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【エッセイ】 ぼくの脳内多動日記。

持ち前のADHDの衝動性で、これだけ決める。
“創作大賞に出そうかな”
この時点では、何を書くかも、いつ書くかも決まっていない。
“その時書きたいこと書けばええやん。“
それくらいの気持ち。というか、その時書きたいことじゃないと筆が進まないのである。

最近ADHD仲間ができた時、「脳内多動」という言葉を知った。その頃にはADHDグレーゾーンとASDグレーゾーンの診断受けていたぼくでも知らない言葉だった。
“多動はADHDの特性として聞いたことあるけど、脳内多動って…?”
その言葉を知った時驚いた。
“脳内って常にいろんなことを考えてるもんじゃないの?”
どうやらそんなことはないらしい。
困った、困った笑

それで、ふと思いついたのが、
“じゃ、その自分の頭の中で脳内多動してる様子を書いてみたら面白いんじゃないか。”と。
そうは思ったものの、脳内多動って、マジカルバナナが高速スピードで起きているようなもの。こうやって文字を打っている間にたくさんの言葉が浮かんでいる。とてもじゃないけど、追いつかない。笑
でも、なんとか文字起こししてみたので、聞いてくれないか。






note書こうと思ったんだけどさ

このnoteを書こうと思って開いたんだけど、
ふと、
“あ、あのラジオのお便りかかなきゃ”
って思って、Spotify開いて、そのラジオ聴きながらお便りのフォーム開いて、
“あ、でも、これ脳内多動じゃない?このnoteに書こう“
って思って、ラジオ聴きながらお便りフォーム開きながらこのnoteに戻ってきて、ラジオ聴きながらnote書いてて、
“あれ、これじゃフォームかけなくない??”
ってなってるのが今。そんなマルチタスクできないよ、ぼく。”
と、今の脳内多動をnoteに書いて満足したので、
“お便りフォーム戻ろ。あ、でも電車降りなきゃ、乗り換えしなきゃ…”
気づいたらnoteもラジオのお便りもすっかり忘れていました。笑

図書館は脳内多動の宝庫

思うんだ。図書館って脳内多動を野放しにできる場所だって。飼い犬でいうなら、ドッグランに連れて行って、リードを外して、「ここでいくらでも走り回っていいよ」って言われているようなそんな感じ。お金もかからないし、興味持ったもの全部読むことができる。時間と体力のある限り。だから、ぼくはこのnoteを書くために初めていく図書館に行くことにしたんだ。ここだったら駅からちょっと歩くけど、定期券内だし、今営業しているし、無料やん。最高。
それでも、昼に起きて、ご飯食べて、準備して…ってやってたら、気づいたら14時になってて、早く行かないと閉店してしまう…って焦った。少しだけ。笑
無事、目的地に着いた。珍しい。ちゃんと目的地に着くの。大体他のところ気になって別のところに入ってしまうのに。途中見つけたブックカフェを見つけて入ろうとしたところ、やめたのよく頑張った、自分。
図書館に着くと、まずは探検から。いやでもさ、閉館まであと1時間しかないんだよ。きっとさ、大半の人はこう思うんだろうな。
“あと閉館まで1時間なら、探検する前に、早く空いてる席見つけて、先にやろうと思ってたnoteに取り掛からなきゃ”
って。
でも、ぼくの場合、探検したあとじゃなきゃ集中できないんだ。
興味持っていることを興味がある時に気が済むまでやらないと次のことに進まないんだ。頭の中で気になって気になってそれどころじゃなくなるからね。それを自分でわかってるから探検した。1番下から1番上までぐるっと。そしてやっと気が済んで席探し。一つ席が空いていた。さすが。そこに席をとって、今度は参考になる本ないかなって探し出す。
“さくらももこさんの本いいなあ”
って思った。
“エッセイ書く参考になりそう。言葉に温かさがあって、ユーモアがある感じ。いいなぁ。
よし、探しにいくぞ”
と歩き出す。閉館45分前。
でもいくら探しても、さくらももこさんの本が見つからない。
“まじかぁ”
って思いながら歩き回る。
中高生用の本の棚にたどり着いた。5分後に〇〇シリーズがある。
“中高生向けの短編小説かな。いいじゃん。創作大賞は恋愛小説書きたいから恋の結末とかいいな。あ、でも、心に染みるのもいいな。また会えるのもいいな。気になるのとりあえず全部持ってこ。他の棚もちらっと見てそんなに気になるのがなかったから、じゃそろそろ戻るか。”
と戻ろうとしたら、「好きな人に触れたくなるのは、どうして?」っていう本があって、
“読んでみたいな”
って思って、また自分の腕の中に入れて歩き出す。先に戻る途中、エッセイ本の棚があって、”あ、さくらももこさんないかな”
って見てたら、「ももこのまんねん日記」を見つけて、”いいじゃん”
って思って、また腕の中に入れて歩き出す。やっと先に着いた時には閉館30分前。
ここから、
”あ、これ脳内多動じゃない?noteに書こう”
と書きだす。本そっちのけで。で、今この文章書いてて、
“あ、今流れてるこの曲いいな。程よく線路を作ってくれる感じ。なんていう曲だろ”
って調べる。Shazamで。カーペンターズのプリーズ・ミスター・ポストマンだと知る。今閉館4分前。本1ページも開いてない。
“貸出カード作ってないから返さなきゃ。え、持ってきただけ?まぁ、いいか、そんなもんだよね。持ってきただけで満足。笑
note進んだからいいか。”
“本持ってきた場所なんて覚えてないよ…”
って思いつつ、いざ行ってみるとぼくキャプチャで覚えてるみたいなんだよね、本の場所を言語化するのはできないんだけど、なんだかんだ覚えてて返すことはできる。初めての図書館で5冊以上あったのに返し終わった。しかも結構速く。閉館2分前。
で、今に至る。

