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受験のおかげで「置かれた場所で咲きなさい」を身をもって知る

春の連続投稿チャレンジ企画に合わせて私も書いてみようと思います。

今回は「受験体験記」をまず選んでみようと思います。
お題を見た感じで今の自分としても書いてみようかなと思っていたので、これを機会に書きます。

先に書いておきますが、これは受験の”成功体験”でもないし、受験をうまく乗り越えるテクニックでもありません。むしろ受験自体は失敗と言った方が正確かもしれません。それでもじゃあ受験が上手くいかなかったらそれで終わりかといえば、そうではないんじゃないかということを体験記としてここに書こうと思います。

高校受験から書こうと思うので少々、長めになりますが興味があれば読んでいただけると幸いです。



はじめに

全体がとても長くなったので、先に言いたいことをシンプルに書いておきます。なので、ここを読んでもらってその先を読むかご判断ください。

いちばん伝えたいことは、
受験が成功なのかどうか判断する基準は合格・不合格という結果ではないんじゃないか、ということです。

受験は確かに人生において重要な転機であり、人生の道のりを決めるものになると思います。

しかし、じゃあすべてが受験で決まるかと言えばそうではないはずです。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉の通り、自分の進む道の先でしっかりと充実した経験を得ていくことが本質的なものだと思います。

そんな思いに至った経緯を受験体験記として書くことで、これからの受験生の背中を押せたらいいなと思って書こうと思います。


高校受験

たぶん普通だったら大学生なので、大学受験の体験記を書くと思いますが、私はあまり受験との相性?がよくなくて、そのはじまりは高校受験からなのでそこから書きます。

ドタバタな志望校の確定

そこの都道府県でも共通なのかわかりませんが、私は後期受験で公立高校を受けました。ただ、その高校を受けると決めたのは1度出願してから、倍率などを見てやっぱり変えるというドタバタ劇を繰り広げました。

いまだに覚えてますが、出願変更の締め切り2日前の夕方にかけて担任の先生と電話で話して変えるか否か相談しました。そして、出願先を変える決意をしてそのまま学校へ行って事務室で変更のための書類を書きました。

おそらく、こんな経験したことのある人は少数派ではないでしょうか笑
今となっては貴重な経験だったのかなぁとかポジティブに思ってますけど

出願先を変えたというのは、最初に出した高校は志望校より1つレベルの低い高校でした。でも、元々の志望校の倍率が予想よりも低く自分の成績も少し上向きになってたのでいけるんじゃいかという可能性に賭けて、元々の志望校に変更しました。


高校受験の結果

ここまでの文章を読んでくればなんとなく結果は分かると思いますが、不合格でした!残念!

落ちたとわかったときはさすがに悔しかったです。
出願先を変えなければ不合格なんて味わうことなんてなかったのかもとか思いました。

結果的に進学先は併願で受かっていた私立に行きました。

高校に進学してから判明しましたが、同じ中学校でその高校を受けた人たちの中で落ちたのは私だけだったみたいです。(それもまた悔しかったですが)


そんな高校受験を経て

受験自体の結末としてはドタバタもあって、ハッピーエンドにもならず終わってしまいました。

でも中学校に入って勉強をがんばった自分というのは自信にもなったように思います。小学校時代には不登校も経験していて、中学時代も決して常に万全という状態ではなく、普通の学校生活とは少し異なるものでもありました。それでも「学ぶ」ことの面白さ、楽しさを知ることができて努力することができたという経験は自分にとって大きなプラスでした。

また、最後に志望校を貫き通したことも今となってはそれでよかったと思います。滑り止めの高校に入って一発目のテストでは学年トップ3に入りました。そのための勉強は吹っ切れてやり込みました。
たぶんそうやってけじめをつけて新たなスタートをできたのは、最後まで自分の希望を貫いて、それでダメだったから諦めも付きやすかったんだと思います。

もちろん第2志望の高校に行ったらそれはそれでまた違った楽しいがあったんでしょうけど、吹っ切れて滑り止めの高校に入ってがんばって、高校生活も満喫できたなと思います。高校生活は楽しかった、と思えているので。


