如月青

既に人生の折り返し点を過ぎたシャカイ系研究者。 バッハとシューベルトとラヴェルを愛し、…

如月青

既に人生の折り返し点を過ぎたシャカイ系研究者。 バッハとシューベルトとラヴェルを愛し、マッドサイエンティストに憧れている。 趣味は(音痴ながら)歌唱

最近の記事

しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(4) おフランスは甘くない

これまで「MBTI」を分類ツールにして日本の作家や作中の登場人物を見てきたが、外国の作家ではどうだろう、と考えてみて、案外?なところにぶち当たった。 私は学生時代の専攻が仏語仏文学で、主として19~20世紀*の「象徴派」と言われる詩を扱っていたのだが、そのうちBig Nameといわれる5人がいずれも「INT-」であるように感じる。 この5人の名前と作品に関する定説を時代順に抜き出してみるとこうなります。 ボードレール:退廃的な唯美主義を気取る自意識過剰ダンディ ヴェルレーヌ

    • 目出度くもない年度明け

      サンプラザ中野、と言えば「爆風スランプ」のヴォーカルで、代表作「Runner」が青春の歌だった、というとトシがまたばれる。今でも好きで時々歌うが、歌うたびにトシ食ったな、と感じさせられます。音域的には最高音はファルセットを使わないぎりぎりのところ、基本的には中音域と高音域の境目で、自分にはちょうどいいのだが、後半高音のサビが延々と繰り返されるところで、息が切れて上昇フレーズが難しくなる。 はさておき、年度末仕事が片付いたところで一日有休。現実の中野サンプラザ(中はもう空にな

      • NHKは誰のもの?

        筆者はこのところ「放送政策」に関するプロジェクトに携わっているので、これはお仕事話です。が、回答は後にすることにして。 今はまだ春とも言えないが、八月になるとかならず「NHK特集」で、学徒出陣や沖縄戦の特集が出る。私はそういうものはあまり見たくないほうである。最後は「平和への祈り」で終わるにしても、若くして散った兵士たちが、いかに残される家族や恋人を大事に思っていたか、命をかけて守ろうとしてきたか、が強調されるのが、なんだかなあ、という気がする。 無論彼らの思いは純粋で美

        • それでもしかし...

          「ゴジラ-0.1」がアカデミー撮影効果賞を受賞した。めでたし。 (以下ネタバレあり) 特撮映画ファンとしては見逃せない、と封切り後ほどなく見に行ったのだが、「シン○○」シリーズに比べ格段にスケールが大きい、と感じた。「シン・ウルトラマン」は楽しかったが、楽しいのはオフィスドラマっぽいところだったのですね。科特隊の部屋が現実の官庁の会議室そっくりだとか、「国際会議」がオンラインで、PCの前での演説が隣の席のオバサン役に笑われたりするのが妙にリアルだった。が、そういう地上のリアル

        しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(4) おフランスは甘くない

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(3)-2―男性フェミニストはT?

          大河ドラマ「光る君へ」批判の続き。2月に入ってから、「青年時代の紫式部(本名まひろ)と藤原道長の悲恋」が障害のないところに障害を立てているように見えて見ていられない。道長の兄の道兼が彼女の母を殺して虫けら呼ばわりした、というのがメインの障害であるが、貴族としては中流まで落ちぶれたとはいえ、紫式部の父方は道長と藤原氏の同系で、庶民ではない。結局はもみ消されるにしろ、道兼は父親から叱責されて謹慎した、夫の為時には物品なり地位なりで謝罪の意が示された、というくらいにはしないとあまり

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(3)-2―男性フェミニストはT?

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(2)―2 FPは近づく、TPは遠ざかる

          もう一月あまり前になるが、正月休みに泉鏡花の「山海評判記(初稿)*」を読んでみた。鏡花の最後の長編ということで、書かれたのは昭和初期、関東大震災の記憶が未だ生々しいころである。話のあちこちに「震災」がある中で、主な舞台は能登半島。別に何の符合もないが、珠洲、輪島あたりの被災地のニュースを見ると、手に取るのが何だか怖くなった。 そういう中で、という訳ではないが、この長編を読み通すのは結構辛かった。話がつまらない、という訳ではない。が、読み返し読み返ししても粗筋がつかめず、なか

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(2)―2 FPは近づく、TPは遠ざかる

          かく生きて死ぬ...

          En Cette foi, je veux vivre et mourir…(この誓いの下、かく生きて死ぬ…) 相変わらずの衒学趣味、と言われそうだが、これはドビュッシーの歌曲「フランソワ・ヴィヨンの詩による三つのバラード」の第二曲「母の望みによりて聖母に捧ぐ」のリフレイン(太宰の「ヴィヨンの妻」で名が知られている中世フランスの悪党詩人ですね)。地味ながら切々とした曲で、人前では無理だがメロディだけはたどれるようになりたい、と日々楽譜とYouTubeのライブ中継相手に苦闘して

          かく生きて死ぬ...

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(3)ー1 しゃべり過ぎるのはドラマのほう?

          今度はいきなり紫式部です。なぜかというと、2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の人物像が妙に気になって、「紫式部日記」などを読み返してみたからで。 私は古典の専門家ではない。高校時代に古文がちょっと得意で、平安貴族の生活文化に関する解説書を読むのが好き、という程度である。「源氏物語」も原文を読みこなす力はない。対訳や評論でなんとなく分かったような気になっているだけ。 「紫式部日記」は式部が仕えていた彰子中宮の里帰り出産前後の藤原道長邸の人間模様を描いたものであるが、こ

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI(3)ー1 しゃべり過ぎるのはドラマのほう?

