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腰が痛いのは「腰では治せません」

 腰痛は2足歩行を選んでしまった人類のトレードオフである。背骨をS字に湾曲させて常時2本足で移動するなんて画期的なことを実践してしまったものだから誕生してから500万年ずーっと悩まされ続け、そしてこれからも未来永劫悩まされるであろう課題、もはや解決しないので課題ではないかもしれない。毎年さまざまな書籍が発行されたくさんのメソッドが創られては消えていくということを、これから先も繰り返していくのだなと達観すらしてくるものである。

過度な運動は腰に悪い?

 たしかに腰にもトラブルがないわけではない。特にスポーツ選手では腰回りに器質的なトラブルを抱えていることも少なくない。
「腰椎分離症」や「椎間板ヘルニア」は代表例であるが多くの場合「過度な運動により」という一文が発生機序に明記されている。スポーツで有名な北千葉整形外科のHPにわかりやすい説を見つけたのでシェアさせていただく。

ここで改めて「過度な運動により」に着目。過度な運動と適度な運動の違いは?と、疑問に思う方も多いと思う。一応、国から公衆衛生の基準として厚労省は「適度な運動」の基準を制定している。以下、厚労省のサイトから抜粋。

<18~64 歳の身体活動(生活活動・運動)の基準>
強度が 3 メッツ以上の身体活動を 23 メッツ・時/週 20行う。具体的には、歩行又
はそれと同等以上の強度の身体活動を毎日 60 分行う。
とのこと。3 メッツ以上の身体活動参考例は下記だ。
<生活活動>
・普通歩行(3.0 メッツ)
・犬の散歩をする(3.0 メッツ)
・そうじをする(3.3 メッツ)
・自転車に乗る(3.5~6.8 メッツ)
・速歩きをする(4.3~5.0 メッツ)
前文のリンクは下から、平成25年データなので少々古いが読める方は参考にして欲しい。

 長くなったが「適度の運動」と個人が抱く感覚と大きな開きがあると思う。これより強い運動をするのは「適度」ではないことになる。スポーツという身体活動は続ければ怪我もするし疲労もする。新陳代謝を促進するから細胞分裂も多くなるので、究極寿命を縮めるとも考えられる。
どのくらいやったら痛みを感じるとか、怪我をするとかこの時点ですでに「自己責任」であるため、言われるがままや基準を守るより自分の「感覚」を磨き上げて、腰に負担がかからないレベルを体得するしかない。
 また適度な運動レベルをこなせない人は「やばい」。痛いとか辛いとかいう前に何とかできるように回復させることが必要だ。個人で無理ならトレーナーや治療家、稀ではあるが医師の力も借りて運動レベルを引き上げることが必須だ。「痛いからやめておこう」というレベルでない。甘えないことだ。身体は自己管理。

万人を治すメソッドはないが、一般論として

 腰を構成している骨は腰椎と骨盤、関節は椎間関節、仙腸関節、股関節、筋肉は腹筋群、背筋群、殿筋群と少々専門用語を並べてみたが、構成している物は下図のとおりである。

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 人の身体も地球上で存在している限り「重力」の影響を免れない。我々は生きている間中重力に逆らって身体を動かしているのである。そもそも重力は上方から下方へかかる力なので、身体はたえず上から潰されている。それこそ人生100年間潰され続けるわけで、器質的な怪我や痛みは重力との関係を切っても切り離せない。なので改善方法は単純で・・・
①重力の影響を弱める(安静にして寝てる)
②重力の方向性を変える(骨盤矯正やカイロプラクティック)
③重力に逆らえる力をつける(筋トレ)
④重力から身体を休める(入浴やマッサージ)
と、まずはこの3つから試してもらいたい。
 これでも改善しない場合はパーソナライズされた対応は必須で、認知行動療法やブレインスポッティング、ファンクショナルトレーニング(動きのトレーニング)または病院へ行くという形へ対応を変えていくことだ。

まとめると。結局は治してもらうでなく「治す」

 痛みを感じなくなることと治癒は違う。痛みというのは非常に移り気であり慢性化すると、痛みを感じる所の状態と痛さの感覚がかけ離れるいい加減なものである。
 また「腰が痛い自分」というのがアイデンティティーとなっている場合も厄介である。「腰痛」というワードを用いて他者の関心を誘うことや、自分が努力しない理由づけのために腰痛という言い訳をする。上司に逆らえない職場だと防衛的反応から腰痛になっている人もいる。
 このように要因が様々な腰痛。私はこれを「面白い」と感じてしまう性癖である(笑)

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