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『砂の女』:1964、日本

 仁木順平は広大な砂丘を訪れ、昆虫を採集したり写真を撮影したりしていた。後ろから「調査ですか」と男が声を掛けるので、昆虫採集だと告げた。男が「じゃあ本当に県庁の人じゃないんですね」と言うので、「学校の教師ですよ」と仁木は告げた。
 移動して寝そべっていると、先程の男がやって来て「これからどうなさるね」と尋ねた。近くには部落の男2名がいる。「先生さえ良けりゃ、口を聞くぐらいの世話はするで。貧乏村だが、先生さえ構わなけりゃ」と男が言うので、仁木は「是非、お願いしたいな」と告げた。

 仁木が男たちの案内で到着した先には、蟻地獄のような穴があって、その底に一件の家が建っていた。仁木は縄梯子を使って降りた。その家に住む女が「どうぞ、こっちです」と招き入れた。
 電気は来ておらず、彼女はランプを灯した。風呂を浴びたいと言うと、「悪いけど明後日まで我慢してくださいな」と女は告げた。「往復入れて3日の休みしか取ってないんだ」と仁木は笑う。

 女が食事を用意し、食卓の上に唐傘を吊るした。「砂が降ってきますから」と女は言う。「どうして?屋根が壊れてるのかな」と訊くと、「いいえ、葺き立ての屋根でも同じことです」と女は答える。砂を放っておくと、湿気を呼んで太い梁を腐らせることもあるという。
 仁木は「そんな馬鹿な。砂ってのは乾燥してるもんですよ」と笑い、信じない。「でも本当に腐るんですよ」と女が口にするので、仁木が唐傘に触れると、確かに砂が積もっていた。

 仁木が家族のことを尋ねると、女は「去年の風の時に主人も娘も砂に飲まれちゃって」と、埋まって死んだことを語る。仁木は女に、今回の旅の目的がハンミョウの仲間の新種を見つけることだと話した。
 穴の上から村人が「おーい、助っ人の道具、持って来てやったぞ」と呼び掛けた。「なんだ、やっぱり誰かいるんじゃない」と仁木が言うと、「あれはお客さんのことですよ」と女は告げる。

 女は家の外に出て砂かきを始めた。「手伝おうか」と仁木が言うと、「いいんですよ、最初の日からじゃ悪いから」と女は告げる。仁木は「最初の日?僕が泊まるのは今晩だけだよ」と笑った。夜の方が砂が湿っていて仕事がしやすいので、いつも今ぐらいの時間にやるのだと女は説明した。
 女が砂をかき、モッコに積んだ砂を上の男たちが滑車で引き上げる。「大変だねえ、あの連中も」と仁木が漏らすと、女は「ウチの部落じゃあ、在郷精神が行き届いてますから」と言う。その作業は朝まで続くのだと彼女は語った。

 翌日、目を覚ました仁木は帰る準備をした。まだ女が寝ているので、起こさずに家を出た。だが、縄梯子が見当たらない。砂をよじ登ろうとするが、足元が崩れて滑ってしまう。
 仁木は女に「悪いけど梯子を出してもらえないかな」と呼び掛けた。その時、彼は「あれは縄梯子だったな。下からは架けたり外したりできないんだ」と気付いた。地響きが起こり、蟻地獄の壁の砂が崩れた。

 女は起き上がり、「すみません、女手一つじゃ無理なんですよ、ここの生活は。もうじき北風の季節、砂嵐の心配もありますしね」と口にした。「僕を虜にしようっていうのか。冗談じゃないぞ。れっきとした勤め人なんだ。住民登録だってちゃんとしてある。不法監禁は立派な犯罪だからね」と仁木は怒るが、女は「砂かきが間に合わないと、家が埋まってしまいますから」と淡々と告げる。

 仁木は「僕を巻き添えにすることは無いだろう。こんなに無理をしてまで、どうしてこんな所にしがみついてなきゃいけないんだ」と激昂し、責任者を呼べと要求する。しかし女は黙り込み、穴の上では男たちが冷たく眺めている。
 仁木は足場を作って何とか這い上がろうとするが、何度やっても滑り落ちる。腰を痛めた仁木を、女が介抱する。だが、「そんな親切心があるなら医者ぐらい呼んでくれたらいいだろう」と仁木が言うと、それには答えなかった。

