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《二十三. 邪法で挑んだ時代劇 》

 『ガンマン、サムライ、モンスター!』の撮影後、雷次はアメリカでの活動を休止し、日本へ戻って映画を撮ることを決めた。
 「映画ならアメリカでも撮れるでしょう」
 脚本家のジョーダン・モックが不思議そうに言うと、
 「日本でしか撮れない映画なんだ」
 と雷次は答えた。

 「日本に戻るより、いっそアメリカに移住して活動してもいいんじゃないですか。せっかく監督としても俳優としても知名度が高まっているのに。勿体無いですよ」
 そうモックが口にすると、雷次は
 「俺はアメリカで有名になりたいわけでもないし、世界で活躍したいわけでもないんだ。面白い映画を提供して、大勢のお客さんに楽しんでもらいたい。俺が望んでいるのは、それだけなんだよ」
 と穏やかに告げた。
 「その面白い映画の企画を思い付いて、それを作るには日本に戻らなきゃいけないと、そういうことですか」
 「ちょっと違うけどな。思い付いたのは、随分と前のことだから。それを作るために、今まで時間が掛かったということさ」

 『ガンマン、サムライ、モンスター!』の前後、雷次にはウォルター・ヒル監督作への出演、さらにスペインの怪奇派俳優ポール・ナッシー主演作の監督、マカロニ・ウエスタンで活躍したイタリアの俳優フランコ・ネロとの共演といったオファーが次々と届いていた。だが、既に日本での企画が進んでいたため、スケジュールの都合で断った。

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 雷次がアメリカで活躍している間、雷次プロが何もしていなかったのかと言うと、そうではない。大神羊助のコメディー映画『サンデーキングをぶっ飛ばせ!』や、『魔銃変』から派生したテレビのミニシリーズ『隣の夢幻界』などを製作していた。『隣の夢幻界』では、雷次も監修という立場で携わっている。
 しかし雷次の監督作となると、1973年以来、長らく途絶えていた。

 「時代劇を撮るぞ」
 1980年7月、雷次は脚本家の百田八郎や妻で副社長の竜子たちに、そう宣言した。彼がジョーダン・モックに言った「日本でしか撮れない映画」というのは、時代劇のことだった。
 雷次プロの面々にとって、雷次が日本で久々に映画を撮るというのは喜ばしい出来事だった。しかし時代劇と聞いて、歓迎する者はいなかった。

 「チャンバラ映画は正直、ほとんど死んでいる状態だぞ」
 百田は渋い顔で告げた。
 「だけど、『戦国自衛隊』はヒットしたんだろ。それに、角川は『魔界転生』もやるらしいじゃないか」
 そう雷次が言うと、百田は
 「『戦国自衛隊』は時代劇と言っても、SFの要素が入ってるし、戦車や銃も出てくる。それに、角川商法が成功したというのもある。普通のチャンバラ映画が受けないという情勢は、相変わらずだと思うぞ」
 と意見を述べた。

 『戦国自衛隊』は、角川春樹事務所が1979年に送り出した大作映画である。戦国時代にタイムスリップした自衛隊が、近代兵器を使って侍軍団と戦う内容だ。百田の言葉通り、純然たる時代劇映画ではなく、SF架空戦記といった感じだ。
 百田が口にした「角川商法」というのは、多額の広告費を使って大々的に宣伝を打ち、原作の書籍と映画を同時に売り込んで相乗効果を狙う戦略のことだ。この商法によって作られた角川春樹事務所の映画は、通称「角川映画」と呼ばれた。現在では当たり前になっているメディアミックス戦略の先駆けと言ってもいいだろう。

 百田が否定的な意見を述べても、雷次は涼しい顔だった。彼は飄々とした態度で、
 「普通のチャンバラ映画が受けなくても、そうじゃない物を作れば勝算は見えてくるってことだろ。雷次プロに角川商法は真似できないけど、俺も普通のチャンバラ映画を作る気は無いぞ」
 と言った。
 「だったら『戦国自衛隊』みたいに、SFを取り入れるんですか」
 福井至恩が尋ねた。雷次のマネージャーだった福井は、製作主任という肩書きに変わっていた。

 「いや、SFじゃない」
 雷次は穏やかに否定した。
 「ついでに言えば、戦車や銃も出て来ないし、タイムスリップもしない。オカルトやホラーの要素も取り込まないし、モンスターも登場しない」
 「だったら、何が普通じゃないんです?」
 「主人公が刀を使わないってことだな」
 雷次が答えた。
 「ただし、俵星玄蕃のように槍を使うわけでもないし、座頭市のように仕込み杖を使うわけでもない」

