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【小説】ゆれるかご・5
商社に勤める中村亜希子は、恋人の田畑聡とその娘小梅と、シェアハウスに暮らす同居人のような気負わない暮らしをしていた。
ある日、亜希子は会社の人事部から突然呼び出されあらぬ疑いをかけられる。
*こちらは全5話の最終話です*
4話はこちら
5
「お待ち合わせでしょうか?」
入口で店内の様子を伺う亜希子に店員は尋ねた。指定された銀座の喫茶店へ予定の5分前に入店したが、目的の人物、高倉賢治氏はまだ姿が見えない。
事前に社内報で顔写真を確認してきた。白髪の穏やかな表情の男性だ。長く海外支店での支店長を務め2年前に本社エネルギー事業部門の執行役員に就任した。
亜希子はひとまず入店し高倉氏を待つことにした。低く柔らかいソファに腰をうずめると、ひどく場違いな心持ちになり緊張感に拍車がかかった。
高倉氏に会うことを告げたときの聡は見たことのない苦渋の表情を浮かべていた。
あの表情を見て、今日この場に来るべきか否か亜希子は何度も思い悩んだ。
けれど、結局ここへ来たのは、自分自身の気持ちもさることながら、あんな表情を浮かべる聡の重荷を、肩代わりとまではいかないまでも少しでも共有できないかと亜希子なりに考えたからだった。
高倉氏がなんの目的で娘の元夫である聡の近くにいる自分を遠ざけようとするのか全く見当がつかない。ただ何らかの目的がある以上、そこを見ぬふりをして過ごすことは出来ない。
*
高倉氏へのアポイントは思いのほかすんなりといった。
土曜日の夕方特急を降りた亜希子は、同期の森本の社用携帯に電話した。亜希子とて、自分の急な異動命令と関連づけて唐突に本人に連絡するほど浅はかではない。
確証を得るため人事の森本にカマをかけたのだ。森本が電話に出ると、休日に電話をしたことを詫びた後、白々しくこう切り出した。
「一応ご報告しておこうと思いまして……。高倉執行役員より私にご連絡がありお会いしました」
相手が息を呑むのが伝わってきた。しばしの間があったのち、こう返ってきた。
「そう……ですか。なんの件で?」
「それは……内密にとのことだったので……ただ、まあ、今回のことに関することです」
言いながら亜希子は、我ながらずいぶん大胆な行動に出たものだ、と思った。仮に高倉氏が無関係だとしたら、とんでもなく迷惑な話であるし場合によっては虚偽説明で何らか責任を問われるかもしれない。
だが、電話口で森本が自分の知らぬ話に明らかに動揺してるのが伝わってきた。これでいい。充分な収穫だと亜希子は思った。
「高倉役員の仰る異動の〝理由〟は正直私には理解できませんでした。けど、これが会社の判断なんですよね?
私……会社を退職しようかと考えています。同期としていろいろとお世話になりましたのでお電話しました。では……」
そう言って電話を切ろうとすると、森本の慌てた声がした。
「退職?! 辞めるってこと?! 中村さん、仕事だけは出来るんだからここで辞めたら負けだぞ」
これまでの彼に対するイメージが180度変わる熱い物言いに面食らう一方で〝仕事だけ〟という言葉が引っかかり、亜希子はコメントに困った。
「高倉役員はあと2年もすれば役職定年だ。遠方地への異動命令なんだから、引越し代は会社に申請出来るし、ほとぼりが冷めるのを待ちながら着々と仕事して異動願い出しておいたらいい!
辞めたらこれまで努力したことが全て無駄たぞ」
「別に全て無駄ってことは……」
「それに! 次の就職のあてはあるのか? 転職ってのは思いつきや勢いでするもんじゃなく、虎視眈々と自分を高く買ってくれそうな会社を探してからするべきだ!」
まくし立てられるように言われ、唖然としながらもともかく礼を言った。森本が自分の境遇にここまであれこれ考えてくれることに驚いた。
なにはともあれ、高倉氏が一枚かんでることはこれで確定した。続いて、高倉氏にメールを送ることにした。
友井物産の電子メールアドレスはユーザー名には規則的なルールがあるため容易に想像がついた。ドメインは自分と同じである。万が一間違っていても別人とかぶることはないので、エラーで戻るだろうと思った。
突然のメールを詫びる出だしのあと、どう切り出したものか悩んだ。あまりに直接的に書けば、事前に人事部長あたりに連絡がいってしまうだろう。
ちょっと小賢しいかと思ったが
『自分は田畑聡と暮らしており、以前ご結婚されていた娘さんのことで話がある……』
そういった感じの内容にした。プライベートなことと一掃される可能性もあったが、人事異動についていきなり触れるよりいくらかマシだろう。
作戦は功を奏し、メール送信から約1時間後に今いる銀座の喫茶店名と日時が短く返信されてきた。
*
低いソファに身体は次第に慣れてきたが、裏腹に気持ちは落ち着かず、亜希子は何度も腕時計に目をやった。
待ち合わせ時刻は午後4時だったが、予定時刻を10分過ぎても、高倉氏は店に現れなかった。
逃げられたか……?
