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何もないあなたを認めてくれる人はいますか? | 人生におけるセーフティネットとは

こんにちは@tateshina_lifeです。

今日はセーフティネットの大切さについて書いてみます。

以前、僕が浅草で飲食店をやった時に経営が思い通りに行かず、毎月お金を補填し続けた結果として2014年の9月時点で現預金を全て使いつくし、残るは借金のみ、来月から1円も入ってこないどころか、いつもと同じように数十万単位でお店を補填しなければならない、という絶望的な状況になったことを書きました。

僕は、平日に人と会う約束を果たしてから東京の街を歩いている時に、突然目眩がして「ああ、倒れる」と思い、道路端の壁に身体ごともたれかかったことがありました。

自分の意思でまっすぐに立って歩くことすらできないくらいに精神的なストレスがかかっていたのだと思います。

その時にすぐにスマホを取り出して奥さんと話をしました。

何を喋ったかは覚えていませんが、お金がなくなってしまったことと、東京の街で倒れそうになったことは伝えたと思います。すがるような内容だったような気がします。

それを聞いた彼女は、

大丈夫。お金がなくなったら私が働いて食べさせてあげる。東京の家の借金を返せないなら売却して中国の私の家に住めば良いでしょ。それでも足りないならそれも売れば良いよ。命がなくなったら終わりでしょ。

と言いました。

僕は僕自身がお金を稼いで彼女を食べさせるということしか考えていなかったので、この言葉を聞いた時、今まで経験したことがないくらいの驚きを感じました。

ああ、自分が何もしなくても最後は生きていけるのか、と。

そう思った瞬間、とてつもない安堵を感じました。結果として、上記のnoteに書いたような希望に繋がる行動に集中することができました。

追い詰められている時にはそのことしか考えることができません。

視野が狭くなるために解決策の選択肢はなくなり、前提を変えてしまうような大胆な転換ができません。結果としてより自分を追い詰めることになります。

そんな中、その状況を認めてくれて、かつ外から助けてくれた彼女の存在は言葉にできないくらいに大きなものでした。僕にとっての最後のセーフティネットが機能したのです。

両親など血縁家族の関係が社会化し、セーフティネットとして機能しなっていく中で、実は血縁以外のところにヒントがあるのかもしれません。社会化してしまうと、窮地に落ち込まれた対象は社会規範の中で価値判断されてしまうからです。

僕はたまたま血縁ではない家族、すなわち彼女に救われたことになりましたが、人によっては気のおけない友人や、会社の異なる組織に属する同期、場合によっては一緒にスポーツをする仲間などかもしれません。

最後の自分を認めてくれる人の存在は本当に大きい

そういう相手を見つけることが人生なのかもしれません

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