父さんがそれを見ている。僕がここにいるのを通してすべてを見ている。そう思える魔法。
 
 最後の審判の日。すべての生命体が……、かけられた魔法を解いて、大地にひれ伏すんだ。重さによって分けられて、消えるものと残るものと……そんな話もある。いろいろある。いろいろ考える。他人事。自分事。どこまでも境界線が見えない。魔法を使い過ぎた。ここはどこだ? 孤独な内にすべてを統べるなんて、人のやることじゃない。魔法使いになりたかった。ただそれだけ。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

527,181件

#私の作品紹介

96,671件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?