もしくは森本から何か報告がいったか……。
社用メールになにか連絡が来ているかも?と携帯を見たその時、入口のドアが開く音がした。とっさにその方角に亜希子は顔を向けた。
品のいいワンピースを着た女性だった。違ったか……、そう思い視線を落とそうとして、亜希子は再び入口付近を見た。
そこには、亜希子がよく知る人物が立っていた。
まずいな……こんなところに知り合いが……。店を変えるべきか?そう思考を巡らせるうちに向こうがこちらに気づき、微笑みをたたえながら近づいてきた。
「お待たせしました。父の代理で参りました」
ニコリと微笑んだまま、亜希子にそう告げたのは、いつも共に働く同僚の小林奈緒だった。
「驚きましたよね?隠してたわけではないのですが、結果的にそうなってしまいました」
なんの躊躇もなく席につき紅茶を注文すると、奈緒はこう言った。亜希子のほうは状況が掴めないまま曖昧に笑うことしか出来ない。
「父が……なんか早とちりもあり、いろいろとご迷惑をおかけしたようで申し訳ないです。私もそこまでは、お願いしたつもりはなかったのですが……」
心臓が早鐘のように打つというが、これは早鐘どころの騒ぎではない。消防車のサイレンが鳴り響くようだ。恐る恐る訊ねた。
「高倉役員が?」
「私の父です。もっとも、父と母は離婚したので私はいま母の旧姓で名乗ってるんだけど……」
表情を一切変えず微笑んだまま、奈緒は答えた。
「じゃあ貴女が……」
聡の元奥さんなの?と亜希子は続けたかったが、言葉にならない。頭の中が混乱していて状況についていけない。
「奈緒さんだったの?あの写真流したの……」
代わりにほとんど泣きそうな気持ちで亜希子は訊ねた。奈緒はしばし思案するような顔をした後、こう答えた。
「ああ、あの写真? あれ、よく出来てたでしょ? 父も会社の人もみんなコロっと騙されてくれたよね」
まるで良いグッズ見つけたの、そんなノリで奈緒は言う。
「あの人さー…あ、あのいかつい人ね?すごいソレっぽいでしょ?」
奈緒は頬に人差し指で斜めに線をひくしぐさをした。
「私のボディガードなの。父が都内を歩くときはつけておけって言うから仕方なくね。でもさ、けっこうなんでもやってくれるの。今回みたいなこととか…」
紅茶を一口上品なしぐさで口に含んだあと、奈緒は思い出したかのように話を続けた。
「あ!でも、亜希子さんのほうはホンモノだから!」
「ホンモノ…?」
「そう。あれは、たまたま『バル・ドゥエロ』で飲んでる貴女を撮ったもの。すっごい楽しそうだったから思わず携帯で撮ったの。
もう1枚のほうは常連の人からなんかもらってるとこね。それをうまいこと合成した。なんかもらったんだから、覚えてない?ムリないか。結構酔ってたし……。
3枚目は…フフ…あれは仕組んだんだけどね。街中でわざとぶつかってもらったの。
亜希子さんみたいにまともな人はたいていああいういかつい人にぶつかられたら、自分は悪くなくてもスミマセンって頭さげちゃうのよね……」
奈緒は世間話のように楽しげに語っている。そのまま表情を変えずにこう言った。
「貴女みたいに光の射す表通りを歩いてきた人は、聡の気持ちは1ミリも分からないんじゃない?」
それまでの話があまりに自分の想像を超えていて、まるで他人事のように聞いていた亜希子は、突如もたらされた〝聡〟というワードに我に返った。
「なんでそこで聡が出てくるの?」
奈緒は質問に答えなかった。その代わりに滔々と過去のことを語りだした。
自分の両親は子供のころからとにかく仲が悪かった。父は仕事でほとんど家におらず、母は専業主婦だが、どこか父の言いつけにおびえ生きているような人だった。
高校に入学した年、ついに両親は離婚の意思を固めたようだった。自分には兄がいたが、兄は優秀で父にも可愛がられており父のもとへいくことになった。私は父の期待には応えられなかった。だから母と暮らすことを選んだ。
母との生活が始まってしばらくした頃、出席番号が近かった聡とたまたま雑談でお互い両親が離婚していることを知った。親近感から始まった関係がやがてお互いをかけがえのない存在と認識するまで時間はかからなかった。