 仁木は手拭いで女の口を塞ぎ、両手を縛り上げた。彼は荷物をまとめ、「人間は犬じゃない。犬に鎖を繋ぐようなわけにはいかないさ」と女に言う。仁木は滑車に捕まり、男たちに「早く上げろ、上げるまで離さんぞ。女は縛って家の中だ、助けたければ早く上げろ」と叫ぶ。しかし滑車を引っ張っておいて転落させられた。
 仁木は家に戻り、女の猿ぐつわを取った。彼は「まだ負けたわけじゃない、なんたって困るのは向こうなんだからな。落ち着いて考えてみりゃ、いい経験さ」と強がった。

 上から滑車で荷物が降りてきた。煙草と焼酎だった。仁木は「前祝いに一杯やってくれとは、なかなか気が利いてるじゃないか」と言い、タバコに火を付けた。「水をやろうか」と女に言うと、「いいえ。大事にしないと、一週に一度の配給ですからね」と言葉が返ってきた。男手のある所にだけ、部落会が配るのだという。「これまで他にも僕のような目にあった人はいるの?」と訊くと、女は「何しろ人手が不足してますからね」と他にも捕まった者がいることを語った。

 夜中になって女が水を求めた。彼女が飲んだため、残りの水がほとんど無くなった。ウンウンと呻くので、「同情したりしているわけじゃない。許可無しにはスコップを握るな」と約束させて、仁木は拘束を解いた。
 二晩に渡って砂かきをしなかったため、砂が崩れて落ちてくる。家の中にも砂が入ってきた。相変わらず水は無い。砂かきの仕事をしないので、水の配給も無いのだ。

 仁木は「適材適所っていうものがあるだろ。僕を利用するにしても、他に何かあるだろう。こんなことは訓練すれば猿にだって出来ることじゃないか」と苛立ち、焼酎を一気に飲んだ。彼は「梯子を作るんだ」と板壁を壊し始めた。「何するんだい」と女が止めようとして、2人はもつれ合って倒れた。
 その時、地響きと共に家が揺れ、砂が降って来た。地響きが止んだ後、仁木は女の身体の砂を拭ってやった。彼は女に欲情し、2人は貪るように体を求め合った。

 喉の渇きに耐えかねた仁木は「負けた、負けた」と投げやりに言い、降参の意志を示した。ようやく配給の水を得た仁木は、砂かきを手伝い始めた。
 「こんなことをしていて、虚しいとは思わないのかな。生きるために砂かきをしているんだか、砂かきをするために生きているんだか」と、彼は言う。「こんな風に閉じ込められっぱなしで、よく我慢していられるな」と仁木が言うと、女は「だって私の家なんだから。表へ行ったって別にすることがあるじゃなし」と静かに告げた。

 ある夜、仁木は腹痛を装って仕事を休み、女の目を盗んで縄梯子を作った。女に焼酎を飲ませ、寝入った頃を見計らって砂に埋めておいた縄を取り出した。彼は家の屋根に上がって、そこから滑車の土台めがけて縄を投げた。何度かやって土台に引っ掛かり、仁木は縄梯子をよじ登った。穴を脱出した彼は走った。
 日が落ちて辺りは真っ暗になった。視界ゼロの中で走っていると、底無し沼のような砂地に落ちた。「誰か助けてくれ」仁木は叫んだ。部落の男たちが現れ、彼を助け出した。そこは逃げ出した者が何人も迷い込んだ場所で、死人も埋まっているだろうと男たちは笑った。仁木は再び女の家へ戻された。

 3ヶ月が経った頃、彼はカラスを取る罠を仕掛けた。「捕まえた烏の足に手紙を付けてやるんだよ、助けてくれって」と、彼は女に説明する。もう3ヶ月になるのに、助けは来ていない。「逃げ出したと思ってるのかもしれないね、勤めが嫌になって」と女が言うので、仁木は「まさか、部屋中が助けてくれと叫んでいる」と告げた。
 配給の男が来たので、仁木は「一日に一度、30分でいいから海が見たい。見張り付きでいいから」と要求した。男は「後で部落委員と返事して返事するから」と告げて去った。

 夜、砂かきをしていると、いつもより早く部落の男たちが来た。「あんた、海が見たいんだってな。できねえ相談じゃないが、アレをやって見してくれねえか、アンタたち2人して、みんなが見てるところでよ」と彼らは言う。女との情事を見せろというのだ。しばし困惑していた仁木だが、「一応、チャンスだからな。そう大げさに考えなくても」と考え、女を外に引きずり出した…。

 監督は勅使河原宏、原作・脚本は安部公房、製作は市川喜一&大野忠、製作主任は吉田巌、撮影は瀬川浩、編集は守随房子、録音は加藤一郎&奥山重之助、照明は久米光男、デザインは粟津潔、美術は平川透徹&山崎正男、音楽は武満徹。

