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【おいしいものでできている】レビュー|否定しないから味わえる

ある観光地で、はちみつの専門店に寄りました。入るなり店のおばさんが「砂糖は体に悪いよ。」と言い始めました。その話は結構長くなりそうだったし、商品を買う気にもなれなかったのですぐに店を出ました。そのあと数日間、砂糖かはちみつを見ると、おばさんの発言を思い出しました。苦い気分でした。

はちみつを肯定するために砂糖を否定するような語り口は色々なところで耳にします。ですが、否定しないで語る方法もあるのではないかと、いつも心の片隅で思っていました。そんなとき『おいしいもので できている』という本に出会いました。

著者の稲田俊介さんは、飲食店をプロデュースしたり、ご自身で南インド料理のお店「エリックサウス」を経営したりと、食の世界で幅広く活躍されています。飲食業界の中の人ではありますが、ブログ「サイゼリヤ100%☆活用術」やPodcastの対談「ロイヤルホスト、プチフルコースの儀」を披露して、食べ方の楽しい提案もしてくれます。

『おいしいもので できている』は、稲田さんの初のエッセイ集です。そこに展開されるいくつものお話は、グルメな人が知られざるお店を紹介するものではありません。マニアックな食べ物を語るものでもありません。知識と経験がつくる客観的目線と、食べるのが好きな一般のお客さんとしての感覚、その両方を絶妙なバランスで感じられる滋味深い読み物です。

私はこのエッセイ集を読んで、食の周辺には気づいていなかった味わいが存在することに気づきました。

例えば、月見うどんのお話では、最初の一口目には一瞬の愉悦があるけれど、二口目以降もしみじみ味わえると書いてあります。私は月見うどんを食べているときに焦っていることに気づきました。崩した瞬間から固まり始める黄身と、溶けた白身で白濁してくるつゆ。事態を最小限にとどめるべく早急に食べ終わらなければと思っているのです。

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子供の頃から、最初から最後まで均一な味がいいと思ってきました。納豆を食べるときは、お茶碗の中でご飯と均一になるまで混ぜてから。卵かけご飯も同様に、ご飯全体が黄色になるまで混ぜてから。ビビンバも卵の痕跡を無くすまで混ぜてから食べます。もしかしたらそれは、臆病な食べ方なのかもしれません。

一口目が幸福すぎたら、そのあとがつまらなく感じてしまうので、最初から均一に混ぜて幸福の薄味を長時間続くようにしていたのです。だから、黄身を割ったあと不均一になってしまう月見うどんは、落ち着いて食べられなかったようです。

均一な味が大好きという自覚があるなら、そのまま混ぜることを貫けばいいと思います。でも私の場合は、惰性で臆病者を続けているだけでした。そろそろ卒業してもいいんじゃないかって思ってます。エッセイを読んで、味の変化を楽しめた方が豊かだと気づいたからです。


ポテトサラダの話では、「家事の負担を減らしたい人が、売っているポテトサラダを買いやすくするための提案がありました。それは、コクと甘味がある濃い味だけでなく、シンプルな味付けのものも選択肢として用意するというものです。私は確かに、特別おいしくはないけれど落ち着く味が外で買えたらいいなと思いました。でも、よく考えてみると違いました。

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ポテトサラダは買いませんが、私もスーパーのお惣菜を利用します。かぼちゃの煮付けもお煮しめもコクと甘みがある濃い味で、おいしいです。家で作る肉じゃがや煮物も、出汁を濃いめに、甘みを多めに足すとおいしく出来上がります。私はそういう味をおいしいと思っています。そんな私がシンプルな味のお惣菜を買っても、おそらく旨味がないと判断し、一度きりしか買わないだろうと思うのです。

気づけば、「コクと甘み=おいしい」という方程式をどの料理にも当てはめようとしてしまっていました。味に真面目すぎるがゆえに、正解を一つに決めてしまっていたのです。お惣菜の陳列棚に、シンプルな味が並ばないのは私のような人が多くいるからだと思います。

稲田さん考案のポテトサラダのレシピは、具材は2種類、味付けは酢と塩だけでした。いきすぎたおいしさを一旦ゼロ地点に戻すような提案に見えます。家にじゃがいもが二つしか残っていない時にそのレシピを思い出すと、気楽に調理しようと思えました。電子レンジでじゃがいもを柔らかくし、皮をむき、つぶし、マヨネーズとコショウだけで合えます。

それでも十分、おいしかったです。我が家のポテトサラダの味も一つ増えました。食生活を面倒に、しかし退屈にさせないためには、これくらいの適当さがいいみたいです。


カツカレーの話では、食べ方で好き嫌いが変わることも発見しました。稲田さんはカツもカレーも大好きだけどセットになっているカツカレーは嫌いと断言しています。その結論に到るまでに、たくさんのカツカレーを食べ歩いていました。

このお話を読んだあと、自分が少し恥ずかしくなりました。安易に好き嫌いを決めてしまっていたことに気づいたからです。例えばジャムです。パンに塗るのはバターで、ヨーグルトに甘みをつけるのもはちみつだと決めていて、家にはジャムがありません。はっきりと「嫌い」とまでは言いませんが、好きではないのです。ですが、記憶を辿ってみると、カフェのモーニングセットでバターと一緒に提供されるジャムは結構好きかもしれないと思い出しました。ヴィクトリアケーキに挟まっているジャムもおいしいです。これがないといけないとすら思います。要するに、バターと一緒に食べるジャムが好きなんだとわかりました。

安易に好ましくない、と決めつけないほうが好きなものを増やせます。一つの食べ方が好きではなくても、別の方法を思い出してみると、気に入る部分に気づけます。だから、すぐに好ましくないと判断せずに、その周辺を見回すことを忘れないようにしようと思います。

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稲田さんは、知識や経験や偏愛を語ることで、「おいしい」の定義を広げてくれました。自家製で麺を作ってないラーメン屋さんはダメ、蕎麦は十割じゃないとダメ、ピザは熱々でないとダメ、みたいなことはエッセイには書かれていません。「そこに悪意が介在しない限りまずいものなんてない、というのが僕の信念です。」とも書いてあります。何かを否定してしまった方が簡単で、共感も得やすかったりします。ですが、それをやらずに食の楽しさを伝えていることに、このエッセイ集の素晴らしさがあります。

砂糖の恐怖にかられてはちみつを買ったとしても、甘みが置き換わるだけで、おいしさに気づくことは難しいです。身体だけの健康を考えれば、それでもいいのかもしれません。でも、生活の楽しみは減ってしまうのではないでしょうか。それは結構悲しいことです。

「砂糖は体に悪いよ。」と言った店のおばさんが、はちみつの味わいを誰かに語る日を密かに待っています。





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