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ドラキュラとゼノフォービア―2

 丹治愛氏によれば、19世紀末ヴィクトリア朝のイギリスは、外国恐怖症ゼノフォービアにかかっていたという。それはどういうことなのか。
 そしてその時期に出版された『ドラキュラ』というホラー小説が、イギリスを覆っていた外国恐怖症を背景に取り入れているのだともいう。

 丹治氏が1997年に出版した『ドラキュラの世紀末』から、それをみてみよう。

 イントロダクションとして、「ドラキュラの謎」と「ドラキュラの年は西暦何年か」があり、その次に三つの章がある。
 各章にはそれぞれ二つの項があり、外国恐怖症の具体的な症状が挙げられている。

●帝国主義の世紀末
  1「侵略恐怖」
  2「アメリカ恐怖」
●反ユダヤ主義の世紀末
  3「ユダヤ恐怖」
  4「混血恐怖」
●パストゥール革命の世紀末
  5「コレラ恐怖」
  6「瘴気恐怖」「細菌恐怖」

侵略恐怖

 19世紀末、イギリスで侵略小説というジャンルが流行った。『ドラキュラ』もその一つ。その他にも、『ドラキュラ』が刊行された1897年に雑誌連載されたH・G・ウェルズの『宇宙戦争』も侵略小説に分類される。

火星人、ロンドンに襲来。
ウェルズ『宇宙戦争(The War of The Worlds)』の挿絵
Wikipediaより

 『ドラキュラ』は近代文明の最先端の帝国イギリスに、吸血鬼という東欧の怪物が密かに侵入し、知らぬ間に犠牲者を新たな仲間に加えて増やしていくという点が侵略小説というのだ。

 侵略小説というジャンルを確立させた作品はG・H・チェスニーの『ドーキングの戦い━━ある志願兵の回想』(1871)で、内容は50年後の近未来を舞台に、志願兵だった老人が孫たちに語る50年前のイギリスに外国の軍隊(ドイツ語を話す敵)が突然侵攻してイギリスが危機に陥ったという話だという。

 この架空の侵略戦争が当時のイギリス人に受けた背景は、軍事国家としてのドイツ(プロイセン)の台頭がある。

 『ドーキングの戦い』が書かれる前年に普仏戦争が起こり、強大な陸軍力を誇っていたフランス軍があっさりと敗れ、ナポレオン三世のフランス第二帝政は崩壊してしまった。
 そして翌年、ヴィルヘルム一世はドイツ帝国の成立を、パリのヴェルサイユ宮殿で宣言したのだった。

 普仏戦争はイギリスにとっても衝撃的な出来事だった。帝国主義国家としては後進国だったドイツが、近代的な軍事力でフランスに圧倒的な勝利を収めたのだ。イギリスの防衛力は十分なのか?

 『ドーキングの戦い』の掲載紙は重版を重ね、国防に関する論文が続々と発表された。軍隊の近代化を進めないと、明日はフランスのようになってしまうかもしれない。

 あまりの過熱ぶりは侵略パニックとまで言われ、時の首相グラッドストンは「人騒がせな言動に対して警戒を怠るな」と警告したほどだった。


 少し時間を戻して1856年、トメ・ド・ギャモンというフランス人が、英仏間を結ぶ海底トンネル計画を構想し、ナポレオン三世及び、アルバート公(ヴィクトリア女王の夫君)に提案した。女王は船酔いに悩まされずに大陸に渡れると、この計画を祝福した。

 イギリスとフランスの双方で、夢の海峡トンネル建設のための会社が設立され、ルートの選定や試掘などが進められた。最初は両国とも大いに乗り気だった。

 事情が変わったのはやはり普仏戦争が原因。大陸と陸続きになることに、イギリス人は次第に不安を覚えるようになったのだ。
 もしフランスとイギリスが列車のレールでつながってしまったら、トンネルを使って容易に軍隊を送ることもできる。

 その上、あらゆる外国の好ましからざるもの(急進主義、社会主義、虚無主義などの政治的疫病)まで入ってくる通り道になるというのだ。

 トラファルガーの海戦でイギリス海軍がナポレオン一世のフランス軍を撃退したのははるか昔の1805年。
 世界一の海洋国を誇ったイギリスだったが、船は帆船から汽船に替わり、英仏海峡の国防的意味は変化した。もはや、海峡はイギリスの防壁ではない。
 そこへもってしての海峡トンネルだった。

 1880年代に入り、あれほど喜んでいた女王も懸念を示し、海峡トンネル計画は中止された。技術的問題でも財政的問題でもない。イギリス人の侵略恐怖がこの計画を白紙にしたのである。


 イギリスの他国に対する不安と焦りは、軍事力、経済力で追い上げてくるドイツ、フランス、または次の項で取り上げるアメリカなどの先進国だけではない。

 丹治氏は「侵略恐怖の原因は結局イギリス自身のなかにあったということ」という。
 それは世界中に植民地があるイギリスの、罪悪感が生み出した恐怖なのだ。

 スティーヴン・アレータは「反転した植民地化の不安」と呼んでいる。「文明的」な地域(イギリスのような)に、「原始的」な力によって後進地域(例えばアフリカのような)が逆襲してくるのではないかという不安。

 アレータはヴィクトリア朝のそうした不安を表す作品として、ストーカーの『ドラキュラ』をあげる。

 侵略小説は植民者が被植民者に、搾取者が被搾取者に、加害者が被害者に反転するという恐怖を表現する。
 つまり、イギリス人の犯した罪悪に対する正当な罰として表象される物語なのだ。

「我らは征服民族」
ドラキュラのモデル、ワラキア公国の封建領主ヴラド三世(1431~76)
Wikipediaより
現在のルーマニア南部にあったワラキア公国は常にオスマン・トルコの脅威にさらされ、
国内の権力基盤も不安定で、ヴラド三世も三回も即位と退位を繰り返した。
そのため、苛烈ともいえる恐怖政治を行い、
結果的に国内に泥棒が一人もいないと言われるほどの治安をもたらした。
ただし、その代償として串刺し公(見せしめのため、
生きたまま杭に串刺しにしてさらし者にした)というあだ名をつけられた。
ハンガリーやドイツなどではすこぶる評判が悪かったが、
ルーマニアでは現在でも故国を守った英雄とたたえられている。
彼の死後、オスマン・トルコが衰退した後も、ワラキアを含むバルカン諸国は紛争が絶えず、
「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれた。
イギリスもその紛争に無関係ではない。

 ところでストーカーはイギリス人ではなく、アイルランド人だった。いってみれば植民地側の人間だったのだ。グラッドストン首相が提出したアイルランドの自治法案は二度にわたって否決された。(1886年と93年)

 丹治氏は「ストーカーはイギリスの侵略恐怖を外側から見る視点を得ていた」という。

 『ドラキュラ』の中で、ジョナサン・ハーカーが小さな手鏡を見ながら髭を剃っていると、後ろからドラキュラ伯爵に声をかけられる。だが、映るはずの伯爵の姿は鏡の中にはない。

 ドラキュラという侵略者は実体のないもの。鏡に映っているのはイギリス人ジョナサン・ハーカーの顔だけだった。


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