冷蔵庫の怪
ふと思い出した。泉鏡花の短編に「革鞄の怪」というのがあった。読み直してみたら、別に「怪(談)」ではなかった。語り手は少年時の気味悪い見世物と登場人物の持つ革鞄を重ね合わせて一種怪奇な雰囲気を作り出している。が、怪奇現象はなく、結末は鏡花特有の亡き人への哀惜故に死者のように生きる男への友愛である。
そういえば、小学生のころ幾つか持っていた偕成社の少年版「シャーロック・ホームズ」シリーズの中に「ボール箱の怪」というのがあった。大人向きの(おそらく原文直訳の)版では「ボール箱」だった。実はこの話の入っている「シャーロックホームズの回想」の翻訳(大人向きの)は親の本棚にあって(今でもある)、子供向きの版を買ってもらう前に盗み読みしていた。残虐な話だが、超常現象はない。子供向きの版では、話が「残虐」にならないようにストーリーが全く変えられている。子供心に、これはルール違反だろう、という気がした。大人の小説を子供向きにダイジェストする場合、「18禁」的な部分を抜かすとか、用語を易しく書き直すとか、はあるにしても、ミステリで主要登場人物を消したり犯行の動機を変えたりしてはいけない、子供向きの話でないというならシリーズに入れるな、と当時でさえ思った。
「ボール箱」は複雑なトリックのある作品ではなく、どちらかといえばスプラッタ系の気味悪さが勝つ。大人になって読むとその残虐場面が夢に出そうな気がするが、10歳前後では一向に怖さを感じなかった。そのころ怖かったのはひたすらお化けや妖怪で、教室で昼間妖怪図鑑を見て笑っていたのに、日が暮れた後でそれを思い出すと急に怖くなって、自室で一人で寝るのがひどく辛かったのを鮮明に覚えている。
(いつもながら)長い前置きはここまでにして、我が家の冷蔵庫にどういう「怪」があったのか説明しよう。
半年ほど前。突然冷蔵庫の扉のパネルにカギ模様が出て消えなくなった。何かの危険信号かと思い、ネットで調べて「トラブル解決法」を試そうとしたが、製品が十数年前に購入したもので、パネルの形式が現在販売されているものと違っており、コンセントの抜き差し以外試せる方法がない。コンセントを何度か抜いたり入れたりしてみたが、カギ表示は一向に消えない。製氷室を開けてみると、中の氷が溶けだしているように思える。
これは本格的に故障か、とメーカーの相談室に電話してみたが、現在製造されていない機器の修理対応はできない、とのことであった。仕方ない、(昭和の感覚では短すぎるが)寿命が来たか、と近所の量販店でちょうどセール中だった製品に購入予約を入れた。家の台所の入り口が冷蔵庫の大きさに比べて狭くて入れるのに手間がかかるし、設置と下取りまでしてくれる運送業者はなかなかいない、手配に数日必要、というので連絡待ちということで帰宅したら、なぜかパネルの表示が正常に戻っていた。冷却機能に変化があるようにも見えない。
数日経って量販店から連絡が来たが、パネルの表示は変わらず、機能も正常である。これなら急いで買い替えることもない、寒い時節だし、万一故障しても中身は暖房のない場所におけばよい、と注文をドタキャンした。
さて20日ほど前。件の冷蔵庫の内部の照明が突然消えた。照明は消えても冷却機能に支障がなければよい、と思っていたが、その翌日、製氷室の氷が溶けだした。以前のように緩い、のレベルではなく明らかに水になりかけている。
これはいくら何でもまずい。幸い我が家にはもう一つ冷蔵庫があった。これも20数年前の製品だが、学生サイズで作りが単純なせいか、内部照明がつかなくなっただけで、今も快調に動いている。といっても普段は飲み物とアイスノンくらいしか入れていない。
冷凍食品や生鮮食料品はひとまずここに避難。(購入して初めて?)中身があふれ出しそうになった。これを私の仕事部屋から台所に移して、とも思ったが、毎日3食分の食材を入れるのにこのサイズでは不安、やはり台所には新しいものが必要だ、という家族の意見に従い、今度こそ新しい冷蔵庫を購入することにした。量販店だと我が家特有の事情の説明をなかなか聞いてもらえないから、と普段から何かと世話になっているガス・電気メンテナンス業者に製品の選択から設置までの一連の手配をしてもらうことにする。多少は高くつくが、日々気温は上昇するし、背に腹は、というところ。このときには既に「冷蔵」庫はただの箱になっていた。
先方も忙しいらしく、見積もりに来るまで1週間以上かかった。その間も気温は上がり続け、もう一つの冷蔵庫に入りきらなかった漬物や佃煮にはカビが生えた。ようやく見積もりが済んで、注文の品がメーカーから届き次第配達してもらうことになった。製品は量販店のものとほぼ同じだが、値引きはなし。運送料+工事費を入れると総費用は量販店で注文する場合の倍近くなる。
付き合いの長い業者だし、ここまで来てキャンセルはできない。が高い。まさか7月初めにこちらのボーナスが出ることを見越して吹っ掛けたということもないだろうが、と思いつつ食事の支度を始める。まだ元の冷蔵庫に入っていた要冷蔵ではない調味料のビンをつかむ。えっーーーー!
