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今日の恵方巻きはホットドッグ

恵方巻きを毎年食べてきたのだ。
 
母が西友で買ってきた
恵方巻きを机に並べている。
 
恵方巻きを手繰り寄せる。
 
決まって、カツ巻とサラダ巻だった。
 
「サラダ巻きってサラダ感ないよな。」
 
毎年呟きながら、サラダ巻きを手にする。
 
恵方を携帯で確認して、太巻きを口に頬張る。
 
黙って、願い事をしながら。
 
恵方巻きを黙って食べる時間が好きだった。
 
無音で、ご飯を食べることは稀だからだ。
 
実家の食事時には大体はミヤネ家が流れていた。
 
学校でも、少なくとも周りで声がする。
 
年に1回、黙ってご飯を食べる日。節分。
 
この伝統が好きな理由に特別なものはない。
 
強いて言えば、太巻きの味を深く楽しんでいた。
 
ただ、この年1回の瞬間に浸かりたいのだ。
 
 
僕のライフハックに「たまには理論」がある。
 
日々「たまには」を繰り返せば
日常が彩られる。全てが久しぶりなのだ。
 
僕が恵方巻きを食べる習慣を大切にするのは
この思想がもとになっているような気がする。
 
 
 
僕は実家を離れた後も恵方巻きを食べ続けた。
 
5.5畳の部屋。
 
恵方運が悪いのか、時に靴箱を眺めながら
時にトイレのドアを凝視しながら。
 
ある年の節分の日、遅くまで働いていた。
 
近くのスーパーもすでに閉まっている。
 
コンビニにも恵方巻きはあるだろうと
近くのファミリーマートに足を運ぶ。
 
全て売り切れていたのだ。
 
恵方巻きへの溢れんばかりの愛を抱え
僕は吉祥寺中のコンビニを駆け回る。
 
何処にもないではないか。
 
はあ・・・
 
諦めて肩を落としながら出口に進むと
ホットスナックの棚が目に入ったのだ。
 
長ければ、良いんじゃないかな・・・
 
溢れんばかりの愛は歪んだ自己解釈を生む。
 
「アメリカンドッグ、2本下さい。」
 
僕の中での恵方巻きの定義が崩れてしまった。
 
空腹と残業疲れでフラフラしながら、帰還。
クローゼットを眺めながら、頬張った。
 
茶色太巻きは涙が出るほど、美味しかった。
 
 
 
お正月。実家に年賀状は届く。
 
僕宛への年賀状は年々数が減ってきて
もう確認をしようともしていない。
 
我々世代はLINEで繋がっているが
今の住所など知る由もない。
 
何処で何をしているのだろう。
 
コミュニケーションの手段は変わり続ける。
 
中学生の時。
 
携帯メールで、あけおめメールを友達に
一斉送信をしていた記憶がある。
 
高校生の時。
 
LINEが既に流行。
 
大事な友達に、あけおめ。とだけ連絡。
 
僕たちの世代が歳を重ねた時に
年賀状の伝統は残っているのだろうか。
 
父と母宛の年賀状をパラパラと眺めていると
いとこが大学生になった。ことを知った。
 
10年以上会っていない。
 
唯、人の変化は時に喜ばしさをくれる。
 
年賀状は年に一度、緩い繋がりを感じながら
何か変化を報告する絶好の機会のように思う。
 
( 僕の報告は「○歳になりました!」
を繰り返すシュールなものとなりかねない。 )
 
最近はLINE で年賀状を送れることを知った。
 
世は常に色々な世代で溢れる。今後も続く。
 
LINE年賀状が、流行る保証は何処にもなく
年賀状が消えてしまう可能性だって大いにある。
 
今はSNSでフォロワーさんに
新年挨拶をする人も沢山いるのだ。
 
ある意味、年賀状の代わりだ。
 
僕はそんな感じで伝統は緩く楽しんで
引き継げれば良いのではないかと思う。
 
ルールやこうあるべき論で縛ると
本当に伝統は消えゆく恐れがあるのだ。
 
新年に挨拶して、近況を報告したい。
 
そして、それを受け取りたい。
 
やり方は違っても、未来の若者も僕達も
思いは同じで伝統は引き継がれていくのだ。
 
僕の今日の暦は2月3日。

本当はカツ巻きとサラダ巻きが食べたい。

残念ながら、この国には存在しないので
 
ホットドッグを黙って頬張る。

緩く楽しく引き継いでいく。

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