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生酛造りで造られた日本酒の味わいとは その3マニュファクチャーによる生酛造りが行われるまで 本日の紹介酒は天野酒クール(大阪府 河内長野市)

初期の生酛造りは試行錯誤の末

従来よりも安定した乳酸発酵できる方法を色々試して模索したのが、寒造りの酛立て法を用いた南都諸白の酒造りで、伊丹に於いてさらに改良を加えられた山卸の手法を用いて、その後生酛の酒造りの技術として進化していきます。勿論そこに至るまでに色々試し試行錯誤しながらたどり着いたと考えられます。

菩提元から進化した水酛の技法

また、その後も大正時代に至るまで酒造りの技術として用いられた水酛の技法とは、菩提酛の造りをベースに従来の菩提酛は晩夏での酒造りであり腐造のリスクが高かったのを、水酛に進化する事で寒造りに適した低温(寒い時期)でも酒造りが可能になり従来よりも安定した酒造りが可能になる事で大正年間迄水酛の技術での酒造りが行われていました。

速醸の技法

この後、明治42年に江田鎌次郎技士の手により腐造を防ぐ安全醸造の観点から水酛での酒造りの技術をベースにして、酒造りの工程を省力化した速醸酛の技術が開発されました。 (菩提泉としての菩提酛の造りの技術自体は室町時代後期には確立しており、その菩提酛の技術を磨き進化したのが水酛の技術であります)

醴(あまさけ)式酛取法

一方で、安土桃山時代には、太古に行われたという醴(あまさけ)式酛取法である煮酛法(仁本法)を用いた金剛寺の天野酒の方が高級酒としての完成度は高かったです。(蒸米と糀米を合せ半切に仕立て粒泡の立つ頃釜に入れて煮込み、泡立ちを見て再び半切りに移し急速に冷まして改めて発酵させる方法)

※Youtube CHHさんのチャンネルより引用

灘酒の登場まで

伊丹に於いてほぼ初期の生酛の技法が完成し、暴れん坊将軍で有名な八代将軍徳川吉宗公の治世(1716~1745年)の間で、農業の技術革新や新田の開発が進み世の中のお米が有る程度余り出し、その解消にお酒造りをある程度奨励しだし灘酒が台頭し、その後、老中田沼意次公のいわゆる田沼時代(1751年以降)に貨幣経済が活性化しだし世の中が本格的に豊かに成りだした頃に、灘でもマニュファクチャーによる酒造りが行われるようになり、現在に近い生酛の技法が確立したと考えられます。

本日の紹介酒

 天野酒 クール 本醸造 (大阪府)

主体となる香り  

原料香主体、淡いハーブ香と淡い柑橘香有

感じた香りの具体例

炊いた白米、生クリーム、マシュマロ、スペアミント、甘夏、スウィーティー、和梨、ミネラル、瓜、水飴

具体的に感じた味わい

滑らかでスッキリとした飲み口、スッキリ爽やかでキレの良い酸味と苦味が主体、後味はスッキリ爽やか、スペアミントや甘夏を思わせる含み香

このお酒の特徴  スッキリ爽やか、ふわりとした味わいのお酒

温度設定のポイント

10℃前後にて、スッキリ爽やかな味わいを引き出す
38℃前後にて、ふらりとした味わいとキレの良い後味を引き出す

この日本酒に合わせてみたい食べ物

出汁巻き玉子、エビフライ、鮭の西京焼き、ところてん、野菜の煮付、大根の煮付、キュウリの浅漬、生ハムメロン、杏仁豆腐等

※お酒の画像は天野酒さんHPより引用しました。


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