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人と話が合わなくても気にしなくて良い

こんにちは@tateshina_lifeです。

今日は周りと話が合わなくなっても気にしなくて良いということを書いてみます。

僕は小学校の頃から周囲の人たちとあまり話が合いませんでした。それは中学校、高校、大学と進むにつれて顕著になっていきました。

ですから”友達とつるむ”という行為の利点や感情における良い面が分かりませんでした。そもそも友達という概念がよく分からなかったのです。

僕には小さい頃から一般的に言われる友達、ましてや親友と呼べる人はほとんどいません。今でも本当に心の底から何かを分かち合えることができるのは奥さんくらいではないかなと思っています。

そんな僕には苦手なことがありました。

それは”内輪ウケ”とか”楽屋トーク”と呼ばれるような、特に何の目的もなくその場だけで交わされる世間話や噂話です。

何が嫌いだったのかを言葉にするのはなかなか難しいですが、先ほども書いた通り目的がなく、目的語のみの”会話”だったからと思っています。目的語が指すのは僕にとっては遠い芸能界の話だったり、その場にいない誰かであったり、場合によっては僕だったりしました。

会話に妥協案としての結論はなく、各自の論評で終わればまだしも、突拍子もないツッコミやボケによって寸断されることが多かったように思います。

子どもの頃の僕は、その場から離れるという”技術”や”経験”を持ち合わせておらず、この思いも寄らない展開にどのように適応すれば良いのか困惑することが少なからずありました。大勢の中にいるにも関わらず、自分だけ別の言葉や思考、感情を持っている人間なのではないかと疎外感を覚えることがありました

”内輪ウケ”や”楽屋トーク”を否定しているわけではありません。

そういった場所に適応できない、したくないと思うのであれば、それはあなた自信が適応力のない人間なのではなく、たまたま使っている言語の違う人の中に居合わせたんだという事実に気づくことが大事です。

昭和の高度成長期から安定成長期にかけて子ども時代を過ごした自分たちを取り巻いていたのは、マスメディアでした。学校教育という狭い範囲で生活していた自分たちにとって共通の話題はテレビやラジオの番組でした。僕たちが話す時の言葉や文法も大衆芸能からの影響を強く受けていたのです。ですから、大半の子どもたちは”そういった言語”を話していたわけです。

僕はメディアを批判的、分析的に見る癖がありました。ですからとても逆説的なことですが真似をするのも非常に上手くできたのです。

一方で、そのまま鵜呑みにしてその”言語”を話すことに子供っぽさを感じて、あえて遠ざかっていたのだと思います。結果、皆と話す”言語”が異なっていたのです。

大学になって”パソコン通信”を手に入れた僕は周囲の同じ世代とつるむことはせず、歳上の”大人たち”と会話することが増えました。それは渋谷や下北沢、高円寺、吉祥寺のライブハウスやクラブ。暗く、タバコの煙が漂うそこはサブカルチャーの真っ只中でした。

そこで出会った大人たちの言葉は僕が話す言葉と同じでした。

今でも大半の大人たちと会話しても話が合うことはあまりありません。それでも子どもの頃のように疎外感を感じることはありません。外国にいるんだなとむしろ興味深く相手の言葉やその背景にある本人の本質、外部環境などを楽しめるようになりました。

僕が山に住んでいるのはそういうことが理由なのかもしれません。

メインストリームに属すことができなくても受け入れてくれる人は、場所や瞬間によって必ず存在します

”大人になれない子どもたち”こそ堂々とサブカルチャー、カウンターカルチャー、アンダーグラウンドを生きてください。

過去の自分(たち)へのエールとして。

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