          Intermezzo続き「高学歴難民」のどこが悪いのか

          最近ネット上で「高学歴難民」の記事を見かけるようになった。有名大学を出た、あるいは修士以上の学位を持っているにもかかわらず、就職できなかった人々を指すらしい。数年前までは「高学歴ワーキングプア」が話題になっていたが、どこが違うのだろう。「ワーキングプア」は曲がりなりにも何らかの労働をしているが、「難民」は働いていない、ということ? いずれにせよ嫌な言葉である。というのも私はかつて(かなり自覚的に)「高学歴ワーキングプア」予備軍であった。高3で文学部進学を決めた時点で、また大

          Intermezzo続き「高学歴難民」のどこが悪いのか

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI:Intermezzo

          Intermezzo、つまり間奏曲です。鏡花の続きを書くつもりでしたが、読み直しに手間取っているうちに別のことを思いつきました。わざわざイタリア語とはまたイヤミなペダンティスム、と言われそうですが、今筆者の頭のなかにはオペラ「カバレリア・ルスティカーナ」のIntermezzoが流れているので。これは器楽だけのバージョンと「Ave Maria」の歌詞が付いた歌曲のバージョンとありますが、特に歌曲バージョンがセンチメンタルに遠い日の憧憬をそそる。このオペラの冒頭の合唱曲は、高校時

          しゃべり過ぎる作家たちのMBTI:Intermezzo

          しゃべりすぎる作家たちのMBTI(2) : Fと思えばT、Tと思えばF

          装飾の多い饒舌な文体、といえば泉鏡花*か、と思って幾つか読み直してみた。案外一つの文は長くない。会話で地口や掛詞めいたやりとりは随所にあるが、地の文は意外に引き締まっていて、装飾以外に意味のない形容詞が延々と連なる、といった例はなかった。女性の着物や髪型の描写が細かいとか、強い感情を引き起こす表現を繰り返す、というのも雰囲気を醸し出すのに好適と思える。確かに「必要最小限」とは言えないが、ない方がよい、と言いたくなるフレーズは見つからない。 無駄が多いのはむしろプロットの方か

          しゃべりすぎる作家たちのMBTI(2) : Fと思えばT、Tと思えばF

          しゃべりすぎる作家たちのMBTI(1)ー2:キャスティング編

          今回「しゃべりすぎる」のは書いている私です。「八犬伝」の話を始めると、どうしても自分の解釈や演出を人に伝えたくなります。もう20年以上前ですが、漫画家の碧谷ぴんく氏の「八犬伝」「ブラインド・ゲーム(ニューエイジ八犬伝)」を愛読し、そこはそういう解釈で来たか、などと勝手に作者と対話している気分に浸っておりました。 この物語、キャラ立ちがよく波乱万丈のストーリー、ということで、映像化も多い。が、ダイジェストにあたって何を重視するかはもちろん、キャストにもどこかイマイチ、と言う感

          しゃべりすぎる作家たちのMBTI(1)ー2:キャスティング編

          しゃべりすぎる作家のMBTI(1):NT型はセーカク悪い?+

          ヘンなタイトルで申し訳ない。これまで2、3の記事で自分のことを「注釈癖がウザい」と言ってきたが、自分がひとと語り合いたい文学作品を思い浮かべると、(類友意識か?)作者に「お前ちょっとしゃべりすぎ!」と言いたくなるタイプが多いかなあ、と思い当たった。 単純に「好きな作家」とは違うのがややこしい。例えばチェーホフのように「必要最小限で十分すぎることを言う」作家の作品には、「そうそう、こういう時はこう言うしかないんだよ」と感嘆するのみで、口を突っ込む余地がない。 かえってくだく

          しゃべりすぎる作家のMBTI(1):NT型はセーカク悪い?+

          売れない本の書き方実践報告

          タイトルの通りの自虐ネタ。ここで書いた記事のどれにも「スキ」が幾つもつかなかったことを見て、自分がいかに「売れない」文を書く人間であるかを思い知った。 noteを始めたきっかけは単なるなりゆきであるが、記事を書く動機には、今までに出版した2冊の本の販促と言う「下心」があることは初めに白状した。一冊は小説?、一冊はエッセイである。どちらの主題もクラシック歌曲からの連想を主とした極めてマイナーなもので、書いている最中から一般ウケするものじゃないだろうな、という予測はついていた。

          売れない本の書き方実践報告

          案外、センチメンタル

          「ノスタルジア」という言葉が使えるのは何歳までだろうか? 昔を振り返る、というだけの意味であれば幾つになっても可能だろう。老人になれば、日がな一日昔語りをしていてもおかしくはない。でもそこに「ノスタルジア」はあるのか? 「nostalgia」を英和辞典で引いてみると「郷愁」とある。「遠く離れた場所にいて故郷を懐かしむ気持ち」。この「遠く離れた」は空間でなくて時間であってもよい。いまではむしろ「過ぎ去った日々が懐かしい」という意味で使う場合の方が多いだろう。 で、なぜここ

          案外、センチメンタル

          愛していると云ってくれ

           このタイトルで中島みゆき氏の1978年のアルバムを思い出す、というとまたトシがばれますね。この中で今も歌われているのは「わかれうた」くらい?関係ないようだけど、このタイトルと中島みゆき氏が結びつく年代は、坂本九と聞くと、「上を向いて歩こう」ではなく、「新八犬伝!*」と口に出してしまうのではないでしょうか。 そんなことはさておき、数日前家族の一人から「愛してるとか好きとか言ってもらったことがない」と苦言を呈された。何だそれは?昭和のホームドラマか?よくあったね。こういう

          愛していると云ってくれ