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おしどり夫婦の雪解けスイーツ

子供の時の思い出の味は
大人になってもお気に入り。
 
ただ、思い出の味への舌の感じ方は
刻々と変化していくのかもしれない。
 
大人になって良かったところ。
 
ゆっくり味わうことを覚えたところか。
 
ただ、舌には捻くれず純粋でいて欲しい。


僕は京都のある幼稚園に通っていた。
 
母と父。当時は喧嘩ばかりだった。
 
「喧嘩は辞めて。」と僕が言えば、
「子供は口を挟むな!」が鉄板だ。
 
喧嘩をソファに座って見ていたら
苺ジャムの瓶が飛んできたのが印象深い。
 
幼稚園の運動会も他の親の前では
平然を保っているが
急に二人になると喧嘩を始める。
 
ただ、運動会が終わると
必ず二人が立ち寄る場所があった。

幼稚園の近くにあるローヌという店。
 
そこには地元民に愛される
チーズケーキがあるのだ。
 
父は甘いものが苦手で
ほとんどケーキは食べない。
 
ただ、ここのチーズケーキは食べるのだ。
 
家に帰ると、おやつの時間だ。
 
ホールケーキの箱を開封する。
 
亭主関白の父もこのケーキを
食べるときは率先してお手伝い。
 
皿とフォークが並ぶ。
 
母親が紅茶を淹れる。
 
父は、ありがとう。と言う。
 
ローヌのチーズケーキを食べている最中に
両親は喧嘩を一度もしたことがない。
 
この時間は平和だった。
 
僕はあっさりとしたケーキを口一杯に頬張り
直ぐ居間でゲームを始めるのが日常だった。


最後に食べたのは、いつだろうか。
 
4年前ぐらいの帰省した日だった気がする。
 
父がローヌのチーズケーキを引っ提げて
意気揚々と家に帰ってきた。
 
「久しぶりに食べたくなった。」
 
父がフォークと皿を並べ
母が紅茶を淹れる。
 
そして、父は、ありがとう。と言う。
 
ローヌのチーズケーキを
上から下にフォークを通す。
 
転がった一欠片を口に入れる。
 
この生地の感覚は唯一無二だ。
 
積もりに積もった柔らかい雪が
解け始めたような優しい舌触り。
 
みずみずしい生地を噛み締めると
微かにジュッと聴こえて
口の中で雪がほぐれ解けていく。
 
日差しでしっとりした雪を人差し指で優しく
押すような舌触りと解けゆく生地の軽さ。
 
控え目な柑橘風味と
甘すぎないチーズが
仲良しこよしなのだ。
 
パクパクと口に入れても
じっくりと舌で転がしても
赦されてしまう魔法の味。
 
紅茶を一口だけ流し込むと
大人の微かなチーズの甘味が
妙に際立っていく。
 
周りの家族三人を見渡す。
 
相変わらずニコニコしながら
カチャカチャと音を鳴らし
フォークを動かしている。
 
20年前と変わらない風景。
 
平和の理由をようやく理解した。
 
食べる以外に口を動かす余裕がないようだ。
 
僕は昔のよう居間でゲームを始めることなく
平和の味をゆっくりと噛み締めていた。
 
すると、新しい味が広がる。
 
妹も僕もやんちゃなタイプではないが
違う方向性で世話の掛かる子だった。
 
現在進行中の部分もあるが。
 
両親は僕と妹のことで
良く喧嘩をしていたが
子供達に八つ当たりを
することはなかった。
 
いつも問題は二人で抱えて
二人で解決しようとしていた。
 
散々聞いた「子供は口を挟むな!」は
僕達に放った守りの呪文だったのだ。
 
このローヌのチーズケーキから
二人の苦労の味が滲み出てきた。
 
こんな、大人の味だっけ。

無事に僕達は成人したのだ。
 
氷山がぶつかるような喧嘩をしていた
二人は既に解けきり蒸発して
夫婦水いらずのデートをするようになった。

元はと言えば、おしどり夫婦だったのだ。
 
次に雪が解ける日には
僕はどんな味と出会うのだろう。


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