大学受験


先に言っておきますが、大学受験もドタバタ劇があります笑

高校2年~3年5月ごろ

私は高校3年に進級するぐらいまでは、いま在籍している大学の学部(教育系)が第1志望でした。なので、このときの自分から見れば今の現状は目標が叶ったと言えます。

ですが・・・

重大事件を高校3年のGW後ぐらいに起こします笑

それは・・・
「やっぱり、医学部医学科に行って精神科医になりたいです。」

と担任に宣言しました笑


今まさに医学科を志している受験生のみなさんからすれば、おそらくあり得ない、とんでもなく無茶苦茶なことを言ってると思います。
私自身もいま思えば、よく正々堂々と高3の5月にこんなこと言えたなと…笑

まぁ、でもこのときは医学科に行きたいと思ってしまったんです。そして、高校受験でもそうでしたがなにせ私は諦めが悪いので、思ったからには自分の中で諦めがつくまでやらないと気が済まないんです。

とうことで、夏休みごろには正式に「医学科志望」として受験勉強に邁進します。


高3夏休み~受験

医学科に行くと宣言した時点で別に十分な学力があったわけではありません。まぁ模試で良くても偏差値50が取れるかなー…ぐらいです。

もしほんとうに医学科を目指すならまず偏差値60は越えなければ道は開けません。でも、その壁がとにかく高いです。

ここで勉強法などについて書くつもりはないので、もう結論を書きますが現役で医学部医学科に合格することはできませんでした。

でも、担任からも現役で合格することはほぼ不可能。目指すとしても浪人を見越して勉強していかなければならないよと言われていて、そのつもりだったので落ち込むこともありませんでした。


浪人

高3の5月に医学科に行くことを決意して、そのまま浪人へと進みます。

本当は浪人について詳しく書こうかと思ってましたが、さすがに長文になり過ぎるので浪人時代にストーリーは割愛します!

ただ、これだけは書きますが決してサボったとか、手を抜いたとは思いません。なかなかに濃い時間を過ごしたなぁと思います。
平日は毎日10時間~12時間は必ず勉強するという、1年間という長い間ひたすらただ1つのことを続けるというのは後にも先にもこの時期だけです。

勉強方法も自分なりに工夫しながら、試行錯誤して合っている方法を探しました。でも、私は受験との相性が悪いんですかね…
気になると1つの教科、1つの単元を深ーくまでやり込んでしまうところがあって効率性が下がってしまうんです。だから、まんべんなく落としてはならない点を確実に取るということを意識した勉強方法の確立に苦戦しました。きっと私は勉強することよりも学ぶことが好きなんだと思います。

それに気づけただけでも大きな収穫だったように思います。
いま私は大学で研究すことを面白がれて、取り組ませてもらっています。その理由はたぶんここで、自分は学ぶこと(もしくは究めること)が好きなんだろうなと思えたからかもしれません。

そして浪人生活を経て2回目の大学受験となりましたが、
結果は医学科に行けるだけの成績向上とはならず、いまいる大学を受けて合格となりました。ですので、受験を成功したとは言えない結果となりました。


現在

そんな感じで第1志望の医学科には行けず、高2のころに志望していた教育系へと進学することになって今に至ります。

受験を後悔しているか?

YesかNoかで答えるのならば、Noと即答できます。

たしかに浪人するべきだったか?
もっと勉強できたかもしれない
もう1年浪人という選択もあったかもしれない ・・・

タラレバの話しをし出せばいくらでも可能性は考えられます。でも、いまは全ての結果に納得していて、いまの自分を否定する思いは1ミリもありません。なので、自分の意思を貫いて良かったなと考えています。

たしかに私は受験は向いていません。勉強ができるタイプでもないのに、理想で努力しようとしたり、かといって上手い勉強ができるわけでもない。それでも、自分で決意してそのために時間を費やして努力することの価値はあったと信じています。