 「だったら、どんな武器で戦うんだ?」
 百田は焦れたように言う。
 「武器は使わない。素手で戦う。もちろん戦う相手は侍で、刀を持っている。そういう敵に、素手で挑むんだ」
 「でも、それだけだと、あまりインパクトが無いなあ」
 「そうだな。単純に素手で戦うだけでは、インパクトが弱い」
 雷次はうなずいたが、すぐに
 「だが、相手に触れずに投げ飛ばしたり、指一本で動けなくしたり出来るとしたら、ちょっと面白いと思わないか」

 「相手に触れずに投げ飛ばす?」
 百田が首をかしげていると、福井がポンと手を打ち、
 「なるほど、ユリ・ゲラーみたいな超能力者を主人公にするんですね」
 しかし雷次は即座に、
 「さっき言っただろ、SFでもオカルトでもないって」
 と否定した。
 「そうじゃなくて、日本に昔からある武術の要素を持ち込むんだよ」
 「じゃあ、道場へ通っていたのは、この映画に繋がっているのね?」
 それまで黙っていた竜子が口を開いた。
 「ああ、そうだ」
 雷次は、含んだような笑みを浮かべた。

―――――――――

 雷次が新作『邪法兵衛(じゃほうべえ)』のアイデアを思い付いたのは、1976年のことだった。きっかけとなったのは、その前年に見た合気道家・塩田剛三の演武だ。以前から塩田の名前は知っていたし、凄い人だということも知っていた。だが、実際に動く姿を見たことは無かった。そんな塩田の演舞を初めて見て、雷次は強烈な衝撃を受けたのだ。
 小柄な塩田が、大きくて屈強な男たちを翻弄していた。相手が掴み掛かろうとすると、塩田は撫でるように手を振るだけで豪快に投げ飛ばす。あるいは軽く指で触れただけで、相手が苦悶して倒れ込む。まるで魔法でも使っているかのような、超人的な動きだった。

 雷次は興味を抱き、合気道の道場に通い始めた。その時点では、
 「合気道の動きを、自分の映画で格闘アクションとして取り入れてみたい」
 という程度の意識であり、作品のアイデアが明確にあったわけではない。
 その後、雷次は『サムライロイド』の仕事に取り組む中で、塩田剛三のような超人的な技を使う主人公が、侍と戦う時代劇映画を思い付いた。
 雷次は塩田の師匠である合気道の開祖・植芝盛平や、彼が学んだ大東流合気柔術などについて詳しく調べ、さらにルーツを辿って江戸時代の柔術に関しても勉強した。そして撮影の無い期間は合気道の道場へ通い、稽古に励んだ。雷次は、合気道や柔術をそのまま映画に持ち込むのではなく、それを叩き台にして、ケレン味を持たせた動きを付けようと考えた。

 『ガンマン、サムライ、モンスター!』の企画に入る頃、雷次は自らの合気道の技術に関して、映画に取り入れられるレベルに到達したと感じた。その頃には、既に映画のプロットも固まっていた。『ガンマン、サムライ、モンスター!』の撮影が始まった時点で、これが終わったら、その企画に取り掛かろうと雷次は決めていたのだ。
 問題は、主役である打野法兵衛(うつの・ほうべえ)を演じる人材だった。立ち回りなので、実際に塩田のような格闘技術を会得している必要は無い。しかし、ある程度は武道の技術が無ければ、説得力が皆無になってしまう。出来ることなら、合気道か柔術のベースがある人間が望ましい。

 「主役は、俺がやる」
 雷次は百田たちに言った。
 「合気道の道場に通っていたのは殺陣を付けるためだったが、途中から、俺が主人公をやるのが手っ取り早いんじゃないかと思うようになった」
 雷次が主役をやると口にしたので、百田や竜子たちは驚いた。『魔銃変』では準主役とも言うべき悪役を演じたが、あの時は代役として引き受けただけだった。自分から主役に名乗り出るというのは、これまでの雷次からすると、意外なことだった。

 「自分で言うのもなんだが、アメリカで映画に出演して、俺の知名度は上がっている。俺が主役をやることで、予算も集めやすくなるだろう。それに、お客さんにも、アメリカで活躍していた俺が主役を張ることで、喜んでもらえるんじゃないか」
 「貴方、アメリカへ行って、随分と変わったわね」
 竜子は、まじまじと雷次を見つめた。
 「そうだな、それは自分でも感じるよ。良い方に変わったのか、悪い方に変わったのか、それは分からないが」
 「自信を持って主役を演じられるというのは、良い方に変わったのよ」
 「お前にそう言ってもらえると、励みになるよ。とにかく、この映画を成功させるために、全力を尽くすつもりだ」

 雷次は百田と組んでシナリオ作りを進めた。今まではアイデアを出すだけで、脚本は全て百田に委ねていたが、今回は共同脚本という形を取った。また、脚本の執筆に取り組む一方で、雷次は柔術の道場に足繁く通って稽古に励んだ。合気道だけでなく、柔術の動きも学んでおいた方がいいだろうと考えたのだ。
 製作費の調達や出演者のオーディションといった作業も進められ、1981年4月、ついに映画の撮影が始まった。
 雷次にとって久々に日本で手掛ける作品であり、プロダクションを設立してから初めてセット撮影を行う作品でもあった。