「高校出たら籍入れて一緒に暮らそうって約束したの。うちの母も聡のことを気に入ってくれて。
簡単だけど結婚式も挙げたのよ。
私の父は当然結婚に大反対だったけど、離婚していたから……母が庇ってくれてね。結局、赴任先を離れられないから帰国できないとか言って、式には来ず兄にご祝儀だけ預けてきた。
まぁそんなささやかな結婚式だったけど、私たちは幸せだった」
いつもの奈緒は基本的に自分だけが話を続けることはない。どちらかと言うと物静かに聞き役に回るタイプだった。亜希子は複雑な気持ちで話を聞いた。
「私たちは地元にあんまり居たくなかったから、二人で上京して聡はすぐに就職して私もパートだけど働くことにした。慣れないことばかりだったけど、聡と二人でなんとか乗り越えたわ。
でも、そんなある日、小梅ちゃんが生まれたの」
亜希子の胸の奥で心臓がドクっと鳴った。
〝小梅は聡の妹〟と知っても、どこか作り話のように感じてたその事実を目の前にいる奈緒が話そうとしている。
「小梅ちゃん、聡と私の子供じゃないのよ?……ああ、その顔だと〝知った〟のね。
前にさ、元奥さんとの子供が家にいるって話してくれたときあったでしょ?その時『ああ、知らないんだ。妹だって聡は話をしていないのね』と思ったわ」
亜希子は過去の会話を思い起こした。確かに、話したかも、しれない……。
一方で、思い出すのも朧気になるほど前から元夫である聡と亜希子が暮らしている事実を、奈緒は知りながら黙っていたことに衝撃を受けた。
なんで、黙っていたのだろう……。
私が逆の立場ならどうしたか……。告げないにしても距離をおくような気がする……。
奈緒の心中をはかりかねて亜希子は困惑した。そんな亜希子の様子にお構いなく、奈緒は話を続けた。
「私ね、聡から『母が突然子供を産んだ』と聞いてびっくりした。親って大人になっても親じゃない?だから、そんななんというか生々しいことが起きるなんて想像もつかなかったわ。
でも聡のお母さん若かったから年齢的には全然あり得ることだったのよね」
奈緒はぼんやりと空中を眺めるように呟いた。
「その数か月後かな……。聡が『俺が育てる』そう言って赤ちゃんだった小梅ちゃん連れて帰ってきたのは……」
「連れてきた……?」
それまで相槌さえも打てない張り詰めた空気に沈黙していた亜希子が返した。
「なんで……?お母さんになにかあったの?」
奈緒はふっと笑った。
「聡のお母さんは子供がいるとかいないとか関係ないのよ。突然ふわふわ居なくなる人なの。呼び出されたから実家に戻ったら、窓も開けたまま居なくなってたんだって」
「それにしたって……。子供が出来るんだから父親だっているでしょう?その人は?」
ガチャン…それまで音もたてず口に含みいれてはカップを戻していた奈緒の手が一瞬狂った。カップは音を立てソーサーへと置かれた。
「分からないよね?貴女みたいな人には……。だから聡も貴女には全てを話せなかったんじゃない?」
抑揚のない声で奈緒は呟いた。
『聡の気持ちは1ミリも分からないんじゃない?』と冒頭言われた言葉のリズムと同じだ。感情が見えない。
亜希子は奈緒の言う言葉の意味を考えた。
確かに聡は全てを打ち明けてはくれなかった。けれどその全てが分かりあえていなかったとも思ってない。確かに通じ合うものがあったから自分は聡とともに居た。聡もそう思ってくれていると信じていた。
なんと返そうか逡巡しているうちに、奈緒はいつもの微笑みをたたえた表情に戻っていた。少し遠くを見つめるようにこう言った。
「だからね、少し嫌がらせしてやろうと思ったの。都合のいいときだけ家族ごっこするみたいに聡と一緒に生きてる貴女に」
「……」
「でもやり過ぎちゃったかな。正直、私は人事異動までは望んでなかったんだけど。父は『そんな人間は近くにいないほうがいい』って言うんだよね。確かに私、亜希子さんが無邪気に語る家での話のストレスすごくて。なんか食べたものとか吐くようになっちゃってさ。