”いま”が楽しい

私は、”いま”が楽しい・面白いと思っています。

そしていまがあるのは、ここまで書いたようなドタバタな受験も経てきたからです。

そう考えるとやっぱりこの道でよかったんだなって思います。
だって、もし途中で諦めたり、妥協したりしていたら今がないんですから。

そして受験との相性が悪かろうが、学ぶことは好きだけど勉強することは苦手だろうが、いまを楽しめるかどうかは別の話だと思います。

私自身は自分の意思を貫いてここまでやってきて自分の道を選んだことに後悔はありませんし、その道の先でワクワクすることができている今があるので十分です。

現在、私は教育学や心理学を専門としつつも、コミュニティづくり、地域づくり、哲学対話や読書会、NPOなどでの活動参加を通して学校教育とは異なる教育についての価値観、考え方に触れてそれをどうすれば効果的に現場に落とし込めるか…などなどたくさんのことに関わらせてもらって、ワクワクして楽しんで生活しています。

たぶん、この大学生活は私だけが経験した唯一無二なんじゃないかって、ちょっと自意識過剰な言い方ですけど、内心では思ったりもします。

だから、やっぱり”いま”が楽しいと思えているし、充実しています。


受験をふり返ってみて(まとめ)

ここまで読んできてくれた方、ほんとうにありがとうございます。たいして面白く書けたわけじゃなく、ただただ長い他人の思い出話に付き合ってくれてありがとうございます!

これでほんとに最後ですが、まとめとしてタイトルにある「置かれた場所で咲きなさい」についてです。


ここまでお読みいただいた通り、私の受験体験記は成功体験記ではありません。

ドタバタ劇を繰り広げ、勉強不足で、計画性がないことが明らかに受験における私の失敗要因です。だから、これから受験のみなさんは受験で成功したかったら、ある程度の計画性と目標をちゃんともって、1歩ずつ着実に進めていくことをおススメします。当たり前のことですが…

でも、中には私のように諦めが悪かったり、突飛なことを考えてみたり、なにかチャレンジングなことをしてみたくなったりと、明らかなリスクを取ろうとする人もいるかもしれません。
もし、そういう人がいたとすれば私から言えることはただ1つ。

受験で失敗したからといって人生が終わることなんてない。だから、ひとまずやりたいようにやってみればいい。それで理想通りにうまく行けば超ラッキー、もし理想とは少しちがう道に行くとなってもそれはそれで楽しめばいいし、いくらでも楽しむことができる。だから、やってみればいい。

ということです。

そして、少し違う道に行くとなってもそれはそれで楽しめばいいというのは「置かれた場所で咲きなさい」ということです。

すでに書きましたが、”いま”を楽しめるかどうかは学力とか受験とかとはまったく別物です。たしかに受験で上手くいって理想の道に行けた方が楽しみやすいのかもしれません。そうだとしても、それはほんの少し楽しみやすくなるだけであって絶対的な差ではありません。

私は大学生ももう終わりですが、卒業するときに沢山の経験や学びを得ているかどうかは、その置かれた場でどう行動するかが問題です。
受験を経て理想の進路に行けたとしてもそこで立ち止まれば、楽しむことはできません。受験がうまくいかなくてそれをずっと引きずってしまえば、やっぱり楽しめません。

正直なところ、受験で失敗したというわけではないけれど、大学生活で積極的に行動したというわけでもなくて、学部4年間が終わるころに”ガクチカ”がない…って悩む人も普通にいます。

今いるその場で、その環境で楽しむためには、楽しもうと行動するしかない。そして、思う存分に楽しもうとするためには納得できる道を辿ろうとすることが大切だと思います。


繰り返しますが、
受験で失敗したからといって人生が終わることなんてない。だから、ひとまずやりたいようにやってみればいい。

そうやって進んだ道の先で楽しいと思えることが何よりも大切です。
受験における成功とは、合格したかとか理想の進路に進んだかという肩書的なものではなく、その受験の先の道で最終的に何を得られたかという中身の成功が重要だと私は思います。だから、その受験が成功だったのかどうかが本当に分かるのは受験が終わってからずっと先だと思います。


今回もお読みいただきありがとうございました。



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