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生と死の近くにいること


本人の意思を前提に回復の見込みのない病の終末期にある患者に対して、延命のためだけの治療を中止して死に至るまでの苦痛を緩和する行為は消極的安楽死とされ、日本では「尊厳死」と呼ばれる。(朝日新聞デジタル、より)

私は、生と死に近い場所、病院で働いている。

5年前よりもずっと、最近は超高齢化社会の到来を肌身に感じる日々。
もういいから、充分生きたから、もう頑張りたくない、  何回も言われた。その度にグッと胸が苦しくなる。
それでも、「そうだよね、よく頑張ってきたね、もう少し頑張ろうね」そう言うしか思いつかなかった。
良いか悪いかとかじゃなく、そう言うしかない。


きっと最後の時はみんな1人なんだと。
そして、死を迎えるまでの時間は長さに関わらず大抵苦しいのだと思う。

それでも、ある日突然奪われた命よりは、「もう充分」と思えた最後は、すごく幸せにも感じる。

人として生を受け、日本で最後を迎えるのなら、当たり前に歳を取れたのなら、
それはそれは幸運だったと思って、
最後はこの大きな社会に身を任せて過ごすしかないのだと。

たまにしかそばで寄り添えなくて、少し目を逸らしてしまって、ごめんね。
でも、この仕事が好きです。


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