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『指導物語』:1941、日本

 機関士の田町は前に指導していた兵士からの手紙を読み、同僚の志村に、「全く、可愛いなあ」と嬉しそうに言う。定年まで3年となった老機関士の瀬木は助役の元へ行き、どうして兵隊の指導をさせてもらえないのかと訴えた。5、6年前までは指導を担当していたのに、この頃は全くやらせてもらえないのだ。助役は「ワシには分からん」と言い、機関区長と話すよう告げた。

 機関区長は瀬木に、もう指導は出来ないということではなく、気遣いをしていたことを説明した。瀬木は去年、妻を亡くしており、3人の娘を育てているので、煩わせるのは悪いという配慮だった。
 しかし瀬木は「子供は女ばかりで兵隊にはなれず、せめて兵士の指導でもして指導部のお役に立ちたいと考えています」と熱く語った。機関区長は、考えておくと返答した。帰宅する途中、機関助手の北原に愚痴っていた瀬木は、出征する兵士の見送りに行く長女・邦子とすれ違った。

 翌日、機関士見習いとしての教育を受ける兵士たちが駅へやって来た。出勤した瀬木は、「兵隊を指導してもらうことになった」と助役から告げられて大喜びした。担当する佐川新太郎二等兵の名簿を見ると、母一人、子一人だと書いてあった。
 瀬木は佐川を見つけて声を掛け、「お互いに一生懸命やろうな」と告げた。たった3ヶ月で機関車を動かせるようにするのが、指導役の仕事だ。

 瀬木は佐川を熱心に指導するが、高圧的な態度は決して取らず、温かい目で見守った。一方、田町が指導するのは、大学出の草野だった。
 草野が下士官室へ行くと、実家からドイツ語の本が送られていた。読むには中隊長の許可が必要だが、そんな時間は無い。そこで田町は本を預かっておくことにした。機関士見習いの兵士たちは、眠る時間も削らねばならぬほど過酷なスケジュールを余儀なくされた。

 歳末になり、瀬木は書店で佐川のために参考書を買おうとした。かなり高額だったが、どうしても負からないと店主が言うので、瀬木は「そんならいいよ」と口を尖らせた。次女・咲子の勤めていた会社は潰れ、家計は厳しく、邦子はやりくりに苦労する。
 そんな中、瀬木は遠慮がちに「3円ばかり何とかならんか」と持ち掛けた。あの本を買うためだ。佐川に参考書を買ってやりたい旨を明かすと、邦子も咲子も学生の三女・好子も、笑顔で賛同した。

 翌朝、瀬木は佐川が来るのをソワソワしながら待ち、炭水夫に「ああいう男をウチの娘の婿に貰いたいぐらいのもんだ」と口にする。佐川が来ると、瀬木は走っていって手を振り、購入した参考書を渡した。「本当に、ありがとうございます」と佐川は礼を述べた。
 そこへ邦子が、忘れ物の弁当を届けに来た。弁当を忘れるぐらい、瀬木は参考書を渡すというだけで平常心を失っていたのだ。

 運転の練習をさせている時、瀬木は速度計を隠して「今、何キロだ」と質問した。しかし佐川は当てることができない。瀬木は、雲の走り具合やレールの音などを頼りに、速度計を見なくても分かるようにならないといけないと説いた。しかし何度やっても正解を導けず、「どうして分からないんだ」と瀬木は口にした。
 期待に応えられず、佐川は焦りの色が隠せなかった。無言で前を見つめる佐川の様子に、ついに瀬木は腹を立てて「それでも男か、兵隊か」と怒鳴った。

 その夜、佐川が落ち込んだ様子で入浴していると、瀬木は歌を歌って元気付けた。彼は「俺という人間はせっかちで、とんでもないことを言う時もあるが、勘弁してくれ。短い期間で速度が分かるようになれというのは、無理な話だ。俺も4、5年は掛かってる。だが、君と俺とは違うんだ。いつ出征するか分からない。お国のために役に立ってもらわなければ困る。分かってくれるかい」と語り掛けた。

 佐川が「はい、分かります」と言うと、瀬木は「それが俺の、せめてもの御奉公なんだよ」と告げた。それは大晦日の夜だった。元日だけは訓練も休みになるので、「外出できたら遊びに来ないかね」と瀬木は誘った。
 吹雪の中でも、訓練は行われる。容赦なく冷たい雪が降り掛かる中、田町は草野と運転を交代してやった。草野は外の点検作業中、足を滑らせて左腕に怪我を負ってしまった。

