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お店のこと。会社のこと。これからのこと。

コンセプトは「トータルコンディショニング」と言語化して6年、未だに発信する言語が変わる。
しかし最近はそれで良いと思っている。日々触れる言葉や、書き記してる文章が自分を創るのであって見える景色が変わると、生まれる言葉も変わる。 
 
最近は父が言っていた「怪我と弁当は自分持ちだ」という言葉が木霊している。身体と食に興味を持ったのは父のおかげです!といえばストーリー性があるのだが。。。これは今の自分が作った後付けだ。自分が健康産業に従事していると昔言われた言葉が想起され都合よく脳内で動機付けされる。つくづく人とはいい加減なものである思いしらされている。


クライエントに自律を求めるサービスを

トレーナーとしてのキャリアも15年になり、スタイルも確立されているが、駆け出しの時と変わらぬ哲学がクライエントの「自律」である。
自立は出来ないが、身体に関する知識と生活習慣で自律性は獲得できる。身体の知識は不安と痛みの解消につながり、生活習慣を整えることで大抵の慢性症状は予防できる。

自律するためには、自分で調べて試行錯誤し意思決定して実行するしかないのだが、出来ない人が非常に多い。先にやるべきは自己決定からの成功体験で自己肯定感を醸成することであり、この要素をコンディショニングサービスに組み込むことである、その先に自律したクライエントに始まり、自立を促すトレーナー、セラピストを育成することで母数を広げるという未来を描いている。


専門学校卒業をどう捉えるか?

日本独特の専門学校制度。専門職訓練校として1年以上の履修期間があれば良いという制度だ。利点も弱点もあるこの制度だが医療分野の専門学校はい再考の余地がある。ガチガチなアカデミズムが求められる世界で、大学の仕組みや論文の存在も知らぬまま20歳を過ぎて臨床に放り込まれるのはある種のサディズムであると感じている
 

鍼灸、柔整、トレーナー、PT、医療系の知識が求められる職種が2年~3年で終わりはヤバいと思う。そもそも専門学校ということは頭の出来が医師と天地の差がある輩が行く場所、そんなところに医療系作ってよいの?と疑問はあるが、せめて大卒と専門卒で就職域が異なるなどの制約は必要ではないだろうか?白衣を着れば皆先生、患者サイドから見分けはつかないのだから。


しかしメリットもある。二十歳そこそこで在野に放り出され、荒波にもまれ生き残ると最高の職人セラピストができあがる。環境に適応して生き残ろうと足掻いた結果の産物だ。生き残ったものは皆特徴があっておもしろい。アカデミズムが浸透すると、このような職人セラピストはいなくなり良くも悪くも平坦化されるであろう。
また学力は劣るかもしれないが収入の悪いのを承知で進んできた人が多いので、医術の人として大切な「奉仕の心」を持っている人が集まるのも良いところである。

自律を作るために私たちが出来るサービスは?

 これは次のビジョン。性格や生まれながらの性質もあるので全員が自己決定できるようにはならない。ホロスコープを紐解くと生まれは確実に影響を与えていて、出生日もあるが受精した日も大いに影響を及ぼすであろう。

 脱線したが多くの日本人が自分で情報を咀嚼して判断して、行動することができれば世の中の流れはゆっくりだが確実に変わると考えている。子供たちが受ける「教育」を変化させるには大きな力が必要になるが、私たちはこれからを担う20代~40代の個人へ向けて自律できるよう、身体、健康の側面から何かを創って提供していきたい。


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