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飽きることに飽きる

響子は飽きっぽい。だから荷物が多い。
朝着て出かけた服も、夕方には飽きてしまって着替えたりする。系統なんてもちろん決められず、ギャル服やらフレンチガーリーやらきれいめやらストリートやらをちょびっとずつ持ってて、箪笥は服種のサラダボウルだ。
食材に好き嫌いはないけれど、丼ぶりやドリアや麺類といった一食一皿の食事は苦手。いつも、嫌いな食べ物は?と聞かれるとどう答えればよいか迷ってしまう。一皿のものを食べるときのために味変用マイ調味料を持ち歩いている。
この世には「食べ飽きる」「見飽きる」「聞き飽きる」などの言葉が存在するが、響子は「持ち飽きる」という概念を持ち合わせている。筆箱には様々な持ち心地のシャーペンを各種取り揃えており、テスト中であっても、右手で持ち飽きたら左手に持ち替えるという高度な技術(両利き)を発揮した。
響子は、アイデンティティを確立できなかった。周りの子と同じように誰かのファンになったり、何かのコレクターになったりすることは無理に近かった。そんなだから、人から覚えられるのにも時間がかかった。
そしてついに。響子は大荷物を持つのに飽きた。飽きないために持ち歩いていたのに、服を、調味料を、シャーペンを、持ち歩くこと自体に飽きてしまった。アイデンティティのない響子にとっての唯一の特徴である飽きっぽさが、飽きっぽさによって奪われた。
響子は今も息はしている。呼吸は、飽きたからといって止められるものではないから。だけど、生きていない。そもそも、響子は本当に生きていたのだろうか。人間は、アイデンティティなしに生きていけるものなのだろうか。


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