まあでもどっちにしても私、もう少しで派遣契約満期だから…あの部署では働けないの。だから亜希子さんを無理に異動させる必要ないって、父に話しておいたからね。安心して。
貴女が今日父に話したかったことって、異動取り消して欲しいって話でしょ?」
紅茶を飲み終えると奈緒は席を立とうとした。
「違うよ」
自分でも驚くほど強い声で亜希子は言った。奈緒の顔から微笑みが消えた。
「別に異動のことはもうどうでもいい。ただ、なんでこんなことするのか理由を聞きたかった。理由を知ることで聡の抱えてるものを分かち合うことが出来る気がした……」
奈緒の瞼が一瞬痙攣するように動いた。
「……分かち合う?」
「でも理由も目的もいま奈緒さんから聞いたからよく分かった。奈緒さん、私の言動がずっと不快だったんだよね。奈緒さんからすれば無神経なこともあったかもしれない」
「……なんなのそれ? バカにしてるの?」
「…奈緒さんがそんなにストレスを抱えていたなんて気づきもしなかった。
だけど…。私は奈緒さんさんがどう思っていようが、奈緒さんのお父さんが私のことをどうしようが、これからも聡と小梅ちゃんとの生活を大切にすることに変わりはない。
奈緒さんがどうして聡と離れることになったのか私は知らないけど、私は聡から離れない、何があっても……」
奈緒の顔が悲しげに曇った。二人は沈黙したが、しばらくして奈緒は息をついた。
「……ひどいこと言うのね。
でも…そうね、亜希子さんなら何があっても3人の生活を貫きそうね。
そういうとこ癇に障るけど、私には勝てないわ。
もう、貴女と会うことはないと思う。さよなら」
奈緒はそのまま背を向け二度と振り返らなかった。
亜希子は店を出たあと、銀座の目抜き通りをぼんやりと歩いていた。自分でも驚くほど強い言葉で自分の意志を奈緒に告げた。だがその一方で奈緒の告白から食らった衝撃は思いの外強く心にダメージを与えていた。
地下鉄の駅に入ろうとするとき、亜希子の携帯が鳴った。ああマナーにするのを忘れてた……そう思いながら見ると聡からの着信だった。
「もしもし?」
「あっこちゃん?いまどこ?」
銀座だと告げると近くにいるという。亜希子は迷ったが再び近くのカフェに入って聡を待つことにした。
数分後聡は慌てた感じで入店してきた。
「珍しいね、電話」
亜希子はなるべく笑顔を作り話しかけたが、聡は険しい顔をしている。
聡…私、元奥さんの奈緒さんに会った。
会ったというか正確に言うとずっと近くにいた。
今回のことは聡の過去となにか関係してるのかと思っていたけど、どちらかというと私にも深く関係していた……。
亜希子の頭の中に、どこから話せばいいか分からない言葉が次々と湧いてくる。だが聡の口からは亜希子の予想外の言葉が出てきた。
「俺、高倉さんと会ってきた」
*
土曜日の夜、亜希子が高倉さんと会うと言ったとき聡は軽いパニックになった。
置き去りにされたゆりかごの中の小梅。誰もいない中でゆりかごだけが揺れている、あの日が連想されたのだ。
あの瞬間の絶望を救ってくれたのは間違いなく奈緒だった。だが聡は奈緒との生活を守りきることが出来なかった。
ありふれた3人家族はある日、交通事故に遭った。幸い命に別状はなかったが、奈緒と小梅は病院に搬送され、たまたま帰国していた高倉が駆けつけた。
高倉は元々聡と奈緒の結婚をよく思っていなかった。生まれたとも報告を受けていない幼児とともに居たことに驚き、血液型をみて実子ではないことを知ると激昂した。
高倉は聡に、小梅を母のところへ戻すのでなければ、奈緒と暮らすことを認めないと告げた。奈緒は実家に連れ戻された。そして半年後離婚届が送られてきた。
その時の聡には小梅を守ることしか出来なかった。
*
「どうして聡が高倉さんに?」
聡は少しの間沈黙した。その後自分で自分の言葉を確かめるようにこう言った。
「あっこちゃんが言う通り、高倉さんが今回のことに絡んでるとしたら……それは俺が解決すべきことだと……そう思った」
亜希子の前にはいつも飄々としている聡の張り詰めた表情があった。