大半の人はきっとこう思うんだろう。
“結局一ミリも開いていない本を何冊も持ってきたの意味ないじゃないか、無駄な時間じゃん”

でも、ぼくはきっとこう答えるだろう。
“この時間はnoteを書くためにぼくにとっては必要な時間だったんだって。”


片付けする時はその時の気分のボイスをお供に。

片付けする時は脳内多動を起こしやすい。片付けをすればするほど、脳内多動する可能性が出てくる。片付けしようと手に取ったものから、脳内でマジカルバナナが始まって、気づいたら片付けなんて忘れて別のことをしている…なんてことがよくある。
“気づいたらこんなところにいた。“
に近い。
何きっかけでここに辿り着いたのかもよくわからない。
そんなことが日常茶飯事。
だから、ぼくは音楽を流す。あるいはラジオをつける。その時聞きたい気分になったやつをつけること。
でも、最近見つけたのは、片付けしてる時に合うのは、推しが断捨離しているラジオを聴きながら片付けすること。そうすると自然と断捨離する道が作られる感じがして、脳内多動しても片付けに戻って来れることが多い。そして、その人の声が大好きだから、ずっと聴いてられる。このラジオが終わるまで片付けしようって決めると、その間は心地よく片付けできることが多い。推しが断捨離してると、脳内多動で、断捨離しよ思うから片付けが進む。少なくとも1人で何も音流さずにやるよりは。
特性ない人だったらタイマーつけたり、今日はここを片付けるとか決めてやる方がきっと早く終わると思うし、心地いい人多いと思うんだけど、それができないんだよね。そうすることで早くできるなんてことはない。
いかに脳内多動したとしても飽きずに片付けを続けられて、心地いいか。が大事。
って文章書きながら今頭の中で思っていること。当ててみてほしい。いや、当たらないと思う。笑
正解は…
“今日中にこのnote投稿したいな。でもあとちょっとしか時間ないな。あ、そういや、今日は日曜18:00に公開するって言ってるラジオ(さっき話したラジオとは別のラジオ)、まだ今日の分公開されてないけど、いつ公開されるのかな?
この時間で来ないなら明日かな?いや、真夜中かな?早く聞きたいな。“
で、spotifyみたら、
“川崎鷹也のMAGIC NOTEじゃん、そっか、放送今日か…1人放送久々やったんや…!“
でした。笑
マルチタスク苦手って言いながらできてる説。笑
“あ、そうだ、このnoteのタイトル決めなきゃじゃん。疲れたなぁ…眠い、頭痛い、お腹いっぱい…”
と思ったら、
急に脳内でざらめの「キライキライ」が脳内再生。
“嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い大嫌い♪”
“あ、Spotifyで聞きたいな。聞こ。”
Spotify開いて、キライキライを検索して聞きながら時々歌ったりする。でも、
“今脳内再生されたざらめの声と、実際の曲違くない??”
キライキライが終わって、NARIくんの「オセロシンドローム」が流れてくる。
“「今日は帰りが遅くなる」ってもうこれで何度目なの?〜♪の声好き。”
“…何しようと思ったんだっけ?”
で、今に至る。