 正月、好子がワクワクして帰宅すると、まだ佐川は来ていなかった。娘たちがぜんざいを作って待っていると、佐川はやって来た。だが草野が昨夜遅くに陸軍病院に担ぎ込まれたので、見舞いに行ってやりたいと佐川は言う。
 佐川は母へのハガキを書くと、挨拶を済ませて早々に立ち去った。草野は左腕を吊った状態で訓練に戻った。前回の運転のせいで、使用石炭成績表で佐川は2位から16位、草野は5位から17位へと一気に転落してしまった。

 北原が「あんな運転じゃ石炭の節約どころじゃないですからね」と愚痴るので、瀬木は「これから良くしていけばいいんだ、わざとやったわけじゃないし」と声を荒げた。彼は「心配しなくたっていいんだよ」と、沈む佐川を励ました。
 草野は「すみません、今まで貴方に言われたことを素直に聞かなかった自分が悪かったんです」と田町に詫びた。田町が「気を大きく持つんだよ。君は大学出なんだから、頑張れば一番になるのは朝飯前だよ」と優しく言うと、それを耳にした瀬木は「大学出が何だ。頭ばかりじゃ機械は動かんぞ。小学校を出た佐川より成績が悪いじゃないか」と対抗心を剥き出しにした。

 佐川と草野は瀬木と田町の指導を受けながら、機関車で競走した。佐川の石炭を投入する動きが悪いのを見て瀬木は叱責し、駅に戻って特訓させた。だが、その最中に佐川は疲労で倒れてしまう。その後も訓練が続く中、佐川は瀬木に迷惑を掛けているのではないかと申し訳なく思う。
 石炭の使用量が増えると瀬木たちのボーナスが減らされると聞き、「減った分は自分に払わせてください」と彼は願い出た。すると瀬木は「そんなことまでお前に心配してもらおうとは思わん。余計なお世話だ」と怒った。

 石炭をくべる練習で佐川が素晴らしい動きを見せたので、瀬木は嬉しそうに顔をほころばせた。小さい石炭が一つこぼれると、瀬木は密かに上着のポケットへと隠し、「一つもこぼれは無いぞ」と告げて感涙にむせんだ。
 そんな中、佐川に帰隊しろという電話が入った。佐川が去った数日後、瀬木は連隊へ様子を見に行くが、面会は禁止だと言われる。出発が決まれば当人から連絡するよう伝えておくと言わるが、それから随分と音沙汰が無かった。しかし、ある日、帰宅すると、出征が決まった佐川が訪れていた…。

 監督は熊谷久虎、原作は上田廣、脚色は澤村勉、製作は森田信義、製作主任は佐伯清、指導は勝見栄二&青鹿謙三、撮影は宮嶋義男、編集は後藤敏男、録音は片岡造、照明は平田光治、美術は北猛夫&平川透徹、音楽はスルメ音楽研究所、演奏はP.C.L.管弦楽団、独唱は牧嗣人。

 出演は丸山定夫、原節子、若原春江、三谷幸子、藤田進、馬野都留子、北澤彪、藤輪欣司、津田光男、中村彰、汐見洋、横山運平、小杉義男、深見泰三、榊田敬治、山川ひろし、真木順、龍崎一郎、坂内永三郎、沼崎勲、柳谷寛、高松文磨、岬洋二、佐山亮、大杉晋、光一ら。

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 鉄道省と陸軍省報道部の後援で東宝が製作した映画。原作者の上田広は国鉄職員だった人物で、鉄道を題材にした小説を多く手掛けた。
 瀬木を丸山定夫、邦子を原節子、咲子を若原春江、好子を三谷幸子、佐川を藤田進、佐川の母を馬野都留子、北原を北澤彪、田町を藤輪欣司、志村を津田光男、草野を中村彰が演じている。
 古い作品であるため、かなり音割れが激しく、何を言っているのか聞き取れない箇所が幾つかあったのは残念だ。

 冒頭に「陸軍省 鉄道省 検閲済」の文字があるように、検閲を受けているので、もちろん陸軍省や鉄道省に不利益になるような内容は描かれていない。
 というか、これは日中戦争の真っ只中、もうすぐ大東亜戦争に突入するという時期に作られた国策映画なので、国民の思想を統制し、見た人間を「お国のために奉公しよう」という気持ちにさせる内容に仕上げようとしているのだ。

 熊谷久虎は1939年に『上海陸戦隊』という国策映画を撮っており、この映画の後には国粋主義思想研究団体「すめら塾」のリーダーとして政治活動に没頭するようになるバリバリの国粋主義者である。
 戦時中の日本では多くの映画監督が戦意昂揚映画を撮っているが、それは軍部に協力せざるを得ない状況だったからであり、仕方なく携わった面々もいる。しかし極右かぶれの熊谷監督の場合は、やらされた仕事ではなく、自ら望んで国策映画を撮っていた。