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  『邪法兵衛』

〈 あらすじ 〉
 江戸の町では、夜な夜な現われる辻斬りが人々を震え上がらせていた。犯人は町民を狙わず、その標的は全て侍だった。
 犯人は滝川修吾(王戸仁)という浪人だった。彼は剣の腕に自信があり、それを存分に発揮できない平和な時代に苛立ちを覚えていた。道場で技術を磨くだけでは、満足できなかったのだ。
 滝川は「稽古ではなく実際に戦いたい」「人を斬りたい」という欲望が抑え切れず、ついに辻斬りを始めた。気性が荒く、問題行動が目立つため、彼は住んでいる長屋でも嫌われ者だった。

 ある日、滝川は長屋の住人・寅吉から、打野法兵衛(佐野雷次)という男の話を聞いた。旅に出ていた寅吉は、地元のヤクザに因縁を付けられて襲われ、法兵衛に助けてもらった。その際、法兵衛はヤクザの腕に軽く手を添えただけで、投げ飛ばしてしまったという。
 寅吉が聞いた噂によれば、法兵衛は某藩で藩主に鍼灸医として仕えていたが、藩主が急死した後、醜い後継争いに幻滅して藩を離れたらしい。相手に軽く触れただけで投げ飛ばしたり動けなくしたりする技を使うことから、邪法兵衛という異名を持っているという。

 話を聞いた滝川は、バカにして笑うだけだった。そんな怪しげなことなど出来るはずがないし、そもそも医師が武術をやることが不可解だというのが、彼の意見だった。
 だが、その法兵衛が江戸に来て、旧知の仲である奥山兵衛の剣術道場に立ち寄っていると知った時、滝川は好奇心から足を向けた。

 道場を覗き込む野次馬に混じった滝川は、寅吉の言葉を証明するような法兵衛の技を見て驚いた。木刀を振り下ろす奥山の門弟を、法兵衛は軽く払うようにしただけで投げてしまったのである。
 しかし滝川は目の前で起きた現実を素直には信じられず、道場に乗り込んで立ち合いを要求した。奥山が叱責して出て行くよう命じたが、滝川は木刀を掴み、追い払おうとした門弟たちを打ち据えた。

 法兵衛は穏やかに微笑み、余裕の態度で立ち合いを承諾した。滝川は怒声と共に襲い掛かるが、異様な圧力で弾き飛ばされた。カッとなった彼は真剣に手を掛けるが、法兵衛が腕に触れると強烈な痛みが走り、刀を落としてしまった。法兵衛が刀を拾い上げると、滝川は素手で殴り掛かろうとする態勢を取った。すると法兵衛は、
 「もう、やめておきましょう。貴方は所詮、ただの剣客です。刀を持たない剣客は、戦いにおいて素人も同然」
 と静かに述べた。彼が人差し指で額をチョコンと押すと、滝川は動けなくなってしまった。

 滝川は法兵衛に報復しようとするが、居場所が分からなかった。鬱憤を晴らすため、彼は奥山を闇討ちにした。
 滝川は旗本の次男坊・高見一馬(藤田千十)から、法兵衛を斬るよう依頼された。一馬は女を手籠めにしようとして法兵衛に懲らしめられ、屈辱を味わっていた。

 その法兵衛が自分の父親の知人宅に身を寄せていることを、一馬は知った。一馬は仕返しをしたかったが、剣術の腕前が無かった。一馬は滝川が辻斬りだと知り、それを黙っている代償として、法兵衛の抹殺を依頼したのだ。
 二つ返事で承諾した滝川は、一馬に指示し、法兵衛を町外れへ誘い出させた……。
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法兵衛が使う武術の名前は劇中で明らかにされないが、水心流裏柔術(すいしんりゅう・うらじゅうじゅつ)という設定がある。雷次は法兵衛に、
 「柔(やわら)の紛い物のような術です」
 というセリフを用意している。
 雷次は撮影に当たり、道場通いで学んだ動きをベースにして、水心流裏柔術の技法を詳しく設定していた。その武術に説得力を持たせるための工夫として、道場のシーンでは、どうやって相手が軽く飛んだり、動けなくなったりするのかというメカニズムを法兵衛がレクチャーする時間を設けた。

 「腕や体の動きには、戦おうとする気の流れ、すなわち意波(いんば)が現れる。その意波に逆らわずに向きを少し変えてやることで、相手は攻撃目標を見失った自らの意波に引っ張られて飛んでいく。また、体のあちこちには、効率良く相手に痛みを与えられる点、休点(きゅうてん)というものが存在し、その押し方によって相手に与える症状の強さを変えることも出来る」
 というのが、その概略である。

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