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日記;父母覚書

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脳内出血で倒れた父と認知症の母。もう亡くなりましたが、日記にしたためていたメモを後悔する事に意味を感じ公開します。
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#父

高倉健/父生前の日記

高倉健/父生前の日記

昨日、高倉健氏の訃報を父とホームで知る。

以後、父はまたしても、ナーバス。
死に遅れた、死にたい病に取り付かれている。

「健さんより、オレは年上ったい、あぁ、長く生き過ぎた・・死ぬにも死ねん。

いつまで惨めな奈落で過ごさにゃならんとか!」

父の舎弟たるオジサン曰く
”会長!死んだときが寿命です”
実に端的ながら真理だと思う。

幼い頃から不在の多い父との数少ない思い出は映画鑑賞である。

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父想う雲/生前覚書

父想う雲/生前覚書

ソレを積乱雲と呼ぶことを知ったのは幾つだったかしら。

いえ、どう考えても、アレは入道雲なのです。

小さい頃から、空を見上げることの好きな私は

ある日、むくむくと空に湧き上った巨大なアレが父に見え畏怖したものだ。

父の雲は・・年々、小型化している。

畏怖せしめよ、父!
私の入道雲よ、父!

怖かった。でも愛して愛して、愛されたいと願って来た。

嗚呼、その大きな父たる雲を、今、焦がれてやま

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父の顔/生前覚書

父の顔/生前覚書

父は半身麻痺だが喋れる。

三年半前、脳出血で搬送され手術。

脳の損傷部位は広範囲にて、命の危機に瀕した。
高次脳機能障害という耳慣れぬ後遺症を担当医から知らされ、書物とネットで、知識を仕入れた。

感情の高揚、記憶の欠落、特に前者は、病になる前からの父の性格でもあり、その違いが区別出来ず、時に迷い、わたしが落ち込む羽目となった。

ようやく、諸症状を理解把握し、父本来の気性を知るわたししか出来

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父緊急搬送>入院(過去日記より)

真夜中の電話はいつだってドキっとします。

日付変わり二時過ぎー

鳴り響いたその電話の内容は、父の入所施設からのものであり

「お父さん、ま~た一人でベッドから車椅子に乗ろうとしたんでしょうね!転んでいましたよ!

今度はどうも骨折しているようなので、総合病院に搬送されたところです!

ご家族の方、至急、付き添いを!!」でした。

いや・・叱責されてもねぇ。。と思う心は置いといて。

明日、手術

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父の顔

父の顔

「何をどう言ってもつまらんのぅ。」

と、父がふっと笑う。

その顔があまりに寂しくて

帰宅後も脳裏から離れない。

豪胆でまさに九州男児そのものだった父、

やんちゃを重ねた十代

そして、企業を興した二十代

転身して、経済より誇りを望んだ三十代

父の人生は(父が手記をとうの昔、現役の頃、わたしに預けたのだ)

まさに波乱万丈、そして、輝かしい業績を残した人生であった。

8年前、突然倒れ

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父語る/日記より抜粋

父語る/日記より抜粋

拉致問題、首相が本気出しゃ、解決するにきまっとる。

望むだけの金出してやらんか。気の毒に・・親御さんが生きとるうちに、娘返してやらんかい!

しかし・・お前、海辺に住んどらんで良かったのぅ。

ぼやっとしとるから、簡単に拉致されたのぅ。がはは。

やれやれ。

ぼやっとしてると思うのは、昔も今も、おとうさん、貴方だけですってば!

私を一番知らないのが、貴方と母だとは・・あぁ、情けないやら笑える

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俺は鬱だー!

俺は鬱だー!

車椅子に乗り、半身麻痺の父は、大声でそう喚く。

脳内出血時の損傷箇所が大きくて、リハビリを頑張るも、結局、歩くこと叶わず。

ただ・・好きこそものの上手なれ。違うかw

生来、口の達者な、いや、饒舌、多弁、父が口を開けば誰もが時に感動で、時に

唇かみ締めて・・去ったという、その性格が幸いしてか

はたまた、言語療法士さんが、とびっきりの(父好みの)

スレンダーな若い美女だった為か、

言葉だ

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父;覚書

父;覚書

積乱雲を見ると

わたしは、父思い父に畏怖し父に焦がれた

既に巨大な体躯は見る影もなく

半分ほどの痩躯となりし父の

そのぎょろりとした眼を見出すとき

あぁ、まだ父は父なのだ、と思うのだ。