 丸山定夫が主役を演じているのは興味深い。丸山は左翼思想に傾倒してプロレタリア演劇をやっていた俳優で、1941年には所属していた新築地劇団が内閣情報局によって強制的に解散させられているのだが、そんな人物が国策映画に主演しているわけだ。どういう気持ちで芝居をしていたのだろうか。
 ちなみに、老機関士役であり、実際にお爺ちゃんにしか見えない丸山だが、当時は40歳である。

 そんな丸山の長女役が原節子なのだが、その貫禄がハンパじゃない。当時はまだ21歳のはずなのに、既に主婦の風格である。妹たちの母親役と言われても納得できてしまうぐらいだぞ。
 だけど実は、長女役の原節子よりも次女役の若原春江の方が1つ年上だったりするのだ。それって、つまり年齢よりも随分と老けて見えるっていうことだから、あまり喜ばしいことじゃないのかもしれない。

 前述のように国策映画なので、そのための表現が幾つも盛り込まれている。タイトルの前には、「征かぬ身は いくぞ援護へ まっしぐら」という文字が表示される。
 瀬木は機関区長に「子供は女ばかりで兵隊にはなれず、せめて兵士の指導でもして指導部のお役に立ちたいと考えています」と熱く語る。「出征の見送りなの」と瀬木に言う邦子の顔は笑顔で、全く悲観的なものは無い(まあ当時は勝ち戦のムードに満ち溢れていただろうしね)。

 咲子の会社が潰れても、瀬木は「そのぐらい問題じゃないよ、日本の大方針だからな。我々は日本人だからな」と言う。北原が給料の安さや物価の高さに愚痴をこぼしていると、瀬木は「戦争は現地の兵隊さんだけが戦っているんじゃないんだ、俺たちだって、みんなが戦(いくさ)しているんだ。愚痴や泣き言は禁物だよ」と語る。
 北原は早く出征したいと心待ちにしており、佐川も娘たちも出征の宴で彼を心からお祝いしている。工員になる下の娘たちは「どんどん兵器を作って佐川さんに送るわね」と笑顔で言い、みんなで万歳している。戦争に行くことを、みんなが前向きに捉え、喜んでいる。

 戦死した兵士たちの遺骨箱を持つ隊列が駅を通るのを見た草野たちは、敬礼する。その時の草野の顔は悲しそうだが、名誉の戦死を悲しむことは、表現としてOKだったようだ。
 葬儀のシーンでは、「これが旧世界体制の変革と新世界設立のための戦いである。自衛という消極的なものではなく、虐げられる圧迫民族の解放のための世界的聖戦である」ということを、かなり長い演説によって説明している。そんなのはカットしてもいいような場面、っていうか普通ならカットすべき場面だろうが、この葬儀を長々と描写しているのは、明らかに戦意昂揚のためである。

 白黒だし、おまけに画質はかなり劣化しているが、やはり鉄道ファンにとっては、蒸気機関車が走っている様子や操車の訓練シーンなどは大きな見所だろう。特に、2台のC58が抜きつ抜かれつ走る5分ほどの機関車チェイスは、垂涎モノかもしれない。
 ちなみに、劇中では操車している佐川が「30秒遅れ」と口にする場面があり、この頃から既に秒単位で列車の運行が管理されていたことが分かる。

 国策映画ではあるが、人情ドラマとしても、なかなか見所のある作品である。個人的には、瀬木の可愛さが印象に残った。老人(演じているのは老人ではないが)に向かって可愛いというのは変化もしれないが、ホントにそうなのだ。
 兵隊を指導することになったと知らされ、大喜びする様子は、まるで幼い子供のようだ。「はしゃいでいる」という表現がピッタリ来る可愛さなのだ。

 瀬木は同僚を見つけると駆け寄って自分が指導する佐川のことを自慢げに語り、通学する好子を見掛けて、「お父さん、兵隊を指導することになったんだよ」と話す。行進する新人兵士たちを見つけて佐川に声を掛け、「俺は瀬木ってんだ」と、頬を緩めて嬉しそうに笑う。
 その前日は不機嫌そうな表情で北原に愚痴っていたのに、なんとも分かりやすい変貌ぶりだ。訓練が始まっても、孫に対する祖父の如く佐川に優しく接したり、つい怒鳴ってしまって後で元気付けたりする瀬木の様子は、とても微笑ましい。

(観賞日:2010年9月6日)

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