冷たい!
もう一度扉を開けてみると、何と庫内の照明がついている。コンセントを抜き差ししたとか、(一昔前のおじさんがよくやっていたように)配線が狂っていそうな場所を叩くとか、そんな作業は一切していない。製氷皿に水を入れてフリーザーに置いたら、数時間後にはまともな氷になっていた。
あれから一週間、冷蔵庫は完全に復調している。メンテナンス業者からはまだ連絡が来ない。
連絡が来たらやはり交換ということになるが、それまで冷蔵庫が正常に動いていたら何だか怖い。
電気製品が人語を解するわけもないが、持ち主が捨てる決意をした直後にいきなり元通り動き出す、という事態が繰り返されると、相手が意思を持った生き物のように見えてくるから不思議である。まだ動けるうちに家から出したら、オカルトではなくてもこちらの後ろめたさが夢に反映されそうな気がする。
夜中に台所に入ったら取り替えたはずの冷蔵庫が元に戻っていて、何気なく扉を開けたらゴキブリ*の大群が飛び出してくるとか…(題名は忘れたが、やはり鏡花の短編に、美女が廃屋の戸棚を開けたらゴキブリがどっと出て来て、袖で打ち払うというのがあった)。
さて、我が家にはもう一つ「寿命の来た」電気製品がある。これも購入後十数年経つ電動自転車である。数年前老母から譲り受けたものだが、1年ほど前からバッテリーの充電期間が短くなり、かつ充電器に入れてもなかなか電源が入らない。自転車店で相談したら、バッテリーが寿命に来ているせいと言われた。自転車本体もバッテリーも既に製造中止になった機種なので、バッテリーが充電できなくなったらお終いです、と。
冷蔵庫の上に自転車まで取り換える(電動「でないと動かない」重い車体には懲りたので今度はごく普通のロード用にするつもりではあるが)となるとボーナスの大半が飛んでしまう。で、バッテリーの充電の度に、「このバッテリーもうお終いかな。そろそろ自転車替えないと」と呟くことにした。
「水に思いやりを持って話しかけるとその結晶がきれいになる」というかつて教科書に(フィクションでなく実話として!)載ったといういうトンデモ話の類だが、効果があったら面白いのでしばらく続けてみるつもり。
後日談:
これをUPしてから2か月ほど経つ。哀れな冷蔵庫はとうに置き換わり、夢に出る気配もない。新しい冷蔵庫の搬入の時、搬入に邪魔なドアが一か所ではなく二か所であることが判明、メンテ業者が調整用の工具を店まで取りに行くという手間はあったが。まさか旧冷蔵庫の恨みがドアのサイズを変えたわけではあるまい。
自転車のバッテリーはといえば、あの日以来快調に充電されている。充電器のコンセントを差しっぱなしにしていたのを、一回ごとに抜き差しするようにしたせいかと思っていたが、数回それを忘れたときも充電の電源トラブルはない。で、自転車から降りるときは思い出したように「このバッテリーもうお終いかな」と呟くことにしている。
*椎名誠「怪しい探検隊 海で笑う」(角川文庫、1994年)だったと思うが、人間にはヘビが怖いタイプとクモが怖いタイプがある、という記述があった。大雑把に爬虫類と節足動物と分類してみると、私は「節足動物」一般がダメである。爬虫類は平気で、ヘビやワニも嚙まれない距離をとって見ている分には楽しんで見ている。トカゲやヤモリは可愛いと思うし、触れるのも気にならない。
一方で昆虫はともかく気味悪い。小学生までは蝶やバッタを平気で捕まえていたが、大人になってからはそばに寄られたくない。中学生?の時だったか、昆虫の六本の脚はすべて三つの体節の真ん中に当たる胸のところから放射状に生えている、という説明と写真を見てから急にその脚が気味悪く感じられるようになった。繊毛だらけのキチン質の脚がごそごそ動いて自分の手に触る、と考えると背筋がぞっとする。甲殻類も嫌い。エビカニの類を見るまたは料理するのは平気なのだが、どうしても口に入れられない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?