あ、そうだ、片付けしてる時の脳内多動の話だった。じゃちょっと今から片付けやってみるか。いつもはラジオつけながらとか、音楽流しながらとかやるんだけどあえて何もつけずに。笑
脳内多動以外にも集中力が続かないっていうのもあって、過集中にならない限りあんまり集中できないんだよね。過集中するには、今それをやりたい気分にする×今1人でいられるという安心感が掛け算された時で、難しいんだよね。

“片付けしよ。あ、でも、その前に前髪じゃまだから結びたい。ヘアゴムどこだっけ?”
ヘアゴムを探す。
“見つけた!”
前髪結ぶ。
“いや、後ろも結びたい。メガネ落ちてきた。イヤホン首にかけてるの気になる。蚊に刺されたところ痒いわぁ。”
またヘアゴムを探す。
“疲れた、眠い、でもnote明日までだから書かなきゃ”
またヘアゴムを探す。
“あった、あった”
髪の毛結ぶ。
この時点でまだ片付けの『か』も始まっていない。この時点で何分経ったんだろ。2分経過。
“あ、充電器充電しなきゃ、でも、痒い。ムヒ塗りたい。”
充電器さして、ムヒを塗る。
“あ、そうだ、上白石萌音さんのいろいろっていう本エッセイ書く時の参考にしようと思ってこの前借りたんだった。読んでないやそういや。”
そう言って『いろいろ』を読み始めた。10分経過。
“『失くす』読んでみよ。”
そこもやっぱり1ページ目からじゃない。その時気になったところから。
“なくすってワード、ADHDぽいな”
って思った。ただそれだけ。
読んでみたら、ADHDとは全然関係ない内容だったんだけどね笑
でも、その後、
“他のところ読もう“
と思った。どうやら今の自分にはあまり響かなかったらしい。
次のページをめくると、『写る』だった。
読み進めていくと、上白石萌音さんが写真撮られるのが苦手で、写真写りどうやったらよくなるのか検索したりしてたみたいなんだけど、自分なりに編み出した方法が、『撮影者と話す』らしい。
ぼくも昨日友人に写真を撮ってもらっていて、仲良い人でも、カメラを向けられるとなかなか自然な顔が向けられなくて、でも、無意識に撮影者と話しながらやってたんだよね。この本読んでなかったけど。そこがリンクして、写真撮ってもらったことを思い出す。
“あ、そういやあの写真いつ届くんだろ。楽しみ。”
きてないかなぁってインスタ見たら、奏太さんのインスタのストーリーが投稿されてて、見て、YouTubeのリンクが貼ってあったから見ようとリンク押して、
“あ、そうだ、note書かなきゃ“
„眠い”
と一旦引き戻す。
まって、片付けてないんだけど。笑

結局こうなるのよ。脳内多動野放しにして片付けようとすると。
20分経過。




今回は、脳内多動できるような環境作りながら、今起きているnote書きながらやってるけど(後でまとめてやると思ってた内容忘れてるんだよね)、こんな感じ。

そして、今こう思っている。
“明日、どこで小説書こうかな。”
脳内で、なにわ男子の『ねぇ』が流れている。

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