「それに小梅が……。昨日の朝、突然『携帯が壊れたのは自分のせいだ』って言いだして」
「え?」
聡は亜希子に、そもそも何故自分が小梅と暮らすことになったのか、そして何故元妻である奈緒とは別々の道を歩むことになったかを説明した。
それは亜希子にとって一部は奈緒から聞いた話でもあったが、改めて聡が語る言葉の一つ一つに触れていると、次第に呼吸がうまく出来ていないような感覚をもたらした。
彼は解けない糸に雁字搦めにされていた。
ああ…私はなんで『話してほしい』なんて軽々しく思えたのだろうか……。
聡のいつもの飄々とした感じが、全て身を護る術だったのだと悟った亜希子は自分の思慮のなさを悔いた。
聡はぽつりぽつりと話を続けた。
「俺の母はなんというか……ふわふわと生きている人で。いまも時々ちょっとした借金を作っては俺を頼ってくるんだ。
小梅はそのことを気がついていた。いつも俺が金を用立てていることを小梅なりに気にしていたみたいなんだ。
それで……俺があっこちゃんに全て打ち明ければいいと、そう思っていたらしい。
今回また母の件で連絡があったのを知って『単なる連絡じゃなくて〝不審者に脅迫されていることにすれば〟さすがに亜希子さんに助けを求めるんじゃないか』と」
小梅は、なりすましメールのサイトからその取り立てをしてる男を語り「家族に危害を加える」といったメールを聡にした。
家族に、といえば自分と亜希子に被害が及ぶことになるので、亜希子に話すだろうと思った。
ところが聡は無反応だった。
だからもう少し騒ぎになればと思い『中学に行く途中におかしな人から連れ去られそうになった』と先生に言うことで聡に連絡がいくようにした。
「結果的にはなりすましサイトのせいで携帯が壊れて俺はあっこちゃんに連絡がとれなかった。それを後から知って『ごめんなさい』そう言って泣くんだ。あの小梅が……。
俺それ見てたら、自分が今まで向き合うこともせずにきた過去のことを、しっかりあっこちゃんにも話して向き合わなきゃいけないって気付いた……。
だから高倉さんと会って話すことは、俺のケジメなんだ、そう……思ったんだよ」
聡からの連絡に、高倉は意外にもあっさり面会に応じたという。実は奈緒が亜希子と同じ職場で働いてることを告げ、
『今日中村さんと会う予定だったが、そちらには娘が直接話したいと言うので、娘に行かせる。君も今さら娘と会いたくはないだろう、私だけが応じる』
と告げたという。
面会の場で高倉が説明した顛末は、親の子を思う気持ちの発露、で片付けるには行き過ぎの感があった。
だが、その一方で高倉が望むのは、『亜希子の異動を取り消せるよう動いてもいい、ただし娘 奈緒と金輪際関わることの無いようにして欲しい』という拍子抜けするほどあっさりした条件のみだった。
聡の話を聞き終えた亜希子は自然と溢れていた涙を拭った。
亜希子はもはや会社のことは、どうなろうと良かった。ただ聡が自分のために、会いたくもない元義父と面会してくれた事実に声がが発せない。
数多くの言葉はいらないが、伝えておかなければならない言葉があった。
「聡、ありがとう……。
私、会社で異動の話が出て一番怖かったのは、あなたと小梅ちゃんとの生活がなくなること。
私これからもあの家で一緒に暮らしていいんだよね?」
それまで張り詰めた顔をしていた聡がようやく微笑んだ。
「あ、それとね、ちょっと行きたいとこがあるんだ」と亜希子も意味ありげに微笑んだ。
聡もともなって向かったのは街の洋菓子店だった。12月に入り、かきいれ時とばかりクリスマスフェアを開催している。
「コレコレ…これ買いたかったの!」
「……。まさかあっこちゃん。またサンタの帽子被るの…?」
「ダメかな?また小梅ちゃん冷めた目で見るかな?」
店員さんが差し出したサンタ帽をかぶった亜希子をみて、聡は吹き出した。
「いや…そういう懲りないとこ、らしくて俺はいいとおもう」
購入したケーキを手に2人は小梅の待つマンションへ帰った。
了
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