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憂鬱が人格を持ったかのように/言語

憂鬱を晴らすものは

Twitterを見ていたら、大学受験の話題がトレンドに入っていた。
もうそんな時期か、と懐かしくなると同時に、切ないような変な気分になった。
今日は天気が変なこともあり、憂鬱だ。
憂鬱は快楽だと金原ひとみさんは言っていた。
これ以上憂鬱という言葉が似あう気分はないのではないかと思うくらい憂鬱だ。抑うつとは違う。まさに憂鬱なのだ。
とはいってもnoteがかけるくらいにはましになったのだが。
この天気と寒さは私の受験期を思い出させる。
それは今までの人生のなかで一番狂っていた。
憂鬱さと不快感を晴らすための狂気だったのだろうか。
憂鬱が私にまとわりついて離れない。
でも、そういうものだと思えばいくらか気分はましになる。

外国語学習について

人間はインプットの結果のアウトプットだと最近読んだ本に書いてあった。
その人が話す言葉や書く文章も、その人がインプットしてきた文章に影響される。
属しているコミュニティの人たちがどのような言葉選びをするか。
母語は何か。
マルチリンガルについて書いた別の本では、ほかの言語を知ると、知る前には戻れない、確実に個人のもとの言語も外国語に影響されて変化するとあった。
英語でチャットする某アプリをここ何日か使っていたが、私の日本語の文章の組み立て方にもなんらかの変化があったように感じる。
英語でチャットし、英語のYouTubeなどを見ていると、英語を英語のままで理解していた、と気づく瞬間がある。
簡単な定型の文章から、難しい、早い文章に変わった瞬間だ。
私の脳は英語を英語で理解するモードではついていけなくなり、単語を聞き取ろうと努力したり、日本語に訳して考えようとしたり、理解するのを諦めるたりする。
ここまでは英語で理解できていたんだと嬉しくなると同時に、まだまだだな、頑張ろうとも思う。
そういえば最近中国語をおろそかにしていたせいで、中国語で試しに何か文章を考えようと思っても、正しい文法が思いつかなくなってしまった。
英語ならわかるのに。
中国語文法は英語に似ているといわれるが、わたしの主観で言えば、英語と日本語の間(英語寄り)という感じだ。だからややこしいが、面白くもある。

慣れ親しんだ漢字やアルファベットを使う外国語にばかり手を出している。
新たに文字を習得する手間を省けるからだ。
私の脳内の言語的多様性のためには、タイ語アラビア語ロシア語あたりをやるべきなのだろうが、なにせハングルでも挫折してしまったくらいなので、なかなかやる気にならない(笑)。
ハングルは文字の仕組みとしてはすごく優れていると思ったが、解読に時間がかかることが嫌になって半年で履修をやめてしまった。
韓国語ペラペラな友人によると、ひらがなみたい感じでそのうち慣れて早く読めるようになるということだったが。
そう考えると、日本語を勉強する外国人はすごい。ひらがなカタカナ漢字の3種類もあるんだから。

憂鬱がわたしのことを呼んでいる。「ずっとここにいるんだけど!無視しないでそろそろ構ってよ」とでも言いたげだ。なかなかのかまちょなようだ。
ここ数日憂鬱がずっと一緒にいる。最初は今よりも不快だったが、思念体というか、なんか存在を感じるので、カオスのように名前を与えてもいいかもしれない。
頭も疲れてきたのでここらへんで。

最後まで読んでくれてありがとう。 るえな

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