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「誰にでも優しい」は美化しすぎ。

「誰にでも優しい人」ってたまにいます。

誰に対しても常に笑顔で、決して怒ったりせずに受け入れることができる寛容な人……と言えば聞こえがいいんでしょうが、僕はあまり誉め言葉だと思えないんですよねぇ。

たいてい、どんな性格にも一長一短あって表裏があって、いい面もあれば悪い面もあるのが通常です。

「誰にでも優しい人」。

僕はそれはただ単に「他人に甘い人」なだけだと思ってます。

他人とうまくやっていくうえで、自分に危害が加わるとよくないからついつい他人に甘く接してしまう。

だけど、そうやって甘やかされていい気になってる人は、目の前の「誰にでも優しい人」に感謝こそすれど、まさか悪口なんて叩けません。

「えー、あんた甘すぎるんじゃないの?」
なんて言える人なんて極々少数なんだと思います。

そうして「君って誰にでも優しいんだね!」と言われた人はそれに味を占めてどんどん周囲に優しさを振り撒いていきます。

こうして「誰にでも優しい人」は順調に育っていきます。

デッドロック状態というやつです。

まぁひたすら他人に甘いことが悪いことか、なんて僕には分かりませんが、いざという場面で人に厳しくできない人は、組織の一員としてはちょっと心許ないような気はしますよね。

そう考えると、「甘さ」の反対って「厳しさ」なんだなぁ、なんて考えもポヤーッと浮かんできます。

僕、ずっと「厳しい」の反対って「優しい」だと思ってたんですよね。

でも思い返すと感覚的にちょっと違うくて。

「優しい」って言葉は「甘さ」とか「誠実さ」とか「温かさ」とか、相手に向けるプラスの感情を全部ひっくるめてその言葉ひとつに表現しているようなところがあると思います。本当は単語一つにまとめきれないくらいのとても情に厚い言葉のように思います。

だからといって反対は「無関心」
それだとただただプラスマイナスがゼロになるようで、あまり正反対のようには聞こえません。

ん~、要は相手に向けるプラスの感情だけをすべて切り取ってマイナスにもっていった状態のことですから、「冷酷」とか「情け容赦ない」あたりが適当なんでしょうか。


日本語って本当に難しい。

たまに何も誰ともしゃべりたくないときってありません?

そういうときって相手がどうのこうのっていうより、言葉ひとつひとつに振り回されるのが心底イヤになったときなんだなって最近はちょっと思っています。


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