 出演は岡田英次、岸田今日子、三井弘次、伊藤弘子、矢野宣、関口銀三、市原清彦、田村保、西本裕行。

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 安部公房の同名小説を、彼自身の脚本で映画化した白黒映画。勅使河原宏が勅使河原プロを設立して最初に手掛けた作品で、長編劇映画デビュー作『おとし穴』に続いて安部公房と組んでいる。カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞し、アカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされた。
 仁木を岡田英次、砂の女を岸田今日子が演じている。どうでもいいことだが、若い頃の岡田英次は、シティボーイズの斉木しげるに何となく容貌が似ている気がする。

 まず映像の力。まるで意志を持つかのように、風紋を描きながら不気味にうごめく砂。どこまでも果てしなく続くかのように、人間を支配する存在として広がる砂。
 そして音楽の力。武満徹の前衛音楽は、「内容なんか知らないね」とばかりにオレ様主義の自己主張をするので、時には映画の雰囲気をブチ壊してしまうこともあるのだが、こういう不条理劇だとピッタリとフィットする。

 最初の内、仁木は、なぜ女や村人たちが、そんな不便な場所に暮らし続けるのか理解できない。それは愚かなことだと感じている。砂かきばかりしているのは、不毛で無意味な仕事だと思っている。
 それに対して女は、「砂が無かったら誰も私のことなんか構っちゃくれない」と語っている。その通りで、あの容姿だと、たぶん相手にしてもらうのは難しいだろう。仁木だって砂があったから女に欲情したわけだ。

 女は、外に出ると自分の存在価値が皆無になってしまうと分かっている。それは諦念ではない。ここにいれば、彼女は部落の男たちに「そこにいること」を認識してもらえる。相手にしてもらえるのだ。
 しかし、仁木には、そんな感覚は理解できない。彼は、そこの仕事は自分には役不足だと思っている。しかし、逃げることは出来ないし、その仕事をしなければ配給も手に入らない。

 そういう管理された強権的社会の中で、仕方無く彼は砂かきの仕事を始める。それでも彼は反発する気持ちを強く持っており、逃亡を試みるが、失敗に終わる。
 だが、彼は「いずれ誰かが捜しにやって来るさ。僕の後ろには友達もいれば組合もあるし、教育委員会やPTAだって控えているんだからな。このまま見殺しにするもんか」と思っている。

 しかし実際には、誰も捜しには来ない。彼が暮らしていた都会での人間関係は、その程度の希薄な繋がりでしかなかったのだ。東京では所詮、仁木は「別にいなくても大して困らない」という程度の存在なのだ。
 そもそも彼は、都会での暮らしに順応できておらず、教師の仕事に充実感を抱いておらず、だから昆虫採集で昆虫図鑑に名前が載るようなことを目指したのだ。

 部落の面々から自分たちの前で情事を見せるよう要求された仁木は、「一応、チャンスだからな。そう大げさに考えなくても」と考える。既に感覚が麻痺して、おかしくなっている。羞恥心など失せている。
 「一日に30分だけ海を見せてもらう」という目的のためにセックスを見せるというメチャクチャな条件でも、「悪くない取引だ」と思ってしまうほど、統制下での暮らしに取り込まれ、いつの間にか順応しつつあるのだ。最初は反抗する精神が強くあったのに、それが薄れている。

 時間が経過することで反発心は薄れ、諦念が強くなっていくものだ。ずっと心を強く持ち続けるというのは、とても難しい。慣れというのは、げに恐ろしきものなのである。
 それに、果たして仁木が今まで暮らしていた都会が、それほど素晴らしい場所だろうか。彼が今までやってきた仕事は、それほど有意義な仕事だろうか。そこでは膨大な証明書という道具が排除された時、彼が彼である意味を成す物は何一つ無い。その部落は非日常的な場所だが、それまで仁木が暮らしていた東京という場所と、ある意味では何も変わらないのだ。

 かつて仁木が暮らしていた都会にしろ、砂に囲まれた部落にしろ、管理社会のシステムに組み込まれ、「個」という存在は失われ、無機質な労働者としての自分だけがそこにあるという状態だ。
 虚無の中で日々をやり過ごすということでは、今までと何ら変化は無いのだ。むしろ、貯水装置という希望を見つけた分、その部落での生活の方が、彼にとっては幸せなのかもしれない。

(観賞日:2